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2011年06月19日

第450回「未来は、いま作られている」

 もし、原発の問題が起きていなかったら、いまごろ僕たちはどうしていたのでしょう。相変わらず電気を好きなだけ使い、なんのためらいもなくエアコンにリモコンを向けていたのでしょうか。3月11日は、人類に大きな変動を与えた日。ただ、「自然が教えてくれた」とか「教訓」という表現は好きではなく、自然はあくまで自然。天罰でもないし、メッセージでもない。自然の中で生きるということはどういうことなのかを、人はそれぞれに感じればいいのだと思っています。本当の豊かさとはなにか、人間にとって大切なものはなにか。それまで見えなかったものが、見えてくるようになったいま、僕たちはこれからどんな未来に進むのでしょう。

「どこでもドアは必要ですか」

 そう訊かれれば必要じゃない、という人がほとんどだと思いますが、欲しいですか、と訊かれれば、頷く人は少なくないでしょう。これさえあれば、世界中どこにだっていくことができるどこでもドアは、まさに夢の道具の代表格。ドラえもんの道具は、依存しすぎると痛い目に遭う、というところに作品の本質がありますが、これに関しては、しずかちゃんにお湯をかけられるくらいで、使いすぎて痛い目に遭ったというシーンは見たことがありません。作者はどのように考えていたのでしょう。人類の進歩とは、僕たちの未来は、どこでもドアを手に入れることなのでしょうか。

 リニアモーターカーは最速で時速500キロ。東京大阪間を約1時間で移動できるようになります。これは非常に便利な反面、ビジネスマンからしたら、さらに仕事が増えて、より忙しくなるでしょう。かつては一泊できた地方出張も、新幹線や飛行機のおかげで日帰りが当たり前になりました。リニアモーターカーが実用化されれば、一日に三往復ということもあるかもしれません。だからといって、新幹線や飛行機がそうだったように、パソコンやケータイがそうだったように、この技術革新を制止することはできません。いくらスローライフだなんだといっても、ちょうどいい具合でとまってはくれず、人類の欲望は歯止めが利きません。必要だと思っていなくても、いざ目の前に現れると使わずにはいられない。そうやって、あれよあれよというまに、今日の社会ができあがりました。いまの社会は昔の人からすれば、まさにドラえもんの世界かもしれません。結局は、僕たちの価値観が構築した社会。僕たちの価値観が世の中を構築するのに、これからの社会の設計図がありません。僕たちの未来は、大阪にはやく到着することでしょうか。どこでもドアを手に入れることなのでしょうか。

 なんでもすぐに手に入る、なんでも簡単に手に入る、僕たちは着実にどこでもドアな未来へ進んでいます。もしこのドアを手に入れたら、最初はいいかもしれませんが、やがて感動は薄まり、生きがいを見失ってしまうでしょう。一人であらゆる欲望が簡単に満たされて、人との関わり合いがさらに希薄になるかもしれません。夢の道具は、得るものも失うものも大きいのです。 

 
幸福は、時間をかければかけるだけ、その実感は大きいもの。苦労をしないと人にやさしくできないし、悲しみはたくさんの愛を受け取ることができる。

 確かにあの日、悲劇は起きました。でも、そのあとに、助け合いや絆、笑顔や音楽、いたるところできれいな花が咲きました。だから、これから訪れる未来を、限られた電力で迎えたなら、たしかに暑くてどうしようもない夏かもしれない、その先には凍えそうな冬が待っているかもしれない。でもそのかわり、人と人との関わりは増し、得るものや生まれるものもきっとあるはず。そこに新たな花が咲くことを信じて、いま種を蒔くことはできないのでしょうか。それとも、その瞬間の快適さのほうが大事でしょうか。 

 
物質的な豊かさに埋没し、過剰な快適さに溺れ、僕たちは本当の豊かさを見失っていました。僕たちはこれからも、人のぬくもりを感じられない社会を生きていくのでしょうか。どんなに社会が進歩しても、人と人との関わり合いのない社会や希望が見出せないそれでは、いつまでたっても心は満たされません。波に呑まれたものはモノだけではありません。しかし、残った命を勇気付けるものはきっと人と人とのつながりだったはずです。どんなに大きな波でも、絆を流すことはできません。ボランティアに行く人が多い理由のひとつは、いまの社会で感じられない「必要とされる喜び」がそこにあるからでしょう。社会にもっとも必要なものを軽視し、表面上の豊かさばかり追い求めていては、いつまでたっても成熟した社会とはいえないのです。   

 もちろん、いままでの社会が間違っていたということではありません。社会は常に、そのときの最善を求めて進んでいくもの。代償は大きすぎたかもしれませんが、人類が経験しなければならない通過点だったのです。もっと早く気付いていたら、実際警鐘をずっと前から鳴らしていた人もいます。でも、いま過去のことを蒸し返すことよりも、これから迎える未来をどうするかのほうが大切なのです。次週へ続きます。



2011年06月19日 00:13

コメント

ちょっとした未来だけどふかわさんは冬のことを考えているのは凄いです。今は夏の節電一色ですけど、冬の暖房で使われる電気使用量は夏を上回るはずです。もちろん冬までに電力の供給能力が復旧すればいいのですが?僕は3月の時点で経験した家の中でも防寒服といった手法を体の強化と共に再び繰り返そうと考えています!

投稿者: 下町の根強いふかわファン | 2011年06月19日 07:43

最近、エアコンのリモコン、「ピピッ」というONの音に、何か違和感!その他の便利な電子音にも、疑問を持つようになりました。車や新幹線も使わないことが考えられない時代です。便利な場所に人は集まります。便利に、スピード感は要らないですよね。チューブのような東京の地下鉄も深刻です。駅地下へ出かける回数も、減っています。

 ここで価値観の発想を変えないと・・・。ミツバチの羽音のごとく、共鳴し合い声を上げることが大切ですね。人間は、約束できないモノたちを作ってしまっています。同じ過ちをおかさないようにしなければ。流されないようにして、エネルギー整備の青写真を描き続けなければ・・・。いまこそ、足るを知ることが大切。お金や物を残すより、人を残すことが大切ですもの。そして、人とのつながりも。

 ところでふかわさんは、「アイスランド」に旅する頃から(本当は、もっと以前からだったのでしょうか?)、エネルギー問題に対して、危惧されていましたよね。自然と一体化していくことこそが、共存していける唯一の方法だと思います。ビーチだって、何もないそのままが一番美しい!暮らしを見つめ直し、自分たちでエネルギーを作り出すこと。この思考を止めないようにしなければ・・・。この想いに水をやり続けようと思います。

 運動も、ポジティブになれるエネルギーを生み出します。特に水泳は、道具も要らないですし、水中って別世界への入り口ですね。きっと、年末のきゅりあんでは、姿勢もよく、スーツも、バシッと着こなしているんでしょうね。Sフィットネスって・・・。同じです〜!

投稿者: アトリエのピンクッション | 2011年06月19日 20:40

  
今回の震災では自然の中で生きているんだということを思い知らされました。
人間は知恵と技術で安全性をコントロールできると思いこんでいたけれど、そうではありませんでした。いくら備えていても、自然の力は計り知れないもの。自然の力の脅威を改めて実感しました。

それと共に今までの生活でのあり方を、社会のあり方見直すようになりました。
 
戦後の日本はひたすら経済成長を目指し、資源の無い国が一経済大国になりました。
その過程で急速に増えた便利なものたち。それと同時に失われてきた人との関わり。

私たちは便利さと快適さに中毒で、楽を知ってしまうとなかなか手放せません。
でも今、過剰な便利さへの違和感に気付き始めました。どの様なあり方が私たちにとって最適なのでしょう。
 
他国のあり方を参考には出来るけど、気候も風土も国民性も違うので全くの真似は出来ないでしょう。私たちの最適を探らないといけませんね。
でも、日本がこれからの未来を方向付けられたならば、経済成長を遂げらたように、私たちは着実にゴールに向かってその道を進むことが出来ると思います。

Japan as no.1の時代はとっくに終わり、次に目指す社会はどのような社会でしょうか。


次回を楽しみにしてます。

投稿者: lady beetle | 2011年06月20日 00:23

どこでもドアの件ですが、
私も同じ事を考えておりました。

技術革新が進み、生活が便利になればそれだけ私達には仕事が増えてしまうのですよね。
しかし、ヒト、モノに限界効用がある限り、このサイクルはどこかで頭打ちになると思いませんか。

投稿者: Revers | 2011年06月23日 07:26

今回のブログを読んで、いろいろな事が頭に浮かんでいます。だから今は、ここにちゃんとしたコメントが(いつもちゃんとしてませんが)書けないです。

そんな中でも今週思ったことがあります。
放射能のことをすぐ心配する自分が大きくなっているけれど、その前に現地の人たちの事をもう一度思う人間にならなければと思いました。

投稿者: フィンランドの雨 | 2011年06月23日 23:53

いよいよ本格的に暑くなってきてへこたれそうになる時もあります。

でも確実に涼しい本当の風も感じることができています。

未来も、未来の自分も今つくられている。
そう考えると、自然に気持ちが前に向かっていける気がします。

投稿者: ひょう | 2011年06月24日 08:56

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