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2017年01月22日
第689回「ちくわぶの憂鬱〜番外編〜」
「弟子にしてください!」
突然の出来事に、彼は戸惑わずにいられなかった。
「なんだい君、いきなりびっくりするじゃないか」
「あなたを尊敬しています!弟子にしてください!」
「おいおいやめてくれよ、興奮するなって」
「どうしても弟子にしてほしいんです!お願いします!」
「お願いしますったって、そういうのやってないから…」
「お願いします!」
「弟子?」
鏡越しに彼女は笑いながら言った。
「そうなんだよ、もうしつこくてさ。」
「いきなり現れたの?」
「そうだよ、びっくりしたよ。芸人じゃあるまいし、こんなこと言われるなんて夢にも思わなかったから」
「あなたに憧れるなんて、面白い人ね。それで、なんて言ったの?」
「もちろん断ったさ。」
「え、断っちゃったの?」
彼女は、彼に顔を向けた。
「あたりまえだろ。だって教えることなんてなにもない。」
「いいじゃない、面白いからやってみなよ!」
「だめだよ、遊びじゃないんだから。ひとの人生を預かるなんてごめんだよ」
「なにも教えなくても、弟子は師匠の生き様を見て勝手に育つの。」
「勝手に育たれても困るよ」
「いいのよ、ね、話だけでもきいてあげなさいよ、師匠!」
「おい、からかうんじゃないよ!」
「偉大さ?」
彼は目を丸くした。
「パクチーさんの、偉大さに気づいてしまったんです。」
男は真剣な表情で話を続けた。
「誰もが好きというわけではない、むしろ嫌いな人も多い。けれど、好きなひとにはものすごく好かれる存在、それがパクチーさんだと思うんです。僕もそんな存在になりたいんです。」
「君だってそういう存在じゃないのかい?好きな人にはものすごく好かれるだろう?」
「違うんです、僕の場合は、存在すら知られていないこともあるし、なんていうか、パンチがないんです」
「パンチ?」
「しかも、師匠の凄いところは、みんなが苦手前提で話をすすめるじゃないですか。そんな人いないですよ。憎まれっ子世にはばかるといいますが、まさにそういうことです!」
「あはは、憎まれっ子世にはばかるって、うまいこと言うね!」
後日、彼は男と話したことを彼女に伝えた。
「尊敬されているんだか、バカにされているんだかわからないよ。」
「でも、真剣なんでしょ?」
「あぁ、そうさ、いたって真剣だよ」
彼女は、彼の腕に抱きつくように話をきいていた。
「やっぱり、好きと嫌いって表裏一体で、関心がないっていうのが一番良くないと思うんです。みんなに好かれようとすると、なんの面白みもない、無味無臭な存在になってしまうんでうす!」
「無味無臭だって、素晴らしいことだよ?」
彼は、男を諭すように言った。
「クセが強いとたしかに嫌悪感を抱くものも多い反面、好むものも一定数いる。だからといって、無理に奇をてらったり、嫌われる必要なんてないんだよ。君みたいに、無味無臭なのを好む者もいる。世の中、みんなが僕みたいにクセが強くなったら大変だよ。だから、君は君のままで十分魅力的なんだから、別に弟子にならなくたっていいんだよ」
「師匠…」
男の目に、涙が浮かんでいた。
「それで、その青年はそれきり?」
「あぁ。まぁ、衝動的なものだったのだろう。」
彼女は、ベッド横の煙草に手を伸ばした。
「憎まれっ子かぁ…」
「本当に嫌われていたら、とっくに忘れられているだろうね、世の中から」
煙草の煙が彼女の顔を覆った。
2017年01月22日 12:44
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