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2012年02月05日
第474回「パイとタルトとマトリョーシカ」
第四話 気まぐれブーツ
「いま何時?」
ロマンティックな街並みにノックアウトされた僕は部屋に戻るといつのまにか寝ていたようです。食べ残したシナモンフレーヴァーのアーモンドの香りが部屋を満たしていました。
「もう、おわっているかな…」
窓の外はすっかり暗くなっています。昼間目にした広場の屋台はもう閉まっているかもしれない。長すぎた仮眠を若干後悔しながら歩いていくと、そこにはさっきと違った世界が待っていました。
「おわっているどころか…」
町が輝いています。ライトアップされた建物がオレンジ色に染まっています。派手な電飾ではなく、手作り感のあるシンプルな装飾。はじめてなのにどこか懐かしさをおぼえます。雨にぬれる石畳が光を反射して、全体が水上に浮かんでいるよう。空にのびる市庁舎の塔は石の壁がやさしい光を浴びて夜空を彩っています。幻想的な光景。もはやクリスマスソングも違和感ありません。シナモンの香り、ソーセージの光沢、子供たちの瞳。どうしてこんなにもピースフルなのでしょう。甘めの紅茶が体の中を降りてゆく夜のラエコヤ広場。
「誰もいない…」
その賑わいが嘘だったかのように、いまあるのは静寂とやさしい明かり。朝5時。といってもまだ夜の雰囲気。屋台はすべて閉ざされています。だれもいないラエコヤ広場はだれも見ていないのがもったいないほど、静かな時間が流れていました。白い息を吐きながら夜明け前の旧市街を散策すると、外套ひとつひとつがぽわんとやわらかい光。誰もいない石の小路を歩いていれば、いまにも中世のドレスを着た人が出てきそうです。
「やったぁ…」
散歩から戻った僕を、またしても光り輝くものが待っていました。それはサーモン。銀色のプレートの上を泳ぐように赤いサーモンの切り身が列をなし、こんもりと、ちょっとした丘を形成しています。暖炉と石壁とランプ。気分は中世の貴族でしょうか。ナイフとフォークもこころなしか上品に動いています。
窓から久しぶりの青色が見えてきました。今日はどうやら天気がよさそうです。この感じなら、海も穏やかでしょう。
「出発かぁ…」
しかしどうしたことでしょう。体が動きません。まるで魔法をかけられてソファーにくっついてしまったかのように、腰が持ち上がりません。
「嘘でしょ」
自分でも信じられませんでした。体が、心が、フィンランドに戻ることを拒んでいます。もう一泊しようとしているのです。
「いやいや、そういうことじゃないから!冬のフィンランドだから!」
ここはあくまでおまけであって、寄り道にすぎない。たとえ気に入ったとしても、そういうことじゃない。自分に言いきかせているのに、体がいうことをききません。しばらくしてホテルをあとにしたオレンジ色のカートは、別のホテルにはいっていきました。
「長い寄り道だ…」
そこは昨日泊まったホテルから目と鼻の先。あいにく昨日のホテルはいっぱいでしたが、今回も旧市街の中のホテル。ここでもう一泊することになりました。あまりの気まぐれに、自分でもあきれてしまいます。
「いい天気だ…」
葉のない木々が青空を泳いでいます。背景が水色になって、昨日とは一味違う旧市街。今日も石畳の道を灰色のブーツが歩いていきます。
「これは?」
狭い路地に石の壁で囲われたガラス張りのお店。小さなカフェがありました。旧市街にはそういった感じでかわいらしいお店によく遭遇するのですが、ここはほかのカフェとはちがう光を放っています。
「はいってみる?」
木枠の扉の緑色。中にはいるとそこには、あのエリクソンやコロンブスらが目にした光景がありました。
2012年02月05日 00:01