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2011年07月24日

第455回「絶滅危惧種カタログ〜僕はキミを忘れない〜危惧番号④町の本屋さん」

「そんなわけない!そんなことがあったら困る!」

 そんな風に思う多くのうちの一人でもある僕は決して読書家ではなく、むしろ日本人の平均よりも大幅に下回っている自信があるのですが、そんな僕でも困るというのは、かつてそんな経験があったからです。

 
それはBAGSという書店でした。一階に書籍、2回にゴルフ用品ということでBOOK&GOLFからBAGSという名前なのですが、家の近所ということ、深夜まで営業していることが、仕事帰りの僕をその場所に向わせました。静けさと、本の香りと、しっとりとしたBGM。店内はいつも、穏やかな空気が流れています。僕は本を探すというよりも、どこかこの落ち着いた空間を味わいに立ち寄っていました。豊富な品揃えというより欠乏した品揃え。一角には独特の観点で揃えたCDもあって、その足りていない感じがまた、よく言えばビレッジバンガードのようで、町のレンタルビデオ屋のようで、ただうろうろしているだけで妙に気持ちが高揚したものです。しかし、そんな大好きな空間がまもなくなくなってしまうという報告を受けると、スタンプカードも中途半端なまま、数ヵ月後に有名中古車販売店に変わっていました。それからというもの、仕事帰りにふらっと立ち寄る場所を失い、なんだか、精神のバランスを保つことが容易ではなくなりました。あれから数年経ったいまでも、あのお店があったらなぁと思うことがよくあるのはまさに、あの空間が僕にとって欠かせない大切な場所だったからでしょう。

 
そのように、個性的なものでなくても本屋さんというのは、ふらっと立ち寄る喫茶店のような、都会のオアシスのような、日常生活に潤いを与える場所ではないでしょうか。森林浴ならぬ書籍浴。いまの自分の精神状態に合う言葉を探す場所。日常とは違う世界を探す時間。町の書店が絶滅したらきっと気付くはずです。それが単に本を販売すること以上の価値があったということを。本屋さんの真の存在意義。しかし、どんなに人々の日常に潤いを与えていても、確実にそれは絶滅の道を辿っています。

 「ダウンロード」というものが登場したときは、こんなにも早く町のCDショップが消滅するなんて思いませんでした。楽曲に比べて書籍の電子化の動きは緩やかで、文字を読まなければならない分、オーディオプレイヤーのように小さくはならず、現段階では皆が電子書籍を愛読するようになるとは思えません。しかし、ちょっと空いた時間にパラパラと雑誌をめくっていた指は、電車のなかでマンガを開いていた指は、いまではタッチパネルに触れるようになりました。ペーパーレスになることはいいことかもしれませんが、テレビと同様に、人が、「雑誌そのものに目を向ける時間」が激しく減少しているのです。たとえ雑誌や文庫本に興味があっても、結局ネットで購入する機会が増え、どうしても時代は、都会のオアシスを干からびさせる方向に進んでいるのです。

 このたび報じられた雑誌「ぴあ」の廃刊は、ひとつの時代の節目、変化を象徴しているものといえるでしょう。今回の危惧度に拍車をかけました。かつては僕自身も、あのやわらかい紙をめくっては、公演スケジュールなどを確認したものです。独特な色合いの表紙も、書店に花を添える存在感でした。たしかに最近はコンビニなどでも見かけなくなり、それこそ手にしている人に久しく遭遇していませんでした。もはや情報は無料で手に入れるもの。ファッション誌にしても、おまけを付けてどうにか乗り切っているものの、その延命策ではあまり長く続くことは期待できません。このままではやがて、中吊り大賞もなくなってしまうのでしょうか。発売日を待つわくわく感も、本屋さんが配達に来ることも、なくなってしまうのでしょうか。僕たちが昔の巻物をみて、こんなもので読んでいたのかと不思議に思うように、やがてこの書籍を、ヤンジャンを、こんなものを読んでいたのかと思う時代がくるのでしょうか。

 
本の匂いに囲まれた小路。静けさ。本屋さんには無限の世界の入り口があります。頭が空腹、心が空腹のとき、その隙間をうめる言葉が見つかったときの喜び。紙の書籍自体がなくなることよりも、町の本屋さんがなくなることのほうが憂うべきこと。町の本屋さんといっていますが、巨大なレンタルビデオチェーン店にしたって安心はしていられません。きっとそう見えないだけで、時代に追いつくだけでやっとなのだと思います。本屋さんがなくなると、日常生活や社会に潤いがなくなってしまいます。町の本屋さんこそ、ゆとりの象徴、社会になくてはならない存在なのです。一日でも長く生き延びてもらうには、もはや買うしかありません。それが唯一、オアシスを守る手段なのです。もし仮にその日が訪れたとしても、僕は忘れません。あの空間があったことを。あの場所に、匂いと、静けさと、言葉を見つけたときの喜びがあったことを。





2011年07月24日 00:19

コメント

平松さんも町の本屋さん派という発言していましたが、僕も同じくです。確かにネットも利用しますが、本屋さんには無いからというイメージで利用しています。本屋さんのあの空間には僕はまた一味違う発見があるように感じてます。なんていうか自分には興味が無かったのに目にしたために気になってしまう発見みたいなものが!

投稿者: 下町の根強いふかわファン | 2011年07月24日 06:12

本屋さんがなくなったら、大ショックです。私はよく、出かけたときに立ち寄った本屋さんで、良書を見つけます。流行の本は、まわり回って何かの縁で手にとることもありますが、本も出会いだと思っています。偶然が結果的に必然となって、めぐり会えたことがよくあります。

 おまけが付いている本の山積みには、ただ驚くばかり・・・。無料があたり前のようになってしまった時代、お得感の期待度アップがどれだけ、人間の品位を落としてしまっているのか、考えてしまうこの頃です。読んで良かった本は人に勧めています。読書後には、白熱して語り合います。ストーリーの展開がよかったとか、映画化された場合の配役についてなど、妄想しちゃっています。

 人とのつながりの小道具にもなっている本。どこどこの本屋さんで買ったということを、伝えるのもコミュニケーションのうち。ネットで購入・・。では、いかにも、巧妙な企業の手段にのせられているような気がしないでもありません。検索は、日頃の自分の五感から。だから、本屋さんがいなくなったら(いなくなったら・・?)、困るのです。あの書棚から人は、未来の自分を夢見たり、心に留めるものを模索したり、ときには癒されたりする。そういう一冊を手にすることができる。手触りで生きることを探せる場所でもありますよね。

 昨日の「ロケショー」、終わりに近づいた頃、ふかわさんがエイミー・ワインハウスとおっしゃったときには、驚きました。彼女の歌声はいつも私の心を揺さぶり続け、いつも歌声だけを聴いていたのですが、今朝は、彼女の人生そのものを抱きしめてあげたいと思いました。人は誰でも、引き替えにするものを持って生きているんですね。タイムリーすぎて、哀しい朝でした・・・。

 そういえば、「CURIOUS」、クリ智さんとのトーク、お二人とも滑舌がよくて素敵でしたよ。「LOVE DISCO」のリクエストも届いたのでひと安心!クリ智さんは、人の気持ちを引き出すのが、とても上手なんですよ。でもふかわさんも多面体のルネッサンス男子〜!かわし方も難なくでしたね。これからは角が磨かれ、ゆくゆくは、ミラーボールぐらいの多面体に変身。頭上で神秘な光を放って、キラキラリーン〜!!!

投稿者: アトリエのピンクッション | 2011年07月24日 18:57

先日足を向けたのは大きな本屋さんでしたが…
無条件に心にゆとりができる場所、表紙の色やデザインが至るところから目に飛び込んできて足取りもゆっくりとなります。

文字通り老若男女、究極のエイジレス空間だなぁとあらためて思いました。
まとめて買った紙袋のズッシリした重さ、なんだか嬉しかったです。

みんながきっと大好きな場所なのに、現実は難しいのですね…
できるかぎり貢献しつづけよう、そう思います。


7月22日のmove、少し体が固まるくらい、ぐっときました。

投稿者: ひょう | 2011年07月26日 11:20

こんばんは

本屋さんはわたしにとって重要な場所です。
買わなくても手に取った気になる本を見ているだけでも心が穏やかになれます。
本屋さんや、ビレッジヴァンガードは一度入ったらなかなか出て来れません。
2年くらい前、職場の近くにある本屋さんの閉店の噂を聞いた時は本気でイヤでした。無くす意味が分からないと思っていました。今は改装されて変わらず営業しています。
本屋さん、本当にそのままでいてほしいです。

投稿者: フィンランドの雨 | 2011年07月28日 22:44

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