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2011年11月27日

第468回「だから僕は走りたくなったんだ〜アイスランド一人旅2011〜」

第十話 再会

「全然こないな…」

 右手を挙げる準備はできていました。さっきまで痛みがすべてを記憶すると言っていた旅人はもういません。いまは、文明の利器に頼って、楽をして戻ることしか頭にない旅人のみ。だって、歩いたら確実に1時間はかかります。もう足が地面に触れるたびに筋肉が叫ぶのだから。やはり走る前にカタチだけでもストレッチとかやっておくべきでした。

 それにしても車が通りません。手を挙げようにも挙げるタイミングがない。すぐに来るかもしれないし、何時間たってもこないかもしれない。それは一種の賭けでした。風がすっかり乾いた冷たいTシャツを揺らしています。しかし、目の前の道こそなにも走っていませんが、頭の中で実は何度も通過している車がありました。ふたりの男性が乗っています。それは三匹のこぶたの家に停めてあった、作業車とは別の乗用車。助手席に優勝ランナーを乗せて海沿いの道を走り抜けていくのを、ずっと見て見ぬふりしていたのです。

「そういうのって、どうなの?」

 たいてい「送ってあげるよ」と送る側がトスをあげるもの。自分から「送ってくれませんか」とは結構な冒険家。しかも勝手にあがりこんで疲れてしまったんで送ってほしいだなんて虫が良すぎる話。それも初対面。さすがにお世話になりすぎじゃないかと誰かが叫んでいます。しかし、足は使い物にならないし、車が通る気配もない。もはや、いまの僕には虫が良すぎることへの抵抗なんてどこにもありません。広大な自然が、社会的体裁をどうでもよくしました。ランナーズハイの類でしょうか。なんだかんだで、だいぶ歩いています。戻るならいましかありません。ヒッチハイクを気にしながら歩き続けるか、あの場所に戻るか。

「すみませーん!」

 石造りの家の前で訪問販売のように声をあげる男がいます。また来ると心に決めてはいたけど、それがこんなにも早くなるなんて。窓に小石をぶつけるように、何度か声を掛けます。どうも反応がありません。どこか出掛けてしまったのでしょうか。でも、例の車はそこにあります。そして、最初に僕の声に反応のは、家の中の人ではありませんでした。

「ピラー!」

 尻尾の振り方が初対面バージョンではありません。数十分ぶりの再会。尻尾がまた飛んで行ってしまいそうです。動物はどうしてこんなにも純粋なのでしょう。37年にしてようやく牧羊犬と仲良くなった嬉しさとは別に、ひとつ不安がありました。

「理解してもらえるだろうか」

 挨拶こそどうにかなるものの、ちょっと離れたところに置いてある自分の車まで送ってほしい、という旅人の甘えを、果たしてうまく伝えることができるだろうか。遠いところまでいくという印象を与えたくないし、そもそも英語は信頼できません。すると突然、扉が開く音がしました。

「あの、あまりに景色がきれいで思わず走ってここまできたんですけど…」

 わざわざ遠いところから説明をスタートさせてしまいました。こんなんじゃわかってもらえるはずがない。しかし、デジカメのときの苦労はなんだったのでしょう。英語を話す人でもきっと理解できなかったであろう僕の想いは、いとも簡単に彼の頭の中に届いたようです。不安がっていたことが恥ずかしくなるくらい、笑顔で受け入れてくれました。

「ピラー!」

 まるで洗車でもしているかのように、まわりで尻尾を振ってはしゃいでいます。車体が大きいので尻尾がでたりはいったり。そして二人を乗せた大きな車は、マシュマロたちのいる牧草地帯を降りていきました。

 海が輝いています。空が透き通っています。痛みこそ感じていないものの、車からの眺めも最高です。

very beautiful!」

 もしかしたら、この言葉さえも知らないようです。でも、それでいいのです。見ている世界は同じだから。感じていることは同じだから。それを表現する言葉が違うだけで。

「ずいぶん長いジョギングだったね」

「羊飼いをしていたからね」

「まさか車で輸送されてくるとは」

「時間がなかったから」

「だから言ったでしょ、結構距離あるよって」

強い風が吹いています。手を広げれば、海へと飛んでいけそうです。

「もう、いいか」

 もともと予定した北東部めぐりはやめることにしました。時間や体力の問題ではありません。心が十分満たされていたから。潔くなったものです。しかし、まだ満たされていないものもありました。

「お腹すいたー」

車は向きをかえると、フーサヴィークを目指して走り出しました。



2011年11月27日 00:05

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