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2014年12月29日

第595回「きらきら星はどこで輝く〜第一話〜」

「わたしは、待たせられるのが嫌いなの!」

それが、彼女からいただいた、最初の言葉でした。 コンサート出演のお話が来ているのですけど、とマネージャーから報告されたのはまだ暑さの残っている頃。そういった類のオファーはこれまでなかったわけではないのですが、今回の依頼は、資料を手にした僕の目を丸くさせました。

「マジで!?」

小さい頃からCMなどでも拝見し、日本で最も有名な「世界的ピアニスト」の名前と写真が載っています。まさか、その方のコンサートに呼ばれるなんて。でも、なにをするのでしょうか。

「お二人で、トークをしていただきたいようです」

数千人の前だろうと、神聖なクラシックコンサートだろうと、目下、20周年キャンペーンを開催している僕に、断る理由はありません。ましてや、トークとはいえ、世界的なピアニストの方と同じ舞台の上に立つなんて、お願いしたって叶うことではありません。

「中村紘子さんと共演することになったよ」

すごいことをより実感するために、両親に報告しました。それから日が経ち、徐々に具体的な企画内容が決まってくると、どうやらトークだけではなくなってきました。

「オーケストラバックに、ピアノを弾いて欲しいそうなんですけど…」

汗のにじんだワイシャツをハンガーにかける僕の耳にはいってきたマネージャーの言葉は、そのまま脳を刺激しました。オーケストラといっても、そんじょそこらのそれではありません。泣く子も黙る、東京フィルハーモニー交響楽団。これも、お願いしたってできることではありません。人前でピアノを弾くってだけでも大変なことなのに、オーケストラと一緒になんて。お願いしてできることではないとはいえ、はいやりますと、簡単に応じられるものではありません。そして、先方の指定した楽譜が届きました。

「これならどうにかなるか…」

それは、モーツアルトのピアノ協奏曲第21番の第二楽章。ゆったりと流れる美しいメロディーは、クラシック好きでなくともどこかで聴いたことあるでしょう。遅めのテンポだから簡単というわけではないし、東京フィルさんをバックにというのは相当なプレッシャーではありますが、いわゆるチャイコフスキーとかラフマニノフのコンチェルトの類ではないことに、「努力次第」でどうにかなる範囲だと、判断しました。

「混んでるなぁ…」

本番まであと2か月、僕はその日、スーツで運転していました。というのも、これから本番に先駆けての対談インタビュー。中村紘子さんに直接お会いする日。もちろん、初対面、緊張しないわけありません。仕事を終えてすぐに向かったものの約束の時間に間に合わないということにならないよう、時間は遅めの設定をお願いしていたのですが、彼女はすでに到着しているとのこと。スタッフとともにエレベーターをあがり、静かなラウンジを抜け、扉をあけると彼女は待っていました。

「ずいぶん、待ちましたよ」

最初は、冗談の類かと思いました。

「わたしはねぇ、待たせられるのが嫌いなの!」

一瞬にして、空気が凍結しました。こうなるのが嫌だから、散々言っておいたのに。彼女にまつわる伝説を耳にしていたので、ある程度覚悟していたとはいえ、初対面で浴びる世界的ピアニストの言葉にしては痛烈すぎます。憧れの存在の方は、すっかり機嫌を損ねていました。

「はい、じゃぁ、写真とりますね」

こんな空気のなかで、インタビューと撮影が進められます。笑顔の写真なんて撮れるわけないだろうと思っていたのですが、会話を進めるうちに、氷が解けていくように、場も和みはじめ、ときおり笑い声が聞こえるようになりました。それどころか、 「それじゃぁ、連弾しましょうよ!」 なんだか、いろいろ起こりすぎて、うまく受け身がとれません。無理ですなんて到底いえません。なにより、こんなにも場が和んでいるのですから。終わる頃には、「これ、おいしそうだから買ってきたの」と、みんなにお菓子を配っています。その様子は、貫録こそありますが、少女のようでした。 それから数週間がたち、連弾用の楽譜が届きました。すぐに向き合ってしまうと、ほかの仕事に影響してしまうから、あとひと月を切ったら楽譜を開こうと決めていました。そして、11月になりました。

「大変なことになった…」

僕が目にしたのは、うねるように音符が入り乱れる、想像以上に難解な楽譜でした。

 

2014年12月29日 18:44

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