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2014年12月29日

第587回「たとえそれが油揚げでも」

 ご存じの方も多いかと思いますが、僕はポイントカードが苦手です。厳密に言えば、ポイントを付け忘れたときの損失感や、期限が迫ってくる焦燥感など、「ポイントに振り回されてしまう自分」が嫌なのです。だから、なにかとポイントカードを薦めてきたり、頻繁に有無を問われる風潮は、僕にとってストレス以外のなにものでもなく、コンビニのレジで毎度首を横に振る「否定の日常」に嫌気がさし、最近では聞こえないふりをするほどにまでなりました。いったいどこまで訊ねるのか。いつまで訊き続けるのか。このままでは、病院や警察、消防署や救急車にまで、「T」のマークが付けられてしまうのではないか。棺桶に入る際にも訊かれるのか。それほどまでに、ポイントカードを苦手な僕が、「もうポイントカードは作らない」と強く決めていた僕が、先日、ポイントカードを作ってしまいました。

「ポイントカードはじめたんですよ」

 それは、近所の商店街にたたずむ、一件のお豆腐やさん。そう伝えられたときは、「いよいよ、こんな小さな豆腐屋さんにまで魔の手が届いてしまったのか」と、少し悲しい気分になってしまいました。こんなものを作らないといけないほど苦しい状況なのだろうか。「T」の印こそないものの、紙でできたポイントカードがすんなりと財布の中に入りません。

「待てよ…」

 ポイントが溜まったらどうなるのだろう。そのことについては何も書いてありません。ただ、ラジオ体操のように朱いスタンプが押されるだけ。期限もなければ、どんな特典があるかも記されていない歯医者の診察券のようなこの一枚の「ポイントカード」に、スタンプがたまった「そのとき」に対する期待が膨らんでいました。

 そんな気持ちが後押しして、毎朝、豆乳を買いに行くようになりました。朝のお豆腐屋さんで手にする豆乳はまだあたたかく、冬になっても続きそうです。あるときは、ひじきやかぼちゃの煮つけと一緒に。納豆にしてもそうですが、お豆腐屋さんにある惣菜の説得力の高さは尋常じゃありません。スーパーに並んでいるそれらに比べると、もう輝きが違います。あの冷蔵庫のなかは、僕にとっていまもっとも熱い場所。さらにいえば、かぼちゃ自体のポテンシャルの高さ。決して嫌いではないけれど、特に言葉にしてこなかったかぼちゃがここへきて、こんなにもおいしいものだったなんて。おいしく煮えたかぼちゃはやわらかくて甘く、さつまいもや栗どころの騒ぎではありません。もはや、スイーツの域に達しています。ごはんとの親和性が低いと揶揄されることもあるかぼちゃですが、正直、ごはんとともに歩むタイプではないのです。パンプキンスープやかぼちゃぷりん、かぼちゃの馬車はなるべくしてなったのです。

「もうできてるよ」

 おかげさまで、ポイントが完了するまであと少し。果たして、どんな「特典」が待っているのか気になるところですが、このスタンプをためる日々が僕に素敵な朝をプレゼントしてくれていることは間違いありません。たとえそれが、油揚げだとしても。

2014年12月29日 18:31

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