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2012年05月13日

第487回「光は影を知らない」

  校門をでると神宮球場が見える。この脇を抜けると緑に囲まれた一周2キロ弱のジョギングコース。噴水から246までまっすぐのびるイチョウ並木が四季折々の表情を見せてくれるのにどこか異国の香りがするのはきっと正面の絵画館のせい。ここはいつも都会の中心にしてオアシスのような穏やかな空気が流れている。外苑前の駅までは歩いて7、8分。秩父宮ラグビー場や日本青年館などもあるので、日によっては大量の人の波に逆らいながら駅に向かうこともある。駅に近づくほどに、なんというかそのオシャレさは薄まり、ラーメンやカレーの匂い、古びた雑居ビルなど、ごちゃごちゃっとしたなかに、駅の入り口が現れる。表参道や青山一丁目に挟まれたその駅は、いまでこそこぎれいになっているものの、あのころはただただ地味な駅で、地下に降りる階段やホームはどこか薄汚れて埃っぽかった。

「今度大会があるんだよ」

はやく部活が終わった方が下駄箱で待つ、それがふたりの約束。もちろん、ケータイもメールもないから、待つときはただ待つしかない。それでも高校生の僕たちにとっては、なんの問題もなんの苦もなかった。むしろ、待つことがしあわせだった。

銀座線で二駅。当時は一瞬車内が暗くなったけどいまはどうなのだろうか。そして渋谷に到着する直前の、地下から地上にでる瞬間。あの、暗闇から明るみに出る瞬間が好きだった。突如現れる渋谷の街。いまにも音がきこえてきそうな、きれいでも汚くもない、ただ闇雲に光り輝く街。そういえば、児童会館にいって勉強したりもしていた。小さな靴屋さんにはいったり、原宿に抜ける細い道をただ歩いたりしていた。

年季のはいった車両をでると、滝のように人の波が流れ落ちる階段。そこから無造作にのびる渡り廊下は、窓から明治通りが望めるものの、照明の少ないトンネルのように、なにかを期待させるわけでもない、ただ灰色の空間。

「ここはいつも空いているね」

入り口からしてその百貨店という言葉の雰囲気からかけ離れた色合い。正面玄関じゃないとしてもさすがにダサすぎる看板。行きつけの本屋さんはたしか5階にあって、階段を使っても、エスカレーターを使っても、共通しているのは、そのさびれた雰囲気。だれも買わなそうな婦人服の柄。彼女がどう思っていたかはわからないけど、僕は、ここが好きだった。ウィンドウショッピングをするように、本屋さんをうろうろしていた。音楽の流れない静かな書店。さびれた百貨店。日本で一番賑わっている街にして、時代に取り残されたような色と静寂。薄暗いこの場所は、この街が放つ光によってできた影のようだった。でも、僕たちには、それでよかった。

「じゃぁ、また明日」

 朝8時11分の電車が待ち合わせ場所。僕は東横線へ、彼女は井の頭線の改札に向かう。汚い字で署名してあるペラペラの定期券。何回か見送ったことのある井の頭線の改札は、いまのようにきれいじゃなくて、なにかあったかのように混雑していた。

「すごい人だ…」

 僕と彼女の放課後の分岐点だった、だれもいない本屋さんは、いま最も注目される商業施設へと生まれ変わって、僕の目の前で、まぶしいくらいのヒカリを放っていた。人の少ない百貨店と目も当てられないほどのダサい婦人服が並んでいた場所が、時代の先端になるなんて。こんなにも人が集まる場所になるなんて。

「ここに屋上があったらいいのにね」

あのころの僕たちには、ちょうどいい場所だった。薄暗い感じが好きだった。部屋に差し込む光の向きが変わるように、この街をゆっくり移動して。光は影を知っているのだろうか。いま、影はどこにあるのだろうか。

 

2012年05月13日 00:29

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