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2012年03月04日
第477回「パイとタルトとマトリョーシカ」
第七話 おとしもの
「いまのうちだっ!」
マトリョーシカのお腹が持ち上がると、なかから小さなマトリョーシカがでてきました。
「はやく、はやく!」
「ちょっと押さないでよ!」
お腹のなかで、渋滞が起きています。
「ここのベッドふわふわだー!」
「こら、遊んでる暇はないんだよ」
部屋の主は出掛けているようです。
「それにしても単純なやつだな」
「あんなに成功すると思わなかったよ。すっかり魔法にかかってる」
「ほんと、鈍感だよ」
「じゃぁいまのうちにかけちゃって」
マトリョーシカたちは枕を囲みました。
「おい、はやく!」
「あれ?」
「どした?」
「ないんだよ」
「ないってなにが?」
「呪文の紙…」
「え?紙見ながらだったの?」
「おかしいなぁ」
でてくるときに落としてしまったのでしょうか。ほかのマトリョーシカのお腹を開けてはのぞいています。すると、ドアが開く音が聴こえました。
「やばい!帰ってきた!」
「いやぁ、おいしかった!」
唇がフランクフルトで輝いています。幸せはお腹を空かせるのでしょうか。
「ラエコヤ広場さいこー!」
寄り道3日目の今日も旧市街の中に位置するホテル。いままででいちばん乙女度の高い雰囲気で、絵本のなかにいるよう。40歳がみえていたというのにこんなところに泊まっていいものかと一抹の罪悪感すらありながらも、きっと嫌いではない2012年冬。昼間にして、窓から中世の街並みを感じながら部屋にこもっているのもなかなかたのしいものです。
「あれ?」
ベッドの下になにか落ちています。
「まずい…」
慌てて隠れたマトリョーシカに、大きな足が近づいてきます。そして大きな手が伸びてくると、掴んだのは一枚の紙切れでした。
「あ…」
「なんだ?」
そこには見たことのない文字が記されていました。
「ほんと、これ最高!」
洞窟のなかのパイのお店は今日も窯の熱で眠そうになるくらいぽわんとあたたまっています。ほかにも焼けていたようだけど、今回もアップル。焼きリンゴの酸味と甘みとともに、パイのサクサクが舌を刺激するひととき。このパイはどれくらい前から焼かれていたのでしょうか。蝋燭の火が揺らす店内。暗くて何色なのかさえわからないスープがさらにからだを熱くします。
「ちょっと、どうすんの!」
「なんで落としたの!」
「だいたい、紙みてる段階でおわってるわ!」
下から3番目のマトリョーシカが責められています。
「っていうかさぁ、あんな紙切れ持っていく?」
「読めないんだし、普通捨てるでしょ」
「財布のなかに入れてたね」
「お守りじゃないんだっつーの」
窓から光が差し込んでいます。
「やるだけやってみたら?」
「無理だよ、そんなの」
「お前はそうやっていつも決めつける。あんなものなくったって平気なんだよ」
「無理だって…」
周りに煽られて、呪文を唱えようとするものの、途中で言葉がつまってしまいます。
「できないって決めつけてるからだめなの!」
「じゃぁやってみてよ!」
すると、上から3番目のマトリョーシカが口を開きました。
「ねぇ、いいこと思いついた」
その言葉に、まわりのマトリョーシカたちが集まってきました。
「あったまったぁ…」
洞窟をでると火照った体を冷たい空気が覆い、サウナからでてきたような爽快感に浸っていると、にぎやかな声がきこえました。
「なんだろう」
ステージの前で人だかりができています。ときおりきこえる笑い声。ステージに照明があたっています。ラエコヤ広場に響き渡る男性の声、それはまさしくサンタクロースでした。サンタクロースと民族衣装のようなものを着たグループが踊ったり歌ったり、みたことのない笛を吹いている人もいます。今日は土曜日。町のカラオケ大会みたいなものでしょうか。ラエコヤ広場の幸福度がさらに高まっています。
「いや、それは無理だって!」
演奏で賑わうラエコヤ広場に、ひとり葛藤する青年がいました。頭のなかでめまぐるしく戦っています。というのも、今回のなにもしない旅、ひとつだけやりたいことがあったのです。
2012年03月04日 11:51