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2013年03月11日
第522回「それが終わりの始まりだとしても」
もうご存知の方も多いかと思いますが、僕が司会を務めているMXテレビの「5時に夢中!」が、このたび、関西でもネットされるようになりました。神戸のサンテレビと、KBS京都。まだ都内でも知らない人が多いなか、これはまさに寝耳に水といえるでしょう。
これを朗報と捉えるか、悲報と捉えるかは人それぞれの解釈で、昨年の4月から担当したばかりの僕があまり偉そうなことは言えませんが、畑で作った野菜をたくさんの人に食べてもらえるのが農家の人たちの喜びと同じように、番組も、一人でも多くの人に観てもらうことが最大の喜びのはず。この知らせを聞いて嬉しく思わない人は番組関係者の中にはいないと思います。本気かどうかはわかりませんが、プロデューサーの「目標は全国制覇!」というインタビュー記事での言葉は、あながち悪ふざけでもないような気がしてきた昨今、もはや甲子園で日本一を目指す、高校球児のような心境になってきました。
この番組が関西の人たちにどのように映るかはわかりませんが、関西弁こそ使用しないものの、決してこれが関東の味というわけでもありません。関西にもきっと、好きになってくれる人はいるのではと思いますし、下世話な感じはむしろ受け入れやすいかもしれません。
MXだから、そして全国ネットじゃないからできたこと、そういったものがたくさんあります。また、深夜番組がゴールデンになる際に、時間帯などを加味した結果、濃度が薄まり、面白味が半減してしまうケースもあります。しかし、予算などが大胆に増えるわけでもないと思いますし、コメンテーターの方たちも、ネットが増えたからといって言動を制限することはないでしょう。発信する側にはなんら大きな変化はないだろうと思います。唯一、変化があるとすれば、受信側、観ている人たちの心境です。
「自分だけが知っている」という気分は、エンターテイメントのなかでとても重要な魅力のひとつ。誰もが知っているよりも、自分だけの楽しみのほうが、気分は高揚するのです。それが、徐々に薄まっていくことは、「面白い気分」をどうしても奪ってしまいます。まだ全国を制覇したわけではないので、危惧するのは早いかもしれませんが、同じ内容でも、少人数のときのほうが楽しい気がするのです。だからきっと、いまが一番「楽しく感じられる」時期なのでしょう。
予算もない、知名度もない、そんな「ないないづくし」の世界は、とても愛にあふれています。一人一人が貴重で、一人一人の力が必要。そして、歯に衣着せぬ清々しいコメンテーターの皆さんの言葉は、メディアのジレンマを大きく突き破ってくれるでしょう。MXだからできること、それは決して、悪いことではありません。自分たちが正しいと思っていること、自分たちが面白いと思っていることを、そのまま届けている、極めて当たり前のこと。この番組が全国に広がるかどうかが、テレビの寿命を左右すると言ってもいいかもしれません。
ネットが増えたことは、この番組が、ミニマムにとどまらず、メジャーを目指す方向に舵を切った証。それが実現できるかできないかはあくまで結果論であって、こんな楽しい気分にさせてくれる番組に出会えたことは本当に感謝に尽きます。甲子園の高校球児のように、全国制覇を目指して汗をかきたいと思います。たとえそれが、終わりの始まりだとしても。
2013年03月11日 13:56