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2011年11月05日
第465回「だから僕は走りたくなったんだ〜アイスランド一人旅2011〜」
第七話 忘れられない道
「空いていますか?」
教会の下に位置するアークレイリのホテル。地球のこんなところに、行きつけの宿がある人生も悪いものではありません。温泉の余韻を残したまま、体がベッドに沈んでいきます。
「いい天気だ」
朝食を済ませ、外にでると、体のなかにはいってくるひんやりした空気がデザートのようにおいしく感じられます。昨日のアークレイリは薄く雲がはっていましたが、今日はすっかり晴れて透き通る青空。陽光が水辺に反射して、街は明るく輝いています。
「さぁ、いくか」
サイドブレーキが降りる音。目指すは昨年訪れたばかりの北東部。それはある意味、リベンジでした。というのも、時折小さな町が現れる海沿いの道は、文明から切り離された、空と海とマシュマロと、それ以外は見当たらない、まるで絵本の中にいるような幻想的な世界。しかし、雨こそあがったものの、雲がたれこむ灰色の空に、太陽が登場する絵本も見てみたいと思ったのです。
「これはきっと素晴らしいに違いない」
雲ひとつない空に、ハンドルを握る手にも期待が込められます。天気が変わりやすいとはいえ、これなら大丈夫。気持ちの高まりとともに離陸すると、リングロードをひたすら東へ。もはやこの道も馴染み深く、人生で忘れられない道のひとつとなりました。とくに水辺の道は神秘的ですが、このまま水の中に飛び込んでしまうのではと不安を覚える瞬間が頻繁にあります。また、牧草地帯に点在するかわいらしい教会や色褪せた建物は、世界をよりのどかなものに。同じ自然あふれる風景でも、この島で見られるそれはおそらく、ほかのどの場所にもないかもしれません。記憶と答え合わせしながら走る道のり。車はリングロードを曲がり、細い道に入っていきました。
「寄らずにいられないんだよね」
それはゴーザフォスという巨大な滝。ゴーザはgod、フォスはfall。神の滝。この島にいるとそれこそ「神」を感じることは珍しくないのですが、この滝もそのひとつ。凄まじいしぶきと轟音。しかも観光客に混じって見るのではなく、たいていたったひとりで対峙するから、それだけいろいろな想像や畏怖がうまれるのです。毎年訪れていて、実は昨日もここにいました。この道を通ると気になって寄らざるをえないのです。観光地のように、巨大な看板も売店も、過剰な柵もありません。自然が、ありのままの姿で残っています。自然を尊重しているとともに、人間の判断力も信頼されている。天候や時間帯によっても違う表情をしていて、機嫌がよさそうなときと荒れているときと、まるで生きているよう。だから一度見たらもういいとはならないのです。そうして、最新版の神の滝がたくさんカメラに収められました。
「まっすぐだ…」
車は北に向かって走っていました。ただひたすらに伸びる一本道。この島では十数キロの道がまっすぐ伸びていることも少なくないのですが、なぜか一直線の道は心惹かれるものがあります。普段はなかなか見られないからでしょうか。両側に現れる羊たちの群れ。運がいいと、一列に並んで歩いている姿を見かけることもあります。我慢できず車から降りて食事中のマシュマロたちに話しかけにいくことも。もうこのカメラにはどれくらいのマシュマロがはいっているのでしょう。3D映画にはあまり関心はないですが、3Dカメラだったら飛びついてしまうかもしれません。路面がアスファルトから黄土色にかわりました。荒涼とした大地にのびる一本道は、ここでも別の惑星を走っているような気分。先が見えなくなるほど急上昇したり、一気に駆け降りるように急降下したり、起伏の激しい一本道は、やがて海辺の町に到着しました。
たくさんの旗が気持ちよさそうに空を泳いでいます。一年ぶりのフーサヴィーク。今回で3度目だったでしょうか。ここはホウェールウォッチングの港町、そして北東部の入り口。昨年は、せっかくの大海原も雨に降られてどこか寂しげな雰囲気が漂っていましたが、今回は船が苦手な僕でもおもわず航海に出たくなるほどのクリアスカイ。クジラも気持ちよさそうに泳いでいることでしょう。コーヒーを片手に想像が膨らみます。
「ここからだ…」
フーサヴィークの街から空に飛びだすように道が伸びています。ここからリベンジの旅。昨年は、夜明け前の真っ暗な道をヘッドライトが照らしていましたが、いまは太陽が街全体を照らしています。ここから先は大きな町はありません。昨年目にした光景は今年、どんな色に変わっているのでしょう。世界で一枚のCDが回り始めました。
2011年11月05日 10:00