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2012年10月14日
第505回「colors of iceland〜アイスランド一人旅2012〜」
第4話 missはこんなときに使うのか
「うそでしょ…」
それは衝撃の告白でした。彼女の口から飛び出した言葉は、一瞬にして僕の体を固まらせました。
「quit!(やめたわ)」
そのあっさりとした歯切れの良い響き。日本からはるばるやってきた旅人にとってあまりに受け入れがたい現実。
「こ、この一年の間に、ですか?」
「えぇ、そうよ!」
「一頭も?!」
「えぇ、やめたわ!」
海に沈む夕日に照らされる牧草地帯のマシュマロたち。あのとき目にした光景が忘れられなくて、持ち帰りたくてやってきた一年ぶりの場所。そんなことも知らずに彼女は、やめてしまったのです、羊たちを飼うことを。坂道を降りる際に、おかしいなとは思っていたけれど、まさかこんなことになっているなんて。昨年は教会のまわりにもたくさんのいたのに。さすがはサンセットママ。行動がまったくよめません。彼女もきっと、この旅人が、夕日よりも羊たちに会いにきているとは思っていないでしょう。どうしてやめてしまったのか。いったいこの一年になにがあったのか、訊いてみたいけれど、さらに胸を痛めるのが怖くて訊けません。
「I miss sheeps…」
体のなかからでてきた言葉。このときはじめて「miss」の本当の意味を知った気がします。近所で飼われている犬がある日突然いなくなってしまったようで、なんだか無性に寂しくなってきました。
「ごめんな、いまの僕にはキミたちを心の底からかわいがる余裕がないんだ…」
2匹の大きな犬が、これでもかと懐いてきます。
「そうだ…」
あの場所にいけば会えるかもしれない。僕は車でラートラヴィヤルグを目指しました。それは地の果てを思わせる断崖絶壁。過去に何度か訪れましたが、そのときも振り向けば羊たちがいました。夕日を見にいってくると言って、ホテルをでます。太陽が水平線に近づくとともに、一面がオレンジ色に染まってきました。
「いない…」
いるのはまあるい太陽のみ。以前もそんなに数はいなかったけれど、たしかにいました。地面には彼らが残した黒い豆が散乱しています。どこかにいってしまったのでしょうか。風が激しく煽っています。
「I miss sheeps…」
僕はただ、海にとけてゆく夕日にレンズを向けることしかできません。
「お味はいかが?」
昨年と同じ場所で夕日を眺めながら夕食。僕以外にはまだだれもいません。映画のセットのような教会。建物に描かれたサンセットのイラストもオレンジ色に染まっています。ここにマシュマロたちがいたらどんなに幸せなことか。海辺の牧草地帯に羊たちが浮かび上がってきました。
「ほーら、覚悟しなさい!」
サンセットママが羊たちを追い込んでいます。
「いまからあんたたちを食べてしまうからね!無駄な抵抗はやめるんだよ!!一匹残らず食べてしまうから!!」
うなされるように目を覚ますと深夜1時。昨年はこの場所で2時間ほどのノーザンライツが上映されました。天気もいいし、今日もひょっとしたら見られるかもしれません。
「そううまくはいかないか…」
気持ちがそうさせているのか、うす〜い膜が空を覆っているようだけれど、いわゆるオーロラとは呼べなそうです。そして旅人は、夜が明けるのを待たずに出発しました。
「残念だったね」
「いや、ほんとだよ。まさかやめるなんて…」
「いろいろあるんだね」
「せめて今日まで待ってくれたらよかったのに」
朝がはじまろうとしていました。
2012年10月14日 13:30