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2017年04月15日

第691回「音楽は、滅びない」

 無関係の企業による商標登録が申請されたり、幼少の頃から親しんでいる童謡の替え歌騒動。商標ビジネスや権利ビジネスによって、本来守られるべきものが守られず、別の目的に利用されてしまう。果たして、権利とはなんなのか。パロディーを作品として認めている欧米と、それとはなかなか認めない国、ニッポン。作り手と権利者がかならずしも一致するわけではなく、ひとたび商品になってしまった途端に、作り手の元をはなれてしまうこともあります。
 音楽の権利。音楽はたくさんの人に親しまれてこそ輝くもの、という考えも人間が勝手に思っているだけで、自己満足にすぎないかもしれませんが、違法で利益を得ていたら、それを見過ごすわけにもいかないでしょう。
 システムというのは、ある一定期間を過ぎるとかならず弊害が生じてくるのは、そのシステムを悪用する者や、時代と足並みが揃わなくなってしまうため。もともとは、音楽を守るべき組織でありながら、非営利組織ではないため、権利ビジネスとして味をしめてしまう。それは必然的なこと。儲けずに音楽を守れ、なんてあまりに虫が良すぎます。しかし、著作権管理が一極に集中してしまっているため、独占状態に陥っていることも否めません。
 時代と足並みが揃わなくなってきたのは、やはりネットの台頭によるもの。音楽に対してお金を支払う時代は終わり、あらたな時代に突入しました。音楽が、いち情報として扱われるようになりました。すると、お金の流れが変わり、マーケットを拡大せざるをえなくなります。その標的になったのが、今回の、音楽教室。音楽を教える場所。音楽を守るための組織が、音楽教室から徴収するのかと、腑に落ちないところがあるかもしれません。しかし、それによって利益を得ている以上、標的になってしまうのもしかたありません。いままでが、大目にみてもらっていたのです。逆に「教育だったらいいのか」となれば、「これは教材です!」と言い張る者もでてくるでしょう。ただ、教育というパフォーマンスには企業として、しかるべき対価を支払うべきでしょう。徴収されたからといって、先生が減給となればそれこそ優良企業とは呼べません。
 時代が招いたこと。音楽にお金を払わなくなったしわ寄せがこういったカタチで表れました。ただ、なにも悲観していません。なんでも杓子定規に行うのは好きではありませんが、管理団体は音楽を守らなければならないと同時に、組織も守らないといけません。今後は一層、取り締まりはきつくなるでしょう。しかし、どれだけ厳しくなっても、たとえ、世の中から音楽教室がなくなったとしても、音楽は、絶対に衰退しません。衰退どころか、むしろエネルーを得るでしょう。だから僕は、わくわくしています。あらたな光が差したのです。きっと、権利やしがらみから解放された音楽があふれることでしょう。そんな、新しい時代のはじまりを感じるのです。

2017年04月15日 12:45

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