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2011年04月10日
第443回「シリーズ人生に必要な力その50春の力」
「春のうららの墨田川」
「春の小川はさらさらゆくよ」
おそらく日本人ならメロディーとともに頭の中にのどかな光景が浮かぶでしょう。童謡や唱歌に限らず、この国ではたくさんの春の歌がうまれ、多くの人に親しまれてきました。ヴィヴァルディーやメンデルスゾーンの曲にもあるように、それが世界でも愛されていることはいうまでもありません。子供の頃は、海水浴などのできる夏に比べ、それほど魅力を感じていませんでしたが、大人になると、その美しさや味わい深さに気付くものです。
小さな芽が顔を出す春。川面がきらきらする春。厚い氷で覆われた世界に光が差し込み、動物たちが長い眠りから目覚め、木々や草花は生い茂り、世界が鮮やかに彩られる春。それは、まるでなにもなかった星に新たな生命が次々と誕生していくようです。
各国それぞれに春のカタチがありますが、日本は日本の春のカタチ、春の色があるでしょう。やはり桜はその象徴的存在で、多くの日本人に愛されるとともに、日本らしさや日本人としての実感を与えてくれます。だから、年に一度の春の訪れを日本人はあたたかく迎えます。春ほど歓迎される季節はほかにないかもしれません。いずれにしても、春はいつも平等に、世界をやさしく包んでくれるのです。
卒業、別れの春でもありますが、やはり旅立ち、新たなスタートの春。初々しい新入社員に真新しいランドセル。いたるところにピカピカの一年生を見ることができます。心機一転。躍動感。まるで暗闇に差し込む一筋の光のように、春はそれだけで僕たちに希望を与えてくれます。気分が高揚し、なんだかいろいろなことがうまくいきそうな予感。新しくなにかをはじめたり、心を入れ替えて再スタートを切るのにちょうどいい季節。それこそ被災地の人々にとっても、これから極寒の冬にじわじわ突入していくよりは、徐々にあたたかくなっていくことは多くの安心や希望をもたらしてくれるでしょう。春の日差しは希望の光。思慮深くて行動に移せない自分の殻を破って動き始めるとき。分厚い氷を割るように、沈黙の冬を突き破るときなのです。
言葉は悪いですが、やはりこの春の力を利用しない手はありません。前向きな気持ちやなにかにチャレンジしたくなる勇気、この感覚は幻でも単なる偶然でもありません。同じ自然の一部として、草花が躍動するように、僕たちも動き出すことは必然的なこと。躊躇する自分の背中を春に押してもらうのです。春の力を利用して、環境を変えたり、新しい世界に飛びこむのです。
しかしながら、悲しいかな、人はすぐに忘れてしまうもの。新たにはじめたことも、夏が来る前に終了してしまう。土筆のように春に芽生えた意識も、夏の暑さに負けて、水やりがたりない草花のように萎えてしまう。あのとき芽生えた熱い感情を枯らしてしまうのです。せっかく春に背中を押してもらったのに、せっかく新しい自分を見つけたのに、持続させる力が足りなかったのです。
そのために約束するのです。草花と。桜と。春はいつまでも付き添ってくれません。次の春の訪れまでは、自分でしっかりと水遣りを続けるために、約束するのです。春との約束。次の春まで続けることを春に誓うのです。そして次の春が訪れたとき、薄いピンク色に染まる桜の木を見たときに、自分はなにを思うのか。あのとき交わした約束を守ることができたか。そのことすらすっかり忘れているかもしれません。でもきっと桜は覚えています。桜はなにも語らず黙って花を咲かせるでしょう。春は裏切りません。一度だって、季節を怠った春はないのです。春との約束や、未来の自分との約束なのです。
約束の春。決意の春。それは若干ぼんやりした新年のスタートよりも力強いもの。草木が芽生えることも、感情が芽生えることも同じ。新しい自分に出会うために、自分の世界を広げるために。そしてそれらを単なる瞬間的、衝動的なものにしないためにも、人生には、春の力が必要なのです。
2011年04月10日 00:12
コメント
春の力ですか。そうですね。
私は何故か毎年3月は切ない春で、4月になると優しい春に変化します。
震災が起こってから海外に住む友人たちがみんな日本の様子を心配してメールをくれました。各国でも日本のニュースは連日報道されているようです。
私は先日友人たちに返信をしました。
「震災のニュースはとても辛い出来事で、まだ原発の問題も解決していなくてこれから先も不安定なんだ。でも今一つだけいいニュースがあるの!桜が咲いたんだ。日本人は桜を愛していて、みんなこの花から希望やパワーをもらうんだよ!」
桜に関しては我ながら適当すぎる説明で、私のせいで日本の文化が誤って理解されていないかいつも不安なのですが、何故か無意識にそんな文章を打っていました。花はたくさんあるのにどうしても桜には特別な想いを寄せてしまいますね。
春の約束ですね!了解です!またこの花が咲いたら、そしてロケ兄さんの配信してくださった音楽を聴いたら、ぶわっと一気に今の感情が頭の中に蘇ってくるんだと思います。今の想いを花と音楽に焼き付けておこう。
投稿者: Sweet Fish | 2011年04月10日 13:44
春が こんなにも 力を与えてくれていることを再確認しました。ちょうど春の短歌を 考えていたところでした。
約束が
果たせずサクラ
通りすぎ
駆け込むキミは
春を手渡し
調子にのって 二つ目短歌
きみどりの
新芽の芽吹き
一斉に
サラダボールが
春のモチーフ
改めて春を 満喫できました。約束のゆびきりげんまん! 来年も。
投稿者: アトリエのピンクッション | 2011年04月10日 14:39
3月から4月にかけてというと新年度入りということでなにか落ち着かない季節のイメージで僕はどちらかというち秋が好きです。但し今年に限っては震災の復興のためにも早い春の訪れと程よい暑さの夏を期待しています。
投稿者: 下町の根強いふかわファン | 2011年04月10日 16:39
春が好きです。
理由は数々あるけど、生まれた季節だからというのが大きな理由の1つだと思います。子どものころ自分の生まれた時の話を聞きました。母が言うには、私が生まれた日には桜が本当にキレイに咲いていたそうです。その話は子どもながらにとても印象的で、その時から桜に対する見方が変わったのかもしれません。
学生の時は学年が上がるという区切りがあったので、それにつれて心機一転、新たな気持で新しく一年を向かえられました。
働くようになってからはそれが無くなってしまいました。特に今年は年度末が慌ただしかったからか、暖かくなるのが遅かったせいか、気がつくといつの間にかに、春ど真ん中です。危うく新たな気持を抱くことなく、春を通り過ぎてしまうところでした。
約束します。特別な思いのある桜と。“新しい自分に出会うために、自分の世界を広げるために。”
追伸: 前回のロケデラではココロを充電出来ました。ありがとうございました。
…扉を開けてあの空間に足を踏み入れたときの匂いが好きです。音がからだ中に響いて染み込んでいく感じが好きです。狭いフロアでみんなが同時に音に酔う瞬間が好きです。
…ふかわさんは、DJしているときに何を考えてますか。
何を感じ、何を想っていますか。。
投稿者: lady beetle | 2011年04月10日 23:42
春が訪れて 自分のなかでも「春がきた」ってしっかり感じたのに
なぜか見えない何かに ぶわ〜っと包まれていました
わたしは春の季節に立っていながら 未だに冬を生きているのだと思います
けれど やっとさっき 見えない何かに ヒビが入って
もうそろそろ それらが音を立てて崩れていきそうなところまでやってきました
来週 とある行動に出るのでふかわさんの言う
「決意の春」「約束の春」になるようにしたいと思います。
春を味方につけて、冬に「またね ありがとう」と言えるようにがんばります
投稿者: フィンランドの雨 | 2011年04月14日 16:19
いつも思うのは、日本に四季があってよかった、ということです。
うつろう季節のその中で、うまれる沢山の感情の豊潤さが、人にとっておおきな財産だと思うからです。
そういえば、どの季節が好き?というような会話は、今頃の季節に多い気がしますね。
今年は、何を見てもこれまでとは思うところが少し違う、そんな一年になりそうです。春の力からはじまって、あの場所に届きますように。
そう願います。
投稿者: ひょう | 2011年04月15日 06:46