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2016年11月06日
第680回「最後の砦」
郵便受けにはいっている茶色をみて、中身がわかりました。いまでは翌日、はやければ当日届いたりするので、ピンときてあたりまえなのですが、昨今の情報過多や、購入も簡単になっている状況は、自分でクリックしたことを忘れさせてしまいます。
「やはり、このサイズがちょうどいい」
今年は、第一希望の手帳が届きました。モレスキンのマンスリー・ダイアリー。見開きで一月の予定がわかるタイプ。毎年、買わなくちゃと思ったときには遅く、違うサイズしか残っていなくて、ノートパソコンくらいのサイズと一年向き合うこともよくありました。
ご存知の方も多いかと思いますが、イタリア製の手帳で、かつてはピカソやゴッホらも愛用していたとのこと。だから選んだわけではありません。いいなと思ったら、「え?ピカソも使ってたの?」という順番。シンプルなデザイン、革の質感もさることながら、なんといってもこのゴムバンドがたまりません。ゴムバンドなんて、小学生の紅白帽以来かもしれませんが、この閉じる動作があるだけで、だいぶ印象が変わります。
手帳といっても、胸ポケットや常にカバンにいれているわけではなく、基本、在宅ワーク。ぎっしり書き込むでもなく、一週間に一度開く程度なのですが、この時間がとても大事で、自分の予定や過去と向き合う時間というよりは、ただ、漠然と絵画を眺めるような感覚に近いかもしれません。いまは、スマホでスケジュール管理もできてしまうし、実際、忘れてしまいそうなことはそこに書き込んでいるので完全移行も可能なのですが、その流れにブレーキをかける自分がいます。完全移行したくない理由。それは、上記のような時間が大切なのもひとつですが、もうひとつ、字を書かなくなってしまうからです。
比較的女性は手紙を書く習慣など残っている気がしますが、僕の場合、暑中見舞いはもちろん、年賀状や手紙も書かなくなり、思い当たるところでクレジットカードのサインくらい。原稿もパソコン。もはや文字を書かない生活になってしまいました。ここで、手帳までスマホに移行してしまうと、僕は完全に、「文字を書かないひと」になってしまいます。
言葉は伝える道具であるから、伝わることが大切ですが、文字を書くという行為を生活から取り除いてはいけない気がするのです。「あ」を記す時に、「あ」を描かない生活は、健全ではない気がして。
人類はやがて、文字を書かなくなるかもしれません。手書きの良さは重宝されていますが、それも時間の問題。文字は、書くのではなく、打つものになってしまうのでしょう。まったく胸を張っていうことではないのですが、手書きの手帳を使用していることで、どうにか、文字を書く習慣を保っているのです。
習字を習うまではいきませんが、文字を書くことの大切さは感じていたい。そういう意味で、このモレスキンの手帳が、最後の砦なのです。
2016年11月06日 13:47
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