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2014年12月29日
第577回「日常を支えるもの」
この度、NHK-FM「きらクラ」が放送100回目を迎えることになりました。「いつも通りに勝るものなし」と言っていたものの、やはり「100」という数字の魔力に屈し、特別なことをやりたくなりました。そうして「いつも通り」をリスペクトしながら開催された100回目の放送は、「ふかクラご愛まつり」と称して、僕の選曲でお送りしました。
好きな曲を好きな順番で放送する、こんなに贅沢なことはありません。実際、J-WAVEのロケットマンショーでは、毎週、贅沢しているのですが、場所が変われば話も変わる。これをNHKの番組で、ましてやクラシック番組でとなると、そう簡単にできるものではありません。そういう意味もあり、「念願の」ふかクラが実現できたことにとても感謝しているわけです。
ただ好きな曲を流すといっても、やはり、順番や構成を無視するわけにはいきません。コンピューターがシャッフルして流してくれるわけではありませんし、そもそも無数の好きな曲から10曲程度に絞る作業は、思い入れが強いほど難易度は高く、どこかで割り切らないと、いつまでたっても決まらない状況が続いてしまいます。そんな状況も心地いいのですが、今回は、どうしてもかけたい曲をひとつ定め、そこから7並べのように広げていくような感覚でセレクトしました。そうして収録された「ふかクラ」。終わってみれば、横の「お寿司」にまったく手を付けられないほど夢中になり、胸がいっぱいになる2時間になりました。
「我が選曲に一片の悔いなし」
好きな曲を集めたカセットテープではありません。最後の曲が流れたとき、パーソナリティーとして、DJとして、放送として、素直にそう思えました。しかし、思わず口からこぼれたこの言葉も、100回に一度の機会だから。これが毎週となったとき、そうも言っていられません。つまり、たまの一回なんて、誰だってできるのです。大変なのは、通常の方。100回記念に「俺にもやらせて!」としゃしゃりでてきてそこそこの結果をだしたところで、そんなものは偉業でもなんでもありません。なんの節目でもない回をいく度も重ねることのほうがよほど偉大で大変なのです。「通常回」という受け皿がなければ、「特別な回」はあり得ないのですから。日常を支えているものこそ偉大なのです。 テレビのなかでもそう。ズバズバ言う人がとても目立っているように見えますが、彼らの周りには必ず脇役がいる。必ず受け皿が存在する。そんな、目立たない存在こそ偉大なのです。
「日常を支えるものこそ偉大」
まわりを見渡したとき、あたりまえな顔をして存在しているものこそ偉大であり、感謝すべきもの。幸福は日常そのものであって、日常を形成するものにこそ感謝すべきなのです。だから、100回目よりも、通常回で選曲している何気ない作業こそ偉大な苦労の賜物。そんな気持ちになれる節目にしたいと思っています。それでは、次回、「まりクラ」をお楽しみください。
2014年12月29日 15:51