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2014年12月29日
第594回「その快楽には、罠がある」
キャンプのカレーが美味しいのは、そこに至るまでに味わう「痛み」が最大のスパイスになっているからで、なんでも無料で食べられる状況は味を薄めてしまうから、この度好楽師匠が手にいれた「食堂無料券」的なご褒美に対しても「かわいそう」と感じてしまうタイプの人間なので、世の中に存在する「便利」と称賛されるもののほとんどが、僕にとっては、「便利」どころか、「脅威」とさえ感じてしまい、喜びを享受できません。
たとえば、便利グッズの代表格であるスマートホンも、ないと不便になるくらいはまだいいけれど、依存度が高くなり、気が付けば四六時中手にしたり目を向けている状況となると、もはや立場は逆転。スマホに使われる立場になってしまう。便利さに溺れ、スマホに支配されるスマホ・スレーヴス。アプリはむしろ人間のほうなのです。
ハードディスクレコーダーにたくさん残せるようになったのはいいけれど、油断すると、残すことに満足し、結局見ずに終わってしまう。自動消去機能でもないかぎり、いつでも見られるという安心感が、結局観ないという結果に結びついてしまう。残せる安心感こそ得たものの、ハードディスクレコーダーに使われただけ。何の目的も果たしていない。ここでも「便利」さに溺れてしまう。 月額いくらで映画見放題も、僕にとっては不幸に思えてしまう。たくさんありすぎて、ありがたみというスパイスもなくなり、味が薄まってしまう。映画館まで足を運んで、お金を払うなど、身を削るからこそ、スクリーンは輝き、心に深く刻まれるもの。痛みやありがたみは、おいしさを増すための重要なスパイスなのに、世の中は「便利さ」を追求するがあまり、そのスパイスをいれることを忘れてしまう。一週間だけ見放題、だったらまだぜんぜん違うのに。
インターネットという便利さ、「つながる」という便利さ。あらゆる「便利」は、人間が油断すると、もしくは甘やかすと、怪物になってしまいます。ストレスをなくすためのヒーローだったのに、いつのまにかそれが悪と化しストレスを与える存在になってしまう。だから、支配されないように、気を付けなければなりません。支配されたら、終わりなのです。
お金もそう。流通のための道具であり、願望を叶えるための手段。しかし、お金を貯めること自体に快楽を見出し、それ自体が目的化し、使うことを放棄してしまう。それこそ、金に溺れ、金に支配された状態。 時間も然り。時間という概念は、日常生活をスムーズに送るための便利な道具。しかし、ひとたび時間に追われるようになってしまうと、時間に支配されてしまうと、乾いた生活になってしまう。遅刻をしてはいけない、という概念が、交通事故を増やしてしまうのかもしれない。時間は利用するもので、支配されるものではないのです。
どんなに便利な道具も、油断していると、その道具に使われることになります。そうなったら、人は、便利さに溺れ、堕落するだけ。そうならないためにも、ほどほどの距離感を保たなければならないのでしょう。その快楽には、罠がある。光にはかならず、影があるのです。
2014年12月29日 18:42