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2013年05月19日

第529回「ラーメンとカップラーメン」




 いまさらですが、僕はカップラーメンが好きです。おそらく嫌いな人もあまりいないのではないでしょうか。世の中のほとんどの人がカップラーメンが好きで、実際、世界でもっとも多く食べられているラーメンがカップラーメンのようです。





ちょっと小腹がすいたとき。深夜、いま食べたらよくないなぁと思いながらすするカップラーメンは、罪悪感さえもスパイスとなり、格別の味。ときどき食べるからさらにおいしく感じられます。幼少期の頃から親に「カップラーメンは食べちゃダメ」と散々言われたから、いまでも僕は、深夜であろうとなかろうとどこかに罪悪感はあるのですが、プラスチックの容器にはいった独特の麺とスープは、いわゆるどんぶりにはいったラーメンとは違った味わいがあります。そしてなんといってもあの手ごろさ。お湯さえあればいつでも簡単に、即座に食べることができるカップラーメンが、どれだけ多くの人々の胃袋を、生活を支えてくれたことでしょう。





と、いまさらながらカップラーメンの魅力を語るのは、ひとつ、気になることがあるからです。





それは、「カップラーメン」と「ラーメン」の区別です。どんなに「カップラーメン」が愛されようと、進化しようと、ラーメンとは別のものということを忘れてはいけません。「ラーメン」と「カップラーメン」、ふたつを同じ土俵にあげてはいけないのです。だから冒頭で述べた、「世界でもっとも多く食べられているラーメンがカップラーメン」は間違いで、比較してはいけないのです。しかし、だんだんその区別がつかず、境界線が曖昧になり、気づいたら、世の中、「カップラーメン」ばかりになってしまいました。





「カップラーメン」ばかりの世の中で、「ラーメン」がまっとうに評価されない。多くの人に伝わらない。もちろん「カップラーメン」がいけないわけではありません。どちらもこの世には必要です。なにが「ラーメン」で、なにが「カップラーメン」か。それこそ非常に難しい基準でしょう。しかし、消費された数だけで計っていたら、「カップラーメン」だらけになってしまうのも当然。そして、「カップラーメン」を「ラーメン」だと思いながら食べている人がいる。「ラーメン」を知らずに、「カップラーメン」を本物だと思っている。そうした人たちが増えれば、「カップラーメンの世界」になってしまう。





「ラーメン」と「カップラーメン」。「カップラーメン」ばかりの世の中で僕は、「ラーメン」を食べたい。「ラーメン」を作りたい。





 



2013年05月19日 11:10

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