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2013年06月09日

第533回「たそがれ時がくれたもの」




 それが意外なことかわからないし、あまり胸を張っていうことではありませんが、基本的に僕は、すぐ帰ります。仕事が終わると、真っ先に家に向かいます。現場が嫌なわけでも、かわいい奥さんや子供が待っているわけでもありません。ただ、家に帰りたいのです。お蕎麦やさんやうどんやさんに寄ったり、お惣菜を買いにスーパーやお弁当屋さんに寄ったりはしますが、基本、家にいたい人間なのです。家でやりたいことがあるのです。曲をつくったり、文章を書いたり。それこそ、飲みにいったり、もっと社交的にならなければと思う時期もありましたが、結局こういうところは変わりませんでした。やがてはそんな生活がやってくるかもしれませんが。おかげで、僕なりに規則正しい生活を送っているわけです。




そんな仕事からの帰り道に、必ず遭遇するものがあります。毎日、車から見える風景。





「今日もやってる…」





それは僕の家まであと5分くらいという場所、信号待ちのときにかならず見かける光景。夕方になると現れるそれは、素振りをしている少年です。





家の駐車場で黙々とバットを振っています。どれくらいの時間やっているのかわかりませんが、信号で停まると必ず素振りをしています。小学校高学年か、中学生といったところでしょうか。ジャイアンとはいかないまでも、柔道部のような体が、昭和の子供のように、こんがり日焼けしています。一瞬目が合うと、照れくさそうなその表情から、あどけなさが浮かび上がります。





引っ越してから、幾つかのルートを試し、次第に落ち着いた道順で出会う少年。まだ暗がりの中だった彼の姿も、いまでははっきり見えます。もしかしたら彼も、学校のあと、すぐ帰ってくるのでしょうか。





いつか甲子園に出場し、プロの球団に入団、そしてメジャーへ。僕がいま、もっとも応援している野球選手こそ、あの少年でしょう。でも、声を掛けたりはしません。ただ、信号待ちの数秒間、素振りをする彼の成長を見守ります。





「ジャイアンがさぁ、家の前で素振りしているの、よく仕事帰りに見てたんだよ!」





いつか、そんな話をするときが来るかと思うと、ますます帰るのが楽しみになります。お互いすぐに帰ってくる者同士、畑は違うものの、良きライバルかもしれません。黄昏時がくれた風景。それは、僕に力を与えてくれました。





 



2013年06月09日 00:16

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