« 第457回「シリーズ人生に必要な力その52痛み力」 | TOP | 第459回「だから僕は走りたくなったんだ〜アイスランド一人旅2011〜」 »
2011年09月04日
第458回「憎しみをありがとう」
「エネルギー」というとやはり「電力」という言葉が連想され、もちろんそれはとても大事なものですが、この世に存在するエネルギーは必ずしもそれだけではありません。むしろ電力は、この国や人々が輝くための手段、道具であって、人々自体が輝かなかったらどんなに電力があっても意味がありません。電力は、人々のエネルギーと掛け合わせてはじめて価値をなすもの。つまり、この国の輝きは、電力×人々の力なのです。
では、電力はあるだけあったほうが輝きにつながるかというと、そうとも限りません。再生可能エネルギーという言葉があるように、無限にあるエネルギーを理想としがちですが、無限の電力を手に入れることが僕たちにとって果たして最善の状況なのでしょうか。無限の命、永遠の命を手に入れたとき、人はそれを有効的に使うことができず、限りあるものだからこそ人は命を全うするはず。いまの発電状況がベストというわけではもちろんないですが、エネルギーはだれもが気にせず無限に使用できる状況よりも、もしかしたら、ある程度の制約があったほうが効率よく活用できるのかもしれません。完全なる自由を手に入れた浪人生よりも、なんだかんだで時間を制限された現役生のほうが集中できるように、残業があたりまえな環境よりも、仕事は9時から5時までと限られたほうが、その制約のなかで手に入れた集中力を武器に、人は最大の効果を発揮するかもしれません。制約の中にこそ人々は最大の効果をあげるものなのです。そういった人間の本質を理解していないと、ひとたび再生可能エネルギーを手に入れたとき、社会はまたなんらかの過ちを犯してしまいます。果たして無限の世界が人間に、社会によい影響を与えるものなのか、少なくともなんの疑いもなく崇拝するのは危険でしょう。ここは慎重にならないといけないのです。そしてもうひとつのエネルギー、ここからが本題ですが、人々の力です。
人はなぜ動くのでしょう。人々を動かすエネルギーとは何なのでしょう。食べ物や血液、酸素も必要ですが、それだけでは「食べる」「寝る」以外、ほとんどの営みを放棄してしまいます。社会を構成する生き物として人に必要なエネルギー、それが「感情」です。日常生活で生まれる感情こそが、僕たちを動かすエネルギー。感情がなければ人は動かない、感情は車にとってのガソリンのように、人が動くための燃料なのです。
喜びも悲しみも、すべて人が動くためのエネルギー。だからたとえ怒りが体内に生まれても、それをどこかにぶちまけるのではなく、エネルギーに変換して自分のやりたいことに活かすべきで、それをただ放出したらカガソリンを垂れ流すようなもの。せっかくもらった100万円をばら撒くようなもの。その100万円をできるだけ自分の人生に活かすためには、まずこの感情が生きるエネルギーになっていることを認識、イメージすることが大切なのです。感情を剥き出しにすることはガソリンタンクに穴を開けるようなもの、ガソリンを撒き散らすようなもの。たとえ嫌な感情であろうとも、それは生きるための貴重なエネルギーなのです。
もう気付いたでしょうか。国や人々が輝くための発電所はコンクリートの建物の中だけではないのです。人々のなかにそれはあるのです。人はみな発電所をもっている。それぞれに発電所をもっていて、自ら動くエネルギーを作っている。心こそまさに発電所なのです。そして、言葉や音楽が送電線。想いを伝えることでエネルギーを分け与えています。このことを皆がイメージできたらこの国は、電力不足を感じさせないほどの輝きを放つことができるでしょう。どんな状況でも輝けるでしょう。それは経済のものさしではかることのできない輝き。それが新しい時代なのです。そしていつか、人間にとって感情が希薄になったとき、感情が貴重なものになったとき、「憎しみをありがとう」と、そんな風に思える日が訪れる。そうして、4次元の世界の扉が開かれるのです。
2011年09月04日 10:14