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2012年04月01日
第481回「光と色のはなし」
「それは、青い光が反射しているからだよ」
海が青い理由は比較的語られるのに対し、りんごが赤い理由はあまり言及されないのはどうしてでしょう。海面に反射する光が人間の目に届いたとき、海は青く映る。だから海は青い。それと同じように、りんごも赤の光を反射するから人の目には赤く映る。だから、りんごは赤い。りんごだけでなく、木々の緑も、夕焼けの赤も、雲の白も、すべてがそう。この世に存在する色はすべて光の反射によるもの。だから、乱暴な言い方をすれば、色なんて存在しない。人間の認識のなかでのみ存在するそれを色と呼んでいるだけで、物質それ自体が色を帯びているわけではない。これは、地球が回っていることくらい大切なこと。光がなければ色は存在しない。この世界は、光が彩っている。
布団のなかでりんごを見たとき、それは赤いりんごが見えないのではなく、そのときりんごは赤くない、ということ。光のない世界に色は存在しない。いや、光が反射しないと色は生まれない。つまり、世界は、単なる光ではなく、「反射した光」で彩られている。
すべてを吸収すると黒になり、すべてを反射すると白になる。反射した光がその物質を彩る、それは何を意味するのか。
きっとそれは、光だけではないのでしょう。言葉も、音も、絵画も、すべて、なにかに反射したとき、つまり、だれかに届いたときにはじめて色になる。音が音であるのは、言葉が言葉であるのは、人に届いた瞬間。人の感覚を刺激したとき、はじめて、それが存在する。だから、人も、だれかに届いたとき、はじめて人であるのではないだろうか。一人でじっとしていても、存在すらしない。温度もそう。物質にしか宿らない。なにかにぶつからないと温もりさえ、存在しない。
アメリカ人もインド人も、空が青く見えていることは、あたりまえなようで実は奇跡なのではないでしょうか。空が青いという人類共通の認識。なかでも、日本人は色の識別能力が高いようで、諸外国の人々よりも、細かく色を識別できるのだそう。だから、もえぎ色だとか若草色という言葉があるのです。また、虹を3色で描く国もあるそうで、同じ人間でも、空は青いものの、必ずしも全く同じに見えているわけではないのです。犬の世界はすべて白黒なのはご存知でしょう。
「どうして海は青いの?」
人間の目がそれを、赤く認識していたら。もしも空が赤かったら。僕たちには、素晴らしい色が与えられている。海が青いのではなくて、青く感じられる力を与えられている。
人類はまだ、太陽と同じ光を創造することはできません。この世に光を与える太陽を見てはいけないのはどうしてでしょう。もしかしたら、反射した色を見て欲しいのかもしれません。太陽は、月を見て欲しいのです。僕たちが光なら、世界に色を与えられるそれでありたい。
2012年04月01日 00:06