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2011年11月20日

第467回「だから僕は走りたくなったんだ〜アイスランド一人旅2011〜」

第九話 Life is beautiful 

「おーい!!」

 何年ぶりかのような感動の再会。遠くで寝そべっている羊たちも一斉に起きはじめました。ふわふわのマシュマロを支える細い四本の肢が機械のように顔を出します。ゴールしたあとに見るマシュマロはまるで風呂上がりのビールのように爽快感が加わって、さっきよりも輝いています。そして、海や空の青いこと。突如開催されたアイスランドマラソン2011は、決して参加者は多くなかったものの、ゴールしたときに広がる光景はなによりのご褒美でした。

「中に入りたい…」

 優勝した興奮が、旅人の気持ちを大きくします。もっと近づきたい、もっと戯れたい、いつもなら抑えられる感情があふれてきました。柵をじっと眺めます。たとえくぐれるとしても、勝手にはいるわけにはいきません。

「訪ねてみようか」

 広大な敷地の脇には三匹のこぶたにでもでてきそうな煙突が空にのびる民家がありました。あの扉を叩いてみよう。驚かれるかもしれないけど嫌な気はしないはず。仮に怪訝な顔をされたっていいじゃないか。そう決心して、色褪せた石造りの家に続く道を一歩一歩、進んでいきました。

「あれ?」

 人の気配を感じました。大きな倉庫の前に置かれた巨大な作業車。なかにだれかいるようです。

「すみません!」

あまりに小さな第一声はあっというまに風に消えていきました。

「すみません!」

 声が届いたのか、つなぎを来た男性が中から出てきました。全力で善人アピールする旅人に気づいたようです。

「すみません、あの、羊の写真を撮りたいんですけど…」

 無意識ながらも、単語があふれてきます。そうか、じゃんじゃん撮っていきなよ、うちの羊たち、かわいいだろ?そんな言葉が返ってくることを期待して。

「あの、羊の写真を…」

向こうからボールが返ってきません。

「写真、take a picture…」

 発音の問題なのか、勝手に敷地内に入ってきたことがいけなかったのか、よい空気ではありません。カメラを見せてもなんだかピンときていない様子。デジカメというものを知らないこともないのでしょうが、軽量化されたことが仇となっている可能性もあります。男性が近づいてきました。どうにか、身振り手振りで伝えても、時折頷いたりなにか言葉を発しているものの、その表情から、言葉が響いていないのがわかります。そして僕は、いま目の前に起きている現実に気づきました。

「英語、話さないのか…」

 都市部ではたいてい通じる英語も、ここまでくると通用しなくなるのです。年配の人はそういう傾向にあると聞きますが、おそらく同い年か年下かもしれない彼も英語を話さないのでしょう。この地に生まれ、この地に育ち、自然の一部のように暮らしている彼にとって、英語は必要ないのです。あのとき、英語で「すみません」でなく、アイスランド語で「こんにちは」と発していれば違ったかも、そんなことを感じている矢先、遠くから真っ黒な物体が僕のほうをめがけてものすごい勢いで向かってきました。

「え?」

 牧羊犬でしょうか。まさに噛みつく気満々で突進してくると、不審者の周りをとんでいってしまいそうなくらい尻尾を振りながら吠えています。

「ピラー!」

 彼の口からその音が発射されると、まるで麻酔銃でもくらったかのように穏やかな動きになりました。

「ピラー?」

 カタカナにするとシンプルですがアイスランド語で表記すると雰囲気があるのでしょう。

「大丈夫、不審者じゃないよ!」

 善人であることをピラーにも伝えると、尻尾を振る黒い牧羊犬がカメラに収められました。陽光に照らされる彼の笑顔。ピラーが突進して壊したのは言葉の壁でした。

OKOK!」

 彼の頭のなかにある数少ない英単語。そしてピラーと僕は、マシュマロたちのほうへ走っていきました。

「タックフィリール!」

 夢のような出来事でした。牧草地帯の外から眺めることはあっても、中でというのはなかなかできません。東京ドームのなかでキャッチボールさせてもらうようなものでしょうか。道路脇で休んでいることはあっても、群れ全体にここまで接近できることは滅多にありません。まさに羊飼いになった気分。突然の来客に、こころなしかピラーもはりきっているようでした。やはり将来はこれで決まりでしょうか。まずは1か月でも滞在したいものです。

「人生、なにがあるかわからない」

 やはり思い切ってみるものです。あの時ブレーキを踏まなかったらここには来なかったし、こんな出会いもありません。本当はもっと居たかったけど、それこそ一日泊めてほしいくらいだったけど、さすがにそれは言えませんでした。彼にはどんな風に見えていたのでしょう。またひとつ、いつかまた訪れる場所が増えました。

「さぁ、あとは…」

 走ってきた道を戻らなければなりません。しかし、体は正直です。いきなり走り出した僕の体は、まるで鋼のようにかたまり、すでに筋肉痛のようなものがはじまっていました。足こそ交互にでるものの、痛くてもはや走っても歩いても変わらない状態でした。

「これは時間かかるな…」

 ヒッチハイクをなんとなく意識しながら海辺の道をゆっくりと歩く旅人の向こうで、海が輝いていました。

2011年11月20日 00:06

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