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2015年05月24日

第614回「だからロケットマンというわけではないですが」

 どちらかといえば、捨てられない人間です。おしゃれなショップの紙袋にはじまりiphoneの箱やパソコン購入時以来二度と開かない冊子、なにに使うのかわからない謎のコードまで。「いつか使う日が来るかも」という幻想に惑わされて、いつまでたっても捨てられない。かつて、ゴミ屋敷を片付けるロケでも、地域住民より屋敷の住人の肩を持ちたくなるほど、物に対する愛着が強いのか、捨てられない性格なのです。
 その一方で捨ててしまうものもあります。むしろ、これまでの人生を振り返れば、残酷なほど貴重なものを捨ててきた気がします。
 たとえば、白いヘアターバン。まだデビューして間もない頃、「シュールの貴公子」として颯爽とお茶の間に登場していた僕の頭の中では、ヘアターバンを脱ぐタイミングを考えていました。トレードマークでもある貴重なヘアターバン。無印良品で大量に購入こそしていましたが、イメージがのちに邪魔になるからと、脱ぐタイミングを見計らっていたのです。一言ネタもそうです。一言ネタは好きですし、僕の原点でもありますが、バラエティーに出る際は、一言ネタを持参せず臨んでいました。あくまで世に出るきっかけ。デビュー曲。いまつでもデビュー曲の上であぐらをかきたくない。のちに訪れるいじられ芸人としてのキャラクターや、マッシュルームなども同様です。時代に捨てられる前に、こちらから意図的に捨てました。
 時間を遡れば、小学生のころから培ってきたスポーマンの香りも捨てました。学歴も捨てました。まるでロケットのように、切り離していきました。マリメッコの紙袋は捨てられないのに、マックの箱を捨てられないのに。
 たとえば経営が危うくなっているシャープのように、液晶で掴んだ栄光だからこそ液晶を大切にするべきという考え方もあれば、液晶で掴んだ栄光だからこそ液晶を捨てるべきだという考え方もあります。誇りを持つことは大切ですが、あまり過去の栄光にしがみついていると船が沈没してしまいます。
 僕の場合、捨てるというよりは、押入れにしまっているのかもしれません。もしくは、自分のなかで消化したのかもしれません。いずれにしても、一連の「捨てる」作業は、自分を貫くための行為。自分の道を進むために、大きな荷物を置いてゆく。ロケットが月に到着するためには、途中で切り離さないといけないのです。たとえそれが、これまで大事にしてきたことであっても、これからの妨げとなるようのであれば、切り離さないといけないときもある。自分を維持するため、自分自身を捨てないために。本当に大事なものは、目に見えないから。果たして僕は次に何を捨てるのでしょうか。どこにたどり着くのでしょうか。その前に、紙袋をどうにかしないと。

2015年05月24日 10:00

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