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2011年10月22日
第463回「だから僕は走りたくなったんだ〜アイスランド一人旅2011〜」
第五話 目覚まし時計は夢の中
「うそでしょ…」
呆然と立ち尽くす男。彼を動かなくさせたのは扉に貼られた一枚の紙。
「泊まれないってこと…?」
手書きの英文には、二つの日付が記されています。今日はまさにその間に位置する日。どうやらちょうど休み期間に来てしまったようです。観光シーズンを過ぎたいま、親子で羽を伸ばしているのでしょう。貼り紙がパタパタと音を立てています。
「なんてことだ…」
よりによって、このタイミングで来るなんて。近所のお蕎麦屋さんの定休日とはわけが違います。はるばる飛行機を乗り継ぎ、さらに車で長時間かけてやっとたどりついた場所。そっかじゃぁまた今度にしようなどと、気軽に来られる距離では到底ありません。何も決めないとこういった現象が起こるのです。しかし、これも行き当たりばったりの旅の醍醐味。それに、しこりがなくなったように、気持ちはどこかすっきりしています。というのも、もしここに泊まっていたらさっきの光景が気になって仕方なかったはず。これで心が揺らぐこともありません。うしろめたい気持ちもなくあの場所に向かうことができます。
「きっと、こういうことなんだ」
再び山道を戻り、サンセットホテルを目指しました。
「もうなかったりして」
さっき目にしたものは幻で、実在しないのでは、そんな不安さえ芽生えます。やがて、教会の赤い屋根が見えてきました。さっきより、ここ一帯のオレンジ色が濃くなっているよう。あのとき目にした光景のなかに自分の体があることに、映画の舞台にいるような、ちょっとした興奮をおぼえていました。
「一人なんですけど…」
扉から吸い込まれると、恰幅のいい女性の笑顔が迎えてくれました。お腹からでてきたような「シュアー」という言葉。思わずレンズを向けたくなります。これで万が一、満室だったらどれだけ途方にくれていたことでしょう。
「夕食は20時までよ!」
太い木の枝についた鍵を渡されると、遊びにでかける小学生のように、荷物を置いて部屋を飛び出すと、マシュマロたちのほうへ駆けていきました。海辺の牧草地帯。宿泊施設に隣接しているからか、ほかの場所にくらべ警戒心も薄いよう。走って逃げだしたりもせず、ぎりぎりまでぽわんとしています。夕日に染まるマシュマロたち。ビジターの羊飼いにとってはこれほど贅沢なものはありません。
「素晴らしい眺めですね」
レストランには何組か宿泊客がいました。それこそ、競合施設が休みなので、ここに流れてくるでしょう。赤い屋根の教会や風に揺れる羊たち、窓から望むサンセットシーンは、壁に掛けられた絵画のように、このホテルでは毎日みられるのでしょうか。ゆっくりと海に溶けてゆく太陽を眺めている僕に、思いもよらぬ言葉が飛んできました。
「ほんとですか!」
自然と発せられるreallyという言葉。サンセットママによれば今夜現れる可能性が高いとのこと。そもそも予報というのがあるのでしょうか。嬉しそうに報告する彼女の言葉は、あまり意識していなかった僕に、真夜中の上映を期待させるものでした。そうして、郷土料理らしきスープを味わっているうちに、あたりはすっかり薄暗くなり、暗闇と静寂にゆっくりと包まれていきました。
「もし出たら起こしてあげるわ」
その言葉で安心したのか長旅の疲れか、食後のコーヒーを飲むと、すぐに眠りにつきました。
「あれ?」
旅人を起こしたのはサンセットママではありませんでした。時計を見ると12時すぎ。ノックの音はしてはいないようです。やっぱり予報はあくまで予報かと、なんとなく窓の外をのぞいてみました。
「え?」
もう一度、部屋のあかりを真っ暗にして窓の外を眺めました。
「もしかして…」
急いで上着を羽織り、応急的に重装備をして外に飛び出ると、そこにあったのはまさしく、真っ暗な空に浮かび上がるオーロラでした。
「うそ…」
まさか本当に見られるとは思いませんでした。人生で一度見られれば十分だと思っていました。空に現れては消える光のカーテン。西の空に出たかと思えば東の空をゆっくりと泳ぐように流れる光。何度見ても、どんなに覚悟をしていても神秘性を欠くことはありません。
もしかしたら、オーロラが起こしてくれたのかもしれません。だとしたらなんて贅沢な目覚まし時計。それに比べてあの言葉はなんだったのでしょう。もはやオーロラ以上に不思議な現象。たしかにノックして起こしてあげるわと言っていたのに。いまも熟睡しているのでしょうか。手は凍え、ティッシュの消耗も激しくなってきました。ただ、このときばかりはレンズを向けません。一般的なデジカメでは撮影できないのです。その代わりに登場するのがオーディオプレイヤー。流れ星とオーロラとチルアウトサウンド。こうやって音楽を聴いているだけで、夜空さえもダウンロードできてしまうのです。
昨夜の小さな光をのぞいても人生2度目のノーザンライツ。なんだか、もうひとつのホテルが休みだったことが単なる偶然じゃないような気もしてきました。オーロラは流れ星とは違って一瞬ではありません。結局2時間くらいでしょうか。たまに部屋に戻って暖をとりながらも、ずっと空を眺めていました。やがて、夜が薄められるように、空が徐々に青みがかってくると、マシュマロたちもうまれるようにぼんやり浮かび上がってきます。彼らはいつ眠っているのでしょう。草を食む音が聞こえてきそうな静かな夜明け。教会の屋根も次第に色を取り戻してきました。
「まだ眠っているかな」
部屋の鍵に手紙を添えて、フロントに置いておきました。もうひとつのホテルに泊まったときは、このタイミングで娘さんが起きてきてサンドウィッチを作ってくれたのですが、歴史は繰り返さないようです。
「また来るよ!」
羊たちにそう告げ、夜明けのラートラビヤルグをあとにしました。砂利道の音が響き渡ります。山の向こうからこぼれる朝日。今日もまたあの場所に沈んでいくのでしょうか。朝もやを縫うように、車は走っていきました。
2011年10月22日 23:13