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2014年12月29日

第596回「きらきら星はどこで輝く〜第二話〜」

「これは大変なことになった…」

 楽譜を開いた僕は、あまりの音符の多さに目を丸くしました。もちろん、それが原曲とは違うことは知っていましたが、想像をはるかに超えるアレンジで、相当の練習量が必要であることを瞬時に感じました。

「これを、ふたりで…」

 それは、「きらきら星変奏曲」という曲。あの「きらきら星」を主題として、スピーディーに展開していきます。連弾なのでふたりで弾くのですが、ピアノ2台の場合もあれば、一つのイスに二人が並んで座る場合もあります。いずれにしても、ふたりの呼吸が揃っていないと成立しません。人生初の連弾。それも世界的ピアニストの方と。小学生がイチローとキャッチボールするようなものでしょうか。ことの重大さから、ピアノに向かう日々がはじまりました。

「あの、温泉なんだけどさぁ…」

 両親といく予定だった旅館もキャンセルすることにしました。

「ねぇ、これ見てよ」

 指先をラジオ番組で共演している遠藤真理さんに、自慢するように見せました。

「爪、割れてるじゃないですか」

 毎日鍵盤を触っていたとはいえ、これまではタッチのやわらかいキーボード。それに比べてピアノの鍵盤は堅いし重い。そもそも、曲を作るときの「弾く」と、演奏するときの「弾く」では、根本的に力の入れ方、集中力が異なります。甘やかされていた指先が、久しぶりの堅く重たい鍵盤に、悲鳴をあげているようでした。

「もう、11月は、ピアノに捧げよう!」

 朝から晩までひたすらピアノに向かう日々が続きました。ピアノ協奏曲だけだったり、以前弾いたことのある曲だったらまだしも、2曲となると時間も足りません。心のどこかで、間に合わないのではないか、そんな気がしても、できるかぎりのことはやっておきたい。 その原動力はなんだったのでしょう。大舞台で失敗したくない、中村紘子さんに迷惑をかけたくない、という想いもありましたが、それらを含めて、「悔しい思いをしたくない」という感情が、僕をピアノに向かわせていた気がします。どんなに練習を重ねても、本番で思い通りに弾けない悔しさを、これまで何度も味わってきました。こんなにも本番でだめになってしまう自分が不甲斐なさ過ぎる。そんな悔しい思いを、もうしたくない。

「どうですか〜」

 本番前日、紘子さんはとてもにこやかな表情ではいってきました。

「やれるだけのことはやってきたんですが…」

僕は、椅子の半分を開けました。

「テンポはどれくらいかしら?」

「たぶん、早いともつれてしまうと思います…」

そして、二人の手が鍵盤の上に乗りました。

「すごいじゃない!完璧!」

 決して完璧ではなかったけれど、途中もつれたりしながらも、どうにかゴールまで辿り着くことができました。

「本番で、事故ってしまうかもしれないですが…」

「なに言ってるの、事故大歓迎よ!」

そのあと、ここはこうしたほうがいいとか、ちょっとしたレクチャーを受けつつ、何度か合わせました。

「今回のゲスト、ふかわりょうさんです!」

 グランドピアノを囲むように、数十名のオーケストラの方たちが目の前で広がっています。腰を下ろすと、ピアノ越しに臨む指揮者の表情。まるで今までもいたかのような合図を送られると、弓が動きはじめました。僕はただ、その流れるような音色のなかに身を委ねるように、鍵盤を動かしはじめましす。オーケストラの音色のなかに重なるピアノの音色。オケの音を聴きながらピアノの音を聴くことは、家の練習とはまったく別次元。余裕なんてまるでないなか、視界の端のほうで動く指揮棒の動きを感じながら、音の波から落っこちしてしまわないように集中しています。連弾とは違った難しさがあるものの、体がぞわぞわっとするような、心地よい感覚がありました。

「では、明日、よろしくお願いします」

 ピアノ協奏曲も、どうにかJAFを呼ばずに済みました。しかし、すべては本番。そこでどのような音色が奏でられるか。練習の成果がだせるか。家に帰ってからも、ピアノに向かったことは言うまでもありません。これを弾いたらもう寝よう、を何度も繰り返したのち、いいイメージのまま眠りに就くことにしました。

2014年12月29日 18:50

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