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2017年04月15日

第695回「三月の風」

 今思えばとても不思議なことでした。被災地でレンズを向けてきた旨を伝える言葉と、まるで生まれたばかりの子犬達を託すかのように、たくさんの画像が番組宛てに送られてきたのは、まだ大きな揺れを時折感じていた頃。
 
 僕自身も、何ができるかわからないまま実際に足を運んでみたものの、レンズを向けることはできず、ただ、ぼーっと眺めるくらいしかできませんでした。

心の中に溜まった感情のようなものは、どこにも向けられないまま。しばらくさまよったのちたどり着いたのはやはり、鍵盤の上でした。感情のままに形になった音に、誰が撮影したのかわからない写真を並べました。

「永遠と一日」

 この曲が何をしてくれるわけではないけれど、あのとき抱えていた感情のようなものを置く場所が欲しかったのかもしれません。だから、いま、この曲を聴くと、いろんなことを思い出します。いろいろなことが蘇ってきます。

 僕が直接感じた大きな揺れは東京でのそれでしたが、あの日見た光景や、あの日を境に人々の心が大きく変わっていったこと。やがて「不謹慎」が猛威を奮い、何が正しくて何が正しくないのかわからなくなったこと。あの丘の上に立った時に、鼻をさした匂いまで。役に立ちたいけれど、役に立たない自分。いかに普段の仕事が、平和という基盤の上に成り立っているのかを痛感する日々。その時に出した答えは、生きていくことでした。

「それでも僕たちは生きてゆく」

 あれから月日は流れ、それぞれがそれぞれの想いを抱えて、311を迎えます。何が変わって、何が変わらないままでいるのか。あの時レンズに笑顔を向けてくれた少年たちは、あれから、何を思い、何を支えに生きてきたのだろうか。時間が解決するなんて、そんな生ぬるいことではないけれど、時間にしかできないこともあります。

 生きていることは素晴らしい。なのに僕たちは、また、ありがたみに鈍感になり、どうでもいいようなことで争い、文句を言いはじめる。完璧ではないのに、完璧な世界を求める、愚かな生き物。

 自然が教えてくれたなんて、僕は思いません。自然はいつも自然であって、異常も通常もない。生きることに意味なんてない。価値はあっても、意味はない。心臓が動いている。呼吸をしている。

 失ったものの代わりに、手に入れたものは、笑顔が溢れる社会でしょうか。失敗を許さない社会でしょうか。僕たちは、いつの間にか、臆病になっていないだろうか。むしろ、多くを失った人たちの方が、強く、たくましく生きているのではないだろうか。そんなことを考える、三月の風。

2017年04月15日 12:47

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