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2011年02月13日

第437回「絶滅危惧種カタログ〜僕はキミを忘れない〜危惧番号③公衆電話<中篇>」

「724106」「14106」「1210903」

これを見てすんなり言葉が出る人はもう少なくなってしまったでしょう。でも、アレを持っていた人ならなんとなく見覚えはあるはずです。思い出せたでしょうか。そうです、アレというのはポケットベル、通称ポケベルです。家庭電話からの進化の過程で、この存在を忘れてはいけません。これこそが僕たちに伝達革命をもたらしたのです。

 ポケベルと聞いて懐かしいと思う人には必要ないのですが、実物を見たことがないという人も聞いたこともないという人もいるでしょう。形状で近いものは万歩計でしょうか。液晶はそれより大きいものの、文字通りポケットにはいるくらいの通信機器。まさかこれが一世を風靡した時代があったのです。

「こちらは東京テレメッセージです。合図のあとに番号を入力し、最後に#を押してください」

たしかこんなようなアナウンスだったと思います。艶のある女性の声に僕らは夢中で番号を押したものです。「最後に#を押す」儀式もここで習いました。

 ポケベルが誕生したのはなんと1960年代。もともとは官公庁や医療関係者の緊急連絡手段として使用されていたのが、徐々に一般企業のビジネスマンやタクシー運転手たちの間でも使用され、個人へと利用者層を拡大していきます。そして転機が訪れるのは90年代。なにがどうなったのか、女子高生たちの手に渡ると、一瞬にして火がつき、彼女たちの間で大ブームを巻き起こしたのです。爆発的にヒットしていた当時の新規化入者の7割近くは10代女性、ギリギリ10代だった僕の手にも間もなく渡ってきました。

最初はカナ表記ができなかったので、冒頭のように数字だけを入力し「なにしてる」「アイシテル」「いってきます」など、誰が決めたのか、独特な語呂合わせのルールで表現していました。これがある意味現在のメールの原型。限られた字数のなかで僕たちは、数字を送りあって想いを伝えていたのです。

 ただ、送りあっていたといっても、このポケベルから送信することはできません。ポケベルは受信するのみで、送りたい場合は公衆電話を探します。わざわざ公衆電話まで足を運んで「なにしてる」を伝える、それでも僕たちは面倒だなんて微塵も思わなかったのです。

やがて、爆発的普及が後押ししてか、液晶画面にカタカナが表記されるようになりました。いまでは当たり前になっているそんなことを僕たちは喜んだものです。「11」は「ア」、「21」が「カ」という50音の列を頭に浮かべて数字を打ちます。「アイシテル」なら「1112324483」と打つのですが、慣れてくると文字を見ただけで勝手に頭が数字に変換してしまうほどポケベルシフトの脳になっていました。文字数も限られているし、公衆電話なので10円の間に打たなくてはなりません、そんな制限の中で表現することがむしろ楽しかったのです。

この段階ではまだ公衆電話は、女子高生が列をなすほど不可欠な存在。もっとも公衆電話が輝いていた時代だったのかもしれません。でもこのとき、すでに絶滅への道をたどりはじめていたのです。

「ベル番おしえて」

これがいまでいう「メルアド教えて」。よく紙の切れ端にPBとかかれた番号を書いてもらったものです。これによって恋愛の形も少なからずかわりましたが、ここではじめて個人の番号を入手できたことが僕たちの意識を変えました。一人一台という意識。家の番号でなく、自分の番号を手に入れたこと。共有から個人所有、そしてそれを常に携帯しはじめたこと。これらにすっかり味をしめた僕たちの個人主義へ憧れが、今後訪れる新たな道具への受け皿となり、ポケベルを絶滅の道へ誘うのです。

ちなみに、ポケベルの料金は月々の支払いでだいたい2000円前後。本体は買い取りとレンタルとありましたが、お金を払ってでも誰かとコミュニケーションを取りたかったのです。いまのケータイのようにどこでも使えるわけではなく、契約時に使用する範囲を選択し、もしかしたら「圏外」という言葉もここから使用していたかもしれません。広末涼子さんがタコの公園で歌っていたり、「クリスマスベルを鳴らそう」なんていうCMは当時話題になりました。ドコモという言葉を耳にするようになったのもこの頃でしょうか。「ポケベルが鳴らなくて」というドラマや歌もヒットしました。バイブ機能もポケベルで習いました。好きな子から振動でメッセージが届く瞬間。それはいままで味わうことのなかった「繋がる喜び」でした。もしかしたら「伝える」ことよりも「繋がる」ことが重要だったのかもしれません。いずれにしても、授業中に小さな手紙を回していた少女たちにとってはこんなに楽しいことはありません。とにかく寝ても覚めてもポケベルだったのです。

あっけない幕切れでした。あんなにみんながぎゅっと握り締めていたものなのに、新しい道具が登場したら、おもちゃに飽きた子供のように、見向きもしなくなりました。そしてもう、戻ることはありませんでした。僕たちに繋がる感動を教えてくれたポケベルを、誰も手にしようとしなかったのです。

だとすると、これこそ絶滅危惧種なのではと提案される方もいるかもしれません。確かに誰もが手にしていたものなのに、いまではまったく見なくなってしまいました。残念ながら2007年、ポケベルは絶滅種となったのです。もう僕たちはポケベルで思いを伝えることは不可能なのです。あんなにみんなが手放さなかったものを絶滅に追い込んだものは一体なんなのか、それはもう言うまでもありません。次週へ続きます。

2011年02月13日 00:04

コメント

ポケベルが鳴ると会社に電話といったイメージが僕は強いです。だから携帯にしても仕事関係の着信のため、確かに携帯しなければいけないのですが、精神的には結構苦痛です。ロケショーの来週のテーマにもなるけど、携帯忘れた欠落が意外に心地よいという感じです。

投稿者: 下町の根強いふかわファン | 2011年02月13日 07:23

やっぱり登場しましたね。 通過地点の「ポケベル」のお話。懐かしいなぁ・・・。当時、暗号みたいで、ワクワクしました。 本当に、一時でしたね。「ポケベルが鳴らなくて」の歌、思い出しても胸がキュンとします。 今思えば、あの頃のように気持ちを引きずりながら、待つことも学んで恋を実らせてもよっかたのでは・・・なんて思ったり。 余白の時間も必要ですよね。

ひとつ、ひとつの過去のできごとが、今、そして未来を作っていくんですね。 次は、iモード誕生に続くのでしょうか。

昨日のラジオ、ごはんもので盛り上がっていましたね。チョコの話題にいかないところがいいですね! なめたけも、めんたいも大好きです。 深夜放送なのに滑舌がよくて、いつも、感心、すごいなぁ〜!! 次週も楽しみにしていますね〜。

投稿者: アトリエのピンクッション | 2011年02月13日 15:23

先週の問いと答え

アレの正解はポケベルだったんですね。
ポケベルを実際に使ったことがないので想像するしかないのですが、受信のみというのがなんかいいですね。「白やぎさんからお手紙着いた〜」の歌のような牧歌的なイメージが湧いてしまいます。

今は携帯を持っていれはいつでも返信可能なため、返信の速さで友情だとか愛情だとかが計れてしまうらしいので、それを考えると、間が当たり前だった時代が羨ましくもあります。

文字を数字にすぐに頭で変換できることも凄い脳力ですよね。文字をそのまま打つことに慣れてしまった私たちには難しいかもしれません。機械によって便利になればなるほど、人間の脳力は落ちていってないでしょうか。


…なんだかポケベルが使いたくなってきました。


追伸:NYはとても寒かったけれど、人々は温かかったです。人との出会いはかけがえのないものだし、やっぱり実際に目にする景色は素晴らしいと実感する旅でした。経験値が少しあがった気がします。

投稿者: lady beetle | 2011年02月17日 21:56

この頃いちばん、くすぐったい時期だったかもしれません。

視覚で伝わってくる想い、手紙よりももっとリアルタイムで。同じように、今相手も公衆電話の前に立って。

なんとなく優しい気分になれました。
やっぱりここは、いつもいろんな感情を考えさせてくれます。

「124375 119221044513」

投稿者: ひょう | 2011年02月18日 06:57

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