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2014年12月29日

第593回「あの素晴しい愛をもう一度」

 厳密にいうとそうではないのですが、心境としては、「人生初のカヴァー」。既存の楽曲のリミックスやアレンジをしたことはこれまでに何度もあるけれど、自ら唄うことは初めてになります。自分でも、まさかカヴァーをするなんて、ましてやこの曲を歌うなんて。

 ある曲が頭から離れず、しばらくリピートされてしまうことはみなさんも経験あるでしょう。耳に届く音はたくさんあるけれど、なぜか通り過ぎない曲。心の隙間にはいってしまうのか、よほどキャッチーでインパクトあったのか。テレビで一瞬ながれたフレーズ、ラジオから聞こえてきた唄声、お店で耳にした曲。どこから届いたのかわかりませんが、そのとき、僕の頭から離れなかったのが、この曲だったのです。

 合唱コンクールで唄ったという人もいたり、いまでもCMで使用されるほど、この国で親しまれているこの曲は、フォーク・クルセイダーズの名義ではなく、北山修&加藤和彦の名義であることは、ご存じの方もいるかもしれません。「フォークルは、日本のビートルズだ」なんていう人もいますが、オフコースで育った僕は、能動的にはあまり通過せず、サディスティック・ミカバンドのレコードもCDも持っていません。いわゆる、日本人が平均的に耳にする程度でしか馴染みはありませんでした。しかし、前述のように、妙に気になって、いてもたってもいられず鍵盤に向かった僕は、衝撃を受けるのです。この曲、やばいと。

 コード進行こそ決して珍しいものではなく、いわゆるフォークでは定番のものかもしれませんが、その上で流れるメロディーラインと、握り寿司のようにその上に乗せられた歌詞が、とてつもなくやばいのです。理屈や好みの問題ではありません。このメロディーラインを耳にしたら、間違いなく言葉がついてくる。どうやっても切り離すことができない。一度耳にしたら、しばらく頭の中からでていってくれない。あらためて、この曲の素晴らしさ、この曲の力を実感したのです。

 この曲に対する想いがあふれてきました。ありあまる情熱。もう、やるしかありません。楽曲の音源を揃える高い壁を見上げると、気持ちはリミックスよりも、カヴァーのほうに向けられました。許諾などの手続きは必要ですが、最悪許諾が降りなくても、車の中で聴ければいい。では、誰がカヴァーするのか。あのやわらかく、味のある声の持ち主は、どこにいるのか。

「ここにいるじゃないか!」

 まさか、自分の体に白羽の矢が立ちました。女性に唄ってもらっても面白いし、これだけ選択肢がある中で、なぜ、自ら唄おうなんて思ったのか。それは、自分の声や唄に自信があるわけでも、過大評価しているわけでもありません。僕自身が、この曲の世界に入り込んでしまったから。抜け出せないほど、好きになってしまったから。この曲に対する愛情が一番大切だと思ったから。

 そうしてできあがった「あの素晴しい愛をもう一度」は、ミラーボールとの親和性はバッチリ。車内でもヘビーローテーションとなりました。車内で自分の唄った曲をガンガン流しているなんて、どれだけ自分が好きなんだと思うかもしれないですが、オリジナルも含めてどうか聴いてみてください。本当に素晴らしい唄。日本の唄を、クラブで流せることは大変嬉しいこと。こうやって、この曲が、時代を越えて語り継がれること、世界が、愛に包まれることを願って。

2014年12月29日 18:41

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