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2014年12月29日

第590回「集まれ!褒め上手!!」

 気が付けば、あと10回でこの「週刊ふかわ」も600回を迎えることになりました。順調にいけば、年が明けてまもなく迎えられるわけですが、素通りするのも勿体ないので、密かに、セレモニー的なものを開催できればと思っています。600回記念で開催したいことはなにか。ひとつだけ、頭のなかに浮かんでいるものがあります。それは、かぼちゃ祭りでも、プラネタリウムDJでもありません。いま、僕がもっとも求めていること。

「週刊ふかわ600回記念!ふかわくんを褒めよう!!」

 目を疑ったでしょうか。40にもなって褒められたいなんて。よく恥ずかしげもなく発表できるものです。でも、本当に、褒められたいのです。 大人になると叱ってくれる存在がいなくなると耳にしますが、たしかにそんな気もします。では、褒められることはどうでしょう。褒めてくれる存在。頭を撫でてくれるように、やさしい言葉に包まれる瞬間。子供の頃多かったわけではありませんが、大人になると、ストレートに褒められることもなくなり、社会的評価というカタチに変わり、あの頃の「頭を撫でられる感覚」と乖離していきます。

  実際のところ、褒められていないわけではありません。ありがたいもので、お手紙やメールなど、お褒めの言葉をいただくことは現在でもあるのですが、これまで散々いろんな言葉を浴びてきたので、良かれ悪しかれ、それらの言葉を素直に、額面通りに受け取れない大人になってしまったのです。いただいた文章を、極度に圧縮し、心のどこかにしまってしまう。そんな、こじらせ系中年の堅く閉ざされた心の扉は、一筋縄では開かないのです。では、どうしたら扉が開くのか。それはやはり、生身の声しかありません。つまり、直接、褒められたいのです。

 以前開催していた「フニオチコンテスト」のように、お客さんを入れてステージ上で発表するというのもなかなか面白い空間で魅力的ですが、お客さんの前だと緊張したり、受け狙いに走る人もでてくる恐れがあり、心の扉が開かない可能性があります。本気で褒めてもらわないとだめなのです。もう、重症ですね。

 理想は、教会の懺悔室。小部屋に入り、網の向こうの神父さんに懺悔するように、おじさんを網越しに褒める。ほかに誰も聴いていません。網越しおじさんの息遣い。お地蔵さんにお供えするように、みなさんの心の中から取り出したやさしい言葉たちが、網の向こうのおじさん捧げられます。お返しに、お菓子をくれるでしょう。おじさんは、朝から晩までずっとそこにいます。そんな一日。 こんなイベントのために協力してくれる教会はまずないと思いますが、いま、僕がもっとも開催したいのは、こんな空間なのです。

「褒められて伸びる」

 でも、伸びるために褒められたいのではありません。それは心のマッサージ。ただ、褒められたい。20年の活動を支えてきた心をほぐしてもらいたい。上手じゃなくていいのです。むしろ、つたない言葉のほうが、効くかもしれません。これから歩んでいくための、褒められる一日。実現しないかなぁ。

2014年12月29日 18:37

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