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2011年09月25日
第459回「だから僕は走りたくなったんだ〜アイスランド一人旅2011〜」
第一話 オセロ
暑いといえば暑いけれど、あの頃のような本格的な夏を実感しないまま8月も終わり、これから秋を迎えるまでの厳しい残暑をかわいらしい女の子が伝えている頃、ひとりの男はパソコン画面を吸い込まれるように見ていました。彼の顔を照らす液晶画面には北緯66度の島と無数のアルファベット。当初予定していた期間を一週遅らせたことや、前回雨にやられたことがそうさせていたのかもしれません。射程距離にはいってくる少し前から、いてもたってもいられず、向こう一週間の天気予報を毎晩のように眺めていたのです。雲に覆われるどんよりした雰囲気も神秘的で悪くはないのだけど、やはり晴れているほうが本領発揮する島。前回が灰色の世界だっただけに今回ははじめて訪れたときのように突き抜ける青空を体感したい、そんな気持ちが異国の天気サイトをお気に入りにブックマークさせました。それによれば、ここ数日の天気はいいものの、肝心の期間に突入するあたりから雲行きが怪しいようで、気象状況を表す英文にはrainだとかshowerだとか、見たくない単語が散らばっていました。
「あの、日程を変更したいんですけど」
「なにかありました?」
「ちょっと天気が悪くて…」
南国ならまだしも、北欧の旅でそんな要求をする人がいるのかいないのか、そのときの僕はそれくらいのこともやりかねない気分でした。とはいえ、一週間の旅行をそう簡単に移動させることはできず、あまり後ろになれば日照時間も短くなり、それこそ寒々とした世界に放り込まれることになります。それに、確実に晴れる一週間なんて、だれにも保証できません。もう、雨でもいいか、と覚悟を決めようとしたときです。
「え?」
最初は、なにかの間違いだろうと思いました。何気なく開いた画面は、諦めていた僕の気持ちを裏切るもので、いつも黒を薄めたような灰色の雲が島を占領していたのですが、それらがすべて、まるでオセロがひっくり返るように、光り輝く太陽に代わっています。
「マジで!!」
記号の下に表記されたclear skyという言葉。なんどリロードしても太陽は消えません。まるで重い鉄の鎧をはずされたように僕の体が軽くなり、そのまま浮いてどこかに飛んでしまいそうな感覚。そうして僕の心は、出発日に先がけて離陸していったのです。
「朝にしよう…」
いつもは深夜ラジオの生放送を終えた朝そのまま成田に向うので、前日の夕方のうちに準備を済ませておくのですが、今回はたまたま放送がなかったこともあり、多少余裕がありました。すると、慣れというのはこわいもので、どんなに楽しみではあっても、数を重ねるうちに準備に向き合おうとしなくなるもの。当初は一週間前から取り掛かっていたのがいまでは当日の朝、最悪なにかあれば空港で買えばいいか、という気持ちさえ芽生えています。現地でどうにかなるだろうという感覚になってからが本当の旅なのでしょうか。
「よし、大丈夫!」
心を追うように肉体も旅立つ日。北海道と四国を足したくらいの大きさの上で繰り広げられるオセロの途中経過を見届けた男を乗せ、灰色のおしゃれな飛行機はシベリア上空を抜け、十時間ちょっとでデンマークはコペンハーゲンに到着しました。マーマイドの街コペンハーゲン、自転車の町コペンハーゲン、そしてマリメッコの財布をなくした街。いま思えば、クレジットカードだけ奇跡的に別のポケットに入っていたからよかったものの、それさえもなかったらもはや北欧の中心で泣き叫んでいたことでしょう。それでも年に一度の場所は、乗り換えではあるものの、いろんな記憶が蘇り、胸の中がそわそわするのです。
「よし、大丈夫!!」
またひっくり返ってしまうのではないかという不安が、ノートパソコンを開きます。あれからさほど更新されていないゲームの模様を見届けた男を乗せ、飛行機は3時間ほどでアイスランドの玄関、ケプラヴィーク空港へ到着。機体をでるとガラス越しに感じる冷気も懐かしく、なかなか休ませてくれない長い廊下が期待を煽ります。エスカレーターを降りるとスーパーのような光景が広がっていて、たいてい皆、カートを押しながらそこに吸い込まれていきます。そんな人たちを横目に、とくにパスポートなどをだすこともなく僕は、到着ロビーに出ました。
「この匂い…」
これも年に一度味わう香り。異国のというか、北欧のというべきか、でもコペンハーゲンとは確実に違う、ここでしか感じられない独特のひんやりした空気。いい香りでも嫌な香りでもない、この土地の匂い。年に一度とはいえもう5回目。お金の引き出しもスムーズだし、バスのチケットもなんなく購入すると、いつもはすでに待機している大きなバスをこちらが迎える形になりました。100人くらい乗れそうな大きなバスは、例年にくらべ若干少ない乗客を乗せて、暗闇を走り抜けます。車窓はやがて懐かしい看板などを映し出し、45分ほどで市内のバスターミナルに。ここで小さなバスに乗り換えて、宿泊ホテルまで送ってもらいます。
「もう5回目なんです」
肩慣らし程度に英語を発射しました。
「そうなのか、すごいね」
乗客は僕一人。もはや自分でも運転できるほどの土地勘もあります。
「一度だけオーロラを見ることができました」
ここではnorthen lightという言葉が合言葉。挨拶のように現地の人との距離を縮めることができます。
「昨日見たよ!」
とても綺麗なオーロラだったという情報はいまとなってはどうしようもないので必ずしも朗報ではないのだけど、ただ、この時期にも現れるという意味では嬉しい事実でした。決してそのためではないとしても、いざ訪れるとやはり気になってしまうものなのです。
「朝食は…」
朝7時から10時まで、と言うバイトで雇われたようなフロントの若者に渡された白いカードキーをドアノブの上の隙間に差し込むとフローリングと小さなベッドが目の前に浮かびあがりました。窓からは、ライトアップされたハトルグリムスキルキャ教会とエリクソン像。いつも夜明け前にホテルから歩いて挨拶をしにいくのですが、その必要もないほど間近に聳え立っています。23時。日本ではもうとっくに夜があけている頃。ラウンジから持ってきたコーヒーの香りがすぐに部屋を充たすと、長旅の疲れで荷物を整理することもなく細長いベッドの上で寝息をたてはじめた男を、大航海に意気込む勇者が見つめていました。
2011年09月25日 00:13