« 第641回「シリーズWhat’s DJ? 第7話 パフォーマンス」 | TOP | 第643回「ボサノバと私」 »

2016年01月17日

第642回「いちにの、さんすう」

「アルバムは2枚目以降がよくなってくる」
 とは、以前契約していたレコード会社のひとの言葉。最初はいろんな音を詰め込もうとしてたくさんの音でいっぱいになってしまうものだけど、2枚目以降は、肩の力が抜け、音に隙間ができ、聴く者に心地よい音になってくる。
 僕自身、それを体現しているかわかりませんが、頭のなかでは理解しています。これは、教科書などで教わることではなく、経験のなせるワザ。人は、ほっとくと、詰め込みすぎてしまうのです。
 音楽に限ったことではなく、いや、むしろ「life is music」であるのなら、それが人生においても同様だといえるでしょう。ことに最近、強く感じるのは、引き算の大切さです。
 20代のときにはまさか「引き算」が重要になるなんて思いもしませんでした。ましてや、教育テレビを見ていたときには、人生において「引き算」がこんなに役に立つなんて夢にも思いませんでした。生理的に、足し算のほうが気持ちのいいものですが、この年齢になると、引き算も楽しくなってくるのです。
「足すことよりも、引くことのほうが重要」
 若い時はいろんなことを足してばかりいました。なんでも吸収できたから、それほど取捨選択せず済みました。しかし、人生、いつまでも足してばかりいるとやがてパンクしてしまいます。ただやかましいだけで、美しいメロディーは奏でられないのです、
 断捨離という言葉はあまり好きではないのですが、その言葉がこれほど耳にするようになったのは、それだけ引き算が重要であることと同時に、「引き算のほうが難しい」ということかもしれません。ほっておいたら足し算になるのですから。ただ、引き算は減るだけなのかといえば、そうではありません。引き算から得るものがあるのです。では、引き算からなにが見えてくるのでしょう。それは、物事の本質だったり、本当に必要なものだったり、見えていなかったものが顔をだしはじめるのです。
 2020年の東京オリンピックに向けて、ピクトグラムをよく見かけるようになりました。記号と絵の中間というのでしょうか、簡略化されたシンプルなイラストが、外国人のガイドをしてくれます。そんな、言葉の壁を越えるピクトグラムこそ、引き算のなせる技。本質を捉えているからこそ、物事を最低限の情報で伝えることができるのです。そういう意味では漢字もピクトグラムのひとつかもしれません。
 僕が世に出るきっかけになった一言ネタというのも、ある意味引き算によるもの。いかに少ない言葉で状況を説明するか。小説家の処女作にすべてがつまっているといいますが、最初のネタに僕の本質があるとすれば、一言で表現する試みはまさに、ピクトグラム的なアプローチであり、引き算の賜物だったのです。陽の当たる場所を書くことよりも、影を描く方が好きなひとがいるように、僕は足し算よりも、引き算が好きだったのかもしれません。
 多くを語るよりも、足りないほうがいい。余分なものは省略したい。そもそも、「過ぎたるは及ばざるが如し」というけれど、足りないことは、素晴らしいとさえ思っています。足りない世界こそ美しい。余白のある世界。ぎちぎちに詰め込まれた世界では、息苦しくなるのも必然なのです。
 たくさん足しすぎると、抱えきれなくなって、なにがあるのかわからなくなってしまいます。なにを伝えたいのかわからない。結果、なにも伝わらない。ありすぎるのは、なにもないのと同じ。なにも持っていないのと同じ。僕も捨てられない人間だから、偉そうなことは言えないけれど、引き算をする機会が増えているのは事実。隙間を作こと。埋めることより削ること。そんな、引き算の上手な人は、心地よい音色を奏でられるのでしょう。みなさんも、引き算、していますか?

2016年01月17日 22:18

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.happynote.jp/blog_sys/mt-tb.cgi/100

コメント

コメントしてください

名前・メールアドレス・コメントの入力は必須です。




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)