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2011年07月17日
第454回「シリーズ人生に必要な力その51カタコト力」
いまだ衰えを見せない韓流ブーム。音楽やドラマだけでなく、幅広いジャンルでメディアを席巻している状況はもはや、ブームからスタンダードになろうとしている兆しさえ感じるほど。数年前のヨン様からこれまでにどれだけ多くのスターたちがこの国に足を運んだことでしょう。名前だけは知っている人からなんだか全然知らないけれど既に人気の人、そしていまではなにもしていない普通の韓国の青年も、ひとたび日本を訪れれば黄色い声援を浴びることができるのだそうで、もはや「韓国」や「韓流」という記号の強さはAKB以上の効力を持っているかもしれません。KRN48的風潮。若者の集まる場所が原宿から新大久保に変わり、グルメや企業も韓流を取り入れ、このままではエンターテインメント界だけでなく、この島自体が乗っ取られてしまうのではないかという危惧さえ生まれます。
ダンスの完成度や音楽性、演技力など、韓流タレントブームを支えている柱がいくつかある中で、ひとつ見逃せないものがあります。それが今回の力、カタコト力。彼らは、そして彼女らは事前に勉強しているのか、予想以上に上手な日本語を発するのですが、日本人からすればまだカタコトの域、しかしこれこそが韓流ブームを支える大きな要因なのです。古くはアグネス・チャンからケント・デリカット、ビビアン・スー、そしてユンソナと、これまでの日本で人気を博したタレントたちに共通しているのはほどよいカタコト。流暢ではなくたどたどしい話し方に、日本人は心を掴まれてしまうのです。
ではなぜカタコトだと人気を得やすいのでしょう。それは、一生懸命だから。一生懸命だと聞き手に感じさせるから。ひたむきさ、けなげさ、純粋さ、そういった人間の美しい部分が、カタコトの日本語に凝縮され、つい胸がキュンとなって手を差し延べたくなるのです。
伝えることに一生懸命、それは相手に好印象を与えます。たとえ言葉が間違っていても、たとえ言葉が足りなくても、その姿勢に心が打たれるのです。実際、カタコトで話していた人が突然流暢に母国語で話すと、心が引いてしまうのは、理解できないからではなく、まったく別の印象を受けるからなのです。カタコトではありませんが、戦場カメラマンの人気も、単にスローテンポだったからではなく、その一生懸命さが人の心に届いたのでしょう。
「伝えることに一生懸命」
いまからカタコトになることは無理でも、これは可能です。伝えること、それはとても大切なことなのに、僕たちはどうしても軽視してしまいがち。軽視というと語弊があるかもしれませんが、伝えることを甘く見てしまう。伝えることほど難しいものはなく、自分が発したことをそのまま理解してもらうほうが奇跡で、むしろ誤解されることがあたりまえ。なのに人は伝わって当然と思ってしまう。誤解されると腹を立ててしまう。どんなに言葉を選んでも、それがイメージ通りに伝わるとは限らないのです。だからこそ、社会は丸くおさまるのですが。
かつて、「何を伝えるかよりも、どのように伝えるかのほうが大事だ」という話をしましたが、カタコトはそのいい例かもしれません。「私はあなたを愛しています」と滞りなく話されるよりも、「私は・・・あなたを・・・愛して・・・います・・・」とたどたどしく言われたほうが、なんだかよりぐっと心に響くもの。やはり伝え方は大事なのです。
付け加えるなら、日本人は、そもそも海外からの来客に異様に弱いという点。というのも、海外では、どうにか英語を駆使して並べたところで、「は?チミ、なにいってんの?」みたいな表情をされることもあります。海外においては、カタコト力は日本ほど通用しないかもしれません。それに比べて日本人は、海外からの人がちょっと日本語を発すると接待するように笑顔で受け止めます。国際的な感覚の欠如。様々な人種のなかではなく、日本人とそれ以外という二者択一のなかでの生活。そういったことが、日本語を使用してくれる外国人に対して贔屓してしまうのです。また、たどたどしさの魅力は賞味期限があります。最初はいいとしても、日常生活で何年もカタコトで伝えられては、徐々にしんどくなる可能性もあります。だからカタコトは、ファンという距離感で楽しむのがちょうどいいのでしょう。
一生懸命であることは美しい。それは伝えることに限ったことではありません。しかし、人はなにかを伝えずに生きてゆくことはできませんし、伝える気持ちはいつも大切にしたいもの。カタコト力、そえは伝えることに一生懸命になること。デーブスペクター氏も、もっとカタコトだったら、違う印象を与えていたかもしれません。人の心に届かせるためには、カタコトの日本語で話す韓流スターのような、一生懸命さが必要なのです。
PS:7月20日(水)から「LOVE DISCO」配信されます!ぜひこの夏のBGMに!!
2011年07月17日 00:11
コメント
僕の近所だけなら、申し訳ないのですが、韓流スターにはまっている奥様たちの旦那さんは細かくて口うるさい人が多い感じです。つまりカタコトが気持いい(家の中はうるさいので)んじゃないでしょうか?まあ容姿の面もと考えられるけど、そこはあまり突き詰めたくありませんので、このへんで!
投稿者: 下町の根強いふかわファン | 2011年07月17日 07:20
一生懸命さの手段を学ぶことは、不可欠なのかもしれませんね。カタコトとはちょっと違いますが、唯一観た韓流映画、「私の頭の中の消しゴム」のなかで、チョン・ウソンの語り口調は、魅力的でした。朴訥として素直なニュアンス。発する音(言葉)の間の取り方に、やさしさが伝わって。。。胸がキュン、キュンしましたが、なぜかハマらないように、ブレーキをかけちゃいました。
確かに、今、ブームですよね。その表情は柔らかな印象を与え、誰でもが夢中になりえる素材!賞味期限のある「カタコト表現」ならだまされてもいいかも、なんて思っちゃいます。これも、台本ありきの世界。カーブは、落ちるんですよね。
「ロケショー」、お疲れさまでした。素敵なお声のゲストの方と、フィナーレに向かう時間に、大人のトーク。哲学体質な私には、とてもここちよくて・・・。ふかわさんはいつも、語りの準備が万端ですね!(願わくば、毎週欲しいコーナーです) 最近、ほど良い距離が保てる友人たちとディスカッションしています。「哲学という終着駅」を目指して・・・。というか、おしゃべりサロンな感じです〜! さぁ、気を取り直して世の中の出来事に、無関心にならないようにしよう。関心を寄せるのに、理由は、イラナイ・・・。 明け方の月、きれいでしたね〜!
投稿者: アトリエのピンクッション | 2011年07月17日 19:16
英語が世界の共通語であるが故に、海外でのつたない私の英語力はかなり必死で一生懸命話しているにもかかわらず、やはり日本国内での外人の一生懸命さとは具合が違います。どんなに頑張っても「はぁ?」というリアクションはどの国でも同じなのです。
「私もイギリスかアメリカで生まれていればなぁ…どこの国へ言っても英語がわからない方がおかしいよあなた、と言えたのに」と思う事はしばしばあります。
だとすれば、日本で必死に日本語を話そうとしている外国人はかなり殊勝な外国人だと言えます。(もちろん芸能人だからというのもあるかとは思いますが)
私の父親は歳のせいもありますが、ここ最近は「あれ、それ」の言葉の頻度が高くなりつつあります。しかも「あれじゃわからない」と言うと逆切れされます。長年連れ添った母でもわからないのに、娘の私にわかるわけがなかろうと思うのですが…。
必ずしもたくさん言葉を連ねる事が一番大事とは思いませんが「伝えたいんだ」という事だけわかってもらえればいいのかなぁと。高倉健さんのように朴訥(ぼくとつ)としている人もそれはそれで味わいがあるわけで…。
私は人によって話し方を変えたりします。まず結論という簡潔な話を求める人、起承転結という経過があって結果があるという過程まで話を聞きたい人など、ある程度コミュニケーションをとって行く内にその人の求める話し方を構築して行きます。それを間違えると相手に不快感を与えたり、聞くのを鬱陶しく思われるからです。
話術というのも私はそんなに上手な方ではないので、大そうな事は言えた義理ではないのですが…。
PS:「LOVE DISCO」楽しみです!(ペギー葉山さんの?)
投稿者: ラブ伊豆オール | 2011年07月17日 23:48
こんにちは。
老若男女を問わずどんなことでもカタコトで何かを言われたら思わず胸がきゅんとしますね!
「チミ、なにいてるの?」には笑いましたが、わたしもそう思われている側の人間だと思うので笑っている場合ではなく気をつけたいと思います。
投稿者: フィンランドの雨 | 2011年07月18日 22:32
言いたいことや伝えたいことが山ほどあるのに、それを言葉に変換できなくて、できても声にだせなくて、もどかしい気持ちだけが胸に溜まっていく。。
伝えるには相手が必要で、
伝えようとすることは相手の反応を想像することとセットで、時にその想像が邪魔をする。。
自分の気持ちを伝えることは、とてつもなくエネルギーのいることだし難しい。
ps:LOVE DISCOリリース&iTunes1位おめでとうございます。毎日聴いてます。「R」が行方不明の時に落としちゃいました。。笑
投稿者: lady beetle | 2011年07月21日 21:06
最終的に、世界のそれぞれの言語はいったいどんな風に始まったんだろう??
と考えさせられました…
人種の数だけ言葉があって伝え方があって…
音楽も言語なのかもしれませんね
投稿者: ひょう | 2011年07月23日 10:38