« 第529回「ラーメンとカップラーメン」 | TOP | 第531回「それをガチモードと呼ぶ」 »
2013年05月19日
第530回「それがマイノリティーだとわかったうえで」
「映画10000本見放題!」というフレーズになんの魅力も感じないどころか、むしろこういったものに恐れを抱いてしまうのは、僕は、足りない世界にこそ満足感があり、満たされない世界にこそ輝きが生まれると思っているから。なんでも簡単に手に入る環境が、人を不幸にしてしまうと思っているから。
たくさん汗をかいたあとだからビールはおいしいし、プールの大きさのプリンはクソまずいもの。簡単に手に入れたアカデミー賞作品よりも、初めてのデートで観に行ったクソ映画のほうが、価値はある。記憶と感情は密接につながっていて、感情が強いほど記憶は深く刻まれる。飛行機のなかで観た映画が長く残るのも、旅の途中だからかもしれません。
一万本観られる環境を手に入れる、ということはつまり、そういうことで、映画と決別するようなものなのです。見放題は決して、本当の快楽ではなく、苦悩なのです。水や空気のように、常に映画を観ていないと死んでしまう人以外は、無限という地獄のなかで、もがき苦しむだけ。
もちろん、人の生き方は自由だし、なにを幸福に感じようが、不正解はありません。おそらく、僕のような考え方のほうがマイノリティー。しかし、一万本観られることの方が幸福だと思っている人たちと、一万本観られることは不幸だと感じる人たち、どちらの考え方が争いを生むのでしょう。
すべて満たされたいと思っていたら、それはやがて、衝突を生みます。満たされないことが幸福だと思っている人は、どんなに幸福を追求しても、どこにも衝突しません。しかし、多数派は前者。多数決でだされた答えなんて所詮、そんなものなのです。
やがて地球は太陽フレアによって、いま手にしているケータイ・スマホが単なる鉄の塊になります。実は、鉄の塊のほうがまだましで、現在のはかり知れない機能を備えている状態の方が、むしろ人間を苦しめています。そんなインターネット時代を謳歌するあの微笑みは、僕には悪者に見えてしまう。悪の微笑み。悪を倒すのは、「カギリスト」です。無限の世界に限りをつけてくれる人、「カギリスト」が必要なのです。一万本観ることよりも、最高の一本に出会うことのほうが人生には大切。これからの時代は、「見放題の環境」よりも、「一本を提示してくれる人」が求められるのです。それこそまさに「カギリスト」。この世を救う正義のヒーローは「カギリスト」なのです。
2013年05月19日 11:13