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2012年04月15日
第483回「kのこと」
kは嫌われていた。女子からも、男子からも嫌われていた。本人が気づいていたのかわからないけど、クラスのなかでのけものにされていた。なにをしたわけでもない、ただ、ちょっと不潔だった。臭かった。たしかに近くにいると独特の臭いが鼻を刺した。席替えで隣になると、女子は悲鳴をあげた。露骨に嫌な素振りを見せた。だから、kと二人組になるのは罰ゲームのようなもので、kがさわったものは「k菌だ!」と女子たちが騒ぎ立てた。
僕はといえば、そんな空気を打ち破るように、「お前ら、いい加減そういうのやめろよ!」と、ドラマに登場するような生徒、ではなかった。むしろ僕もkを嫌っていた、というより、kを嫌っているフリをしていた。露骨に否定することこそなかったものの、彼を擁護するようなことも言えなかった。積極的に仲良くしようとは思わなかったし、たしかに彼のがさつで不潔な部分は苦手だった。kの服はいつも汚くて、果たして着替えているのか、洗っていないのではという噂も流れていた。でもたぶん、理由はそこではなかった。嫌いなフリをしていたのは、自分を守りたいからだった。みんな、自分が嫌われたくないから、自分を守ることで精いっぱいだったから、kを守る者が一人もいなかった。
kはよく、にわとり小屋にいた。飼育係だったからか、だれも入りたがらないフンだらけの小屋にいた。にわとりを素手で掴むkを、網越しに眺めていた。kは、下の学年の生徒とよく遊んでいた。河川敷に釣りにいって、見知らぬ生物を教室に持ってきては、水槽のなかにいれていた。
一度だけ、kが泣いているのを見たことがあった。他のクラスの生徒と喧嘩をして、みんなが見ている前で涙を流していた。味方はだれもいなかった。僕にはそれが、悔し涙に見えた。
卒業文集に、なんでもナンバーワンというコーナーがあった。誰もがなにかしらナンバーワンを持っているという趣旨。kは「動物好きナンバーワン」だった。苦肉の策だったのかもしれない。
kは嫌われていた。僕も嫌いなふりをしていた。そのほうが楽だった。自分が嫌われずに済んだ。そうやって、自分自身を守っていた。人は誰しも自分がかわいい。自分が大切。でも、嫌いなふりをしていた自分をいまは好きになれない。
結局あの教室に、kが好かれる日は訪れなかった。僕たちは清々しい表情で卒業し、kは嫌われたままだったけれど、美しいのは僕たちではなかった。本当の「美」は、kのなかにあった。そのことに気づくことができなかった。
あれから30年。ときどき、kのことを思い出す。kのことを思うと涙がでそうになるのはどうしてだろう。いまはただ、kが笑顔でいることを願っている。
2012年04月15日 00:37