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2012年01月15日
第471回「パイとタルトとマトリョーシカ」
第一話 冬のフィンランド
はじまりはその響きからでした。
「冬のフィンランド」
なんて素敵な響きでしょう。目にするだけでも、口にするだけでも、気持ちが高揚する言葉。まるで鈴の音が聴こえてくるようです。
ムーミン、サンタクロース、そしてマリメッコの国フィンランド。あたたかいカフェラテが待っているフィンランド。寒さのなかに感じる温もり、新年は北欧で過ごそう、そんな気持ちがいつしか心の中で芽生えていました。もちろん北欧はそれだけではありませんが、「冬のノルウェー」「冬のスウェーデン」「冬のデンマーク」と、平等に「冬の」を与えても、やはりフィンランドに勝るものはなさそうです。「ん」が二回も登場して、弾んだ感じが他の追随を許さないのでしょう。
「冬のフィンランド」
こんなにも輝いている言葉があるでしょうか。もはや「冬のパリ」ですら敵いません。世界中どこを探しても「冬の」のあとにこれほどしっくりくる国はないのではないでしょうか。木漏れ日差し込む真っ白な公園。街を彩るスノーフレーク。どこを切り取ってもロマンチックな風景。もう旅ははじまっているのです。ちなみに「春のデンマーク」「夏のウェーデン」「秋のノルウェー」と、それぞれに四季は分配されました。もちろん同じ北欧の国、アイスランドは特別扱いで。
寒さの中の温もりとはいえ、なぜ寒い日本を抜け出してわざわざより寒いヨーロッパ、なかでも北欧かというと、これでも予選は今回に限らず南半球からも出場しています。インドとかブラジルとかペルーとか、それこそオーストラリアやハワイも。でもそっちのことを調べていると頭をよぎるのです、北半球のメンバーが。一回戦で南半球勢は敗退し、準決勝あたりになるといつもの顔ぶれが揃い、そして今回優勝に手を掛けたのがフィンランドだったのです。
「そうはさせるか」
しかし簡単に優勝はできませんでした。フィンランドの新春大会初優勝を妨げる者、それは強豪「家でのんびり」です。これが事実上の決勝戦。彼らを倒せば気持ちよく飛び立つことができるのですが、こいつはなかなかの強敵。海外で過ごすロマンチックな新年もいいですが、お餅デイズもかなりの魅力。後回しにしていた家の片づけだってできそうです。ただ、かつてこんな経験もありました。のんびり過ごそうと思っていたものの、いざお正月になってみたら無性に行きたくなって「予約しとけばよかった」と泣いて過ごした記憶。いてもたってもいられなくなった感覚。予約する時点である程度未来の心境を予測しておく必要がある。この事実が「家でのんびり」に結構なダメージを与え、晴れてフランス、ベルギー、ウィーン、プラハなど、数々の名門についで白地にブルーの旗が掲揚されたのは12月中旬のことでした。
「行けば気持ちはついてくるさ」
とはいえ、もやもやがなかったといえば嘘になります。これまでいろいろな国へ旅立っていますが、どこも100%迷いがないかといえばそうでもありません。気分がのらないまま出発することだって珍しくありません。本当に正解だったのだろうか。ほんの少しのもやもやが手荷物検査のゲートを通過していました。
「冬のフィンランド、冬のフィンランド…」
呪文のように言い聞かせ、棒高跳びの選手のように気持ちを整えます。
「大丈夫!きっと素晴らしいさ!」
もやもやを振り落とすように離陸すると、シベリア大陸というバーを越え、スカンジナビア半島という大きなマットにふわっと着地しました。
フィンランドの首都ヘルシンキへは、直行便で10時間ほど。実は日本から一番近いヨーロッパ。同じ北欧でも乗り換えがない分いつもほど遠くにきた実感がありません。いまでこそ北欧という言葉をよく耳にしますが、一昔前はフィンランドに行ってきたなんて人はこの世に一人もいませんでした。その後デザインや価値観など、さまざまな分野で関心を集めるようになり、いまではすっかり「北欧」が日本人に愛されるようになりました。
「寒いだろうな…」
僕が最初に訪れたのが6月。長い冬を終えた解放感あふれる夏のいい時期。サイクリングをしたり鉄道で遠出したり、毎日Tシャツでアイスクリームを食べていました。白夜とまではいかないものの、夜12時くらいまで明るく、そのときはたしか、夜を見ずに帰国しました。しかし今回は1月。氷点下をうろうろする気温のグラフのせいで大量のカイロと防寒具でパンパンになったスーツケースを引く男を待っていたのは意外なものでした。氷の世界に飛び込む準備をしていた僕の頬にはおもいのほかあたたかな空気。もしかするとそれなりに冷たかったのかもしれないけど、着込んでいたからなのか、期待が大きすぎたのか、なまぬるくさえ感じます。むしろ東京のほうが寒いのではというくらい。これも温暖化の影響なのでしょか。
「あれかな」
たしか出てすぐのところ。除雪された道を進む購入したばかりのブーツ。バスが到着すると、子持ちししゃものように、たくさんのスーツケースがバスのお腹のところに並びます。空港から市内まで40分ほど。ちらほら日本人をのせた大きなししゃもは随所にできた雪の小山をすり抜けるように市内へと向かいました。
「氷点下じゃないのか…」
イメージしていた雪景色はありません。車窓を流れるのはどんよりした黒ずんだ灰色の世界。車内で表示されている外気温は3℃から7℃まで上昇しています。あてにならないとはいえそんなに大幅には狂わないでしょう。冬のフィンランドは冬のイケブクロと変わらないのでしょうか。大量のカイロもロシアの人たちがかぶるあの帽子もブルペンで投球練習しています。たまたま今日だけなのか、期待していた「想像を超える寒さ」ではなさそうです。
「ここだここだ…」
5年ぶりのヘルシンキ中央駅。さすがにここは近代的なビルも並んでいます。やはり光があふれる街。クリスマスを感じさせるイルミネーションは冬との相性も抜群。ヨーロッパの空気、北欧のにおい。見覚えのある駅舎。ここを何度も行き来したものです。ROBERT COFFEEやHES BURGUR。忘れかけていた記憶がよみがえる心地よさ。故郷に帰ってきたとまではいかないまでも、どこか安心感が芽生えるヘルシンキの街並み。想像していた雪に覆われる世界ではないものの、広場にあるスケートリンクはピースフルな冬の光景。ヨーロッパの光はどうしてこんなに温かいのでしょう。夕方4時。あの頃は夜10時でも昼間のようだったのにいまはすっかり夜の雰囲気です。
「ネットで予約したんですけど」
ホテルまでの道もなんとなく頭にはいっていたので地図を開かず到着したそれはごく普通のタイプ。正月休みだからか、希望のホテルはとれなかったのです。ちなみに今回もどこにいくかはあまり決めていないのでほとんど宿は予約していません。あくまで気分優先。荷物から解放された僕の体はやはり勝手に動き出しました。金髪の人たちを載せたトラムが行き交う石畳の街とグレイのブーツ。かつて夏の日差しで見た場所を記憶と答え合わせするように歩いて回ります。
「冬のフィンランド、冬のフィンランド…」
もやもやはもうなくなってきたでしょうか。これからどんな一週間が待っているのでしょうか。あのころ緑でいっぱいだったアイスクリームを食べた公園が、すっかり雪で覆われていました。
2012年01月15日 12:13