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2016年01月24日
第643回「ボサノバと私」
「僕の日常は、ボサノバに支えられています」
なんていったら少し大袈裟かもしれませんが、でもそれくらい僕にとって欠かせない存在で、昨年でいうと、家でもっとも流れた、いわゆるロケミー賞はボサノバで間違いないでしょう。
アコースティックギターの音色は朝の気分にちょうどよく、寝起きの体をやさしく包んでくれます。冷たい朝にも、あたたかい日差しにもフィットする音色。ヴォーカルもあまり張らず、ウィスパーボイスに近いものが多いので、日常を邪魔しません。実際、この原稿もボサノバの流れるカフェで書いています。作業の妨げにならない、それでいて心に寄り添ってくれる音楽。
以前にもお伝えした記憶がありますが、はじめてボサノバに出会ったのは、ピアノの上に置いてあった父の古い楽譜。その独特な響きに、まだ小学生ながら、魅了されていました。その後、学生時代は、ラテン・アメリカ研究会というサークルに所属し、周囲がペルー・ボリビアのフォルクローレを演奏するなか、ボサノバーズというユニットを組んで、「おいしい水」などを演奏していました。
ボサノバの厳密な定義はわかりませんが、そのどこか気だるいアンニュイな雰囲気や、ギターのリズムの刻み方、コード進行など、ボサノバらしさを構成する要素はいくつかあげられます。ジョアン・ジルベルトは、「サンバをギター一本で表現した」と言っていましたが、それにしても、とてつもなくおしゃれに感じさせるのはなぜでしょう。ボサノバのかかるカフェと、サンバのかかるそれではだいぶ印象が違います。ひとたびボサノバが流れれば、コーヒーも一層美味しくなるのです。
1960年代にブラジルで生まれたものですが、いざ発祥の地を訪れても意外とボサノバは流れておらず、もはや懐メロ的な存在になっている、なんてことをきいたことはありますが、仮に懐メロだとしても、日本のそれに比べると、音楽的にボサノバのほうがおしゃれなのは否めません。もちろん、日本の懐メロにはほかの良さがありますが、やはり盆踊りの国とサンバの国では、体内で流れるリズムがまったく違うのでしょう。
ブラジルの人はきっとなんとも思っていないのに、日本人に「おしゃれさ」を感じる人が多いのは、メロディーに対するコードの当て方が考えられます。
「ワンノートサンバ」という曲がありますが、「ワンノート」つまり、ひとつの音でメロディーを奏で、コードだけが変わってゆく。これは絶対に日本では生まれません。日本人の感覚からすると、奇をてらっているとしか思えないようなアプローチ。メロディーとコードの関係性がとてもさらっとしていて、おしゃれに感じさせるから、日本ではいたるところでボサノバを耳にするのです。
おしゃれなだけではありません。行ったこともないのに、まるでブラジルの海岸を思い出させてしまう音。波の音が聞こえてくる曲調。もしかすると、生命の誕生にまで関わってくるのかもしれません。そうなると、僕の日常を支える音楽になるのも必然なのです。
これだけ長年ボサノバを聴いているわけですから、僕が作る曲は、ボサノバの曲でなくても、そのエッセンスが散りばめられるのは仕方のないこと。ジョアン・ジルベルトのギターやアントニオ・カルロス・ジョビンのピアノ、そしてアストラッド・ジルベルトの声。これまで聴いてきた音やリズムが体のなかで吸収され、やがてそれらが別の料理になってでてくる。今回の「chocolate bossa」もそのひとつ。
盆踊りの国の人間がつくるボサノバですから、純粋なボサノバとは一味違うものですが、朝にも夜にも、ティータイムにも合うことは実証済みです。とってもスィートで、ほんのりビターな味を、どうぞお楽しみください。
「coffee bossa & chocolate bossa」
次はなにボッサがくるのでしょう。いつか、ブラジルの風と波音を浴びながら、ボサノバを聞いてみたいものです。
2016年01月24日 18:54
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