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2013年06月03日
第532回「わかりすぎる世の中へ」
「ジュピター」ばかりが目立っているホルストの「惑星」は組曲なので、実は、水、金、土星と、木星にも劣らぬ壮大な曲が存在していることは、あまり知られていません。日本では歌詞をつけて歌われることもあるので、なおさらほかの惑星との差が開くばかりなのですが、この組曲に参加できなかった「惑星」もあります。ホルストが目を向けてくれなかった惑星。そうです、私たちの住む地球。彼は、地球には曲を作らなかったのです。
ホルストはなぜ、「地球」を作らなかったのか。それは、「知っているから」。もちろん、ホルスト本人に聞いたわけではありません。しかし、知っているがゆえに、イメージが膨らまない。情報があるがために、思考が広がっていかない。先輩のサッカーの練習姿を眺めているときがもっとも恋心を燃やすのと同じように、知らないほうが、輝いて見えるのです。
現代社会は、いわば、このような状態と言えるのではないでしょうか。インターネットが普及し、誰もが簡単に発信、受信できるようになったがために、なんでもかんでも、すぐに知ることができるようになってしまった。人が、何を気にしているのか、わかるようになってしまった。それまでは、知らなかった分、想像で遊べた場所が、情報というコンクリートで埋め立てられ、自由に解釈できなくなってしまった、発想の自由度が著しく低下してしまったのです。
知ることは素晴らしい、けれど、知りすぎてしまうと、とても窮屈になる。知らないことは悪いことではなく、むしろ心地よい時間なのに、それらがあっという間に塗りつぶされてゆく。ましてや、知りたいことならまだしも、知りたくもないことまで知らされていては、嫌いなピーマンを口に押し込まれるようなもの。それでは、居心地も悪いはず。また、いちいち周囲の顔色を窺いながら生活していては、自分の顔色が悪くなってしまうのも当然のこと。
人類は、どこまで知ればいいのでしょう。生まれる子供のことも、どんな夢を見ているのかも。人類を破滅に追いやるのは、情報なのでしょうか。ちょうどいい具合で止めることはできないのでしょうか。
ちなみに、ホルストが作曲していない惑星はもうひとつあります。それは、冥王星。この組曲を作曲した当時は、まだ、発見されていなかったのです。ガリレオが証言台に立った頃のように、どんなに時代は変わっても、人類は常に、なにかを知らない。知らないことが、生まれては消えてゆく。では、現代の人々が知らないことはなんなのか。その存在を知らなければ、知らない状況にあることすら認識できません。知らないことを愉しむこともできない。人類が知らないこと、それは宇宙規模のものだけに限らず、身近な場所にも存在しています。知りすぎた社会、わかりすぎる社会が、人を窮屈にする。わからないものこそ、惑星の輝きなのです。
2013年06月03日 08:25