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2011年02月06日
第436回「絶滅危惧種カタログ〜僕はキミを忘れない〜危惧番号③公衆電話<前編>」
「これだけあれば充分かな」
閑静な住宅街に煌煌と光りを放つ透明の箱の中にひとりの少年がいました。十円玉を握り締める手にはじんわり汗が滲んでいます。まるでお賽銭のようにそれを細い隙間に入れると少年は、箱がへこんでしまいそうなくらい深く息を吸い込んでは吐き出していきました。いまから20年以上前のことです。
人が、「電話」というものを意識するのは何歳くらいでしょう。おもちゃのそれに触れるのが2,3歳として、幼稚園に入るくらいにはもうその機能を認識していたでしょうか。少なくとも家にある黒い物体に興味を抱いていたはずです。当時はどの家庭も真っ黒で小さなお相撲さんのようにどっしりとした形状。リビングの端にいたり玄関の近くにいたり、またレースを掛けられたり洋服を着せられたり、各家庭の色がそこにありました。いまとなってははじめて電話をした相手が誰だったのか覚えていませんが、出前をとるときなどはかけたがっていたし、かかってきたら誰よりもはやく手を伸ばしていた気がします。
いまはボタンひとつで相手に繋がりますが、黒電話のダイヤルはまさに回すタイプ。その中央にその電話の番号が表記されていました。一回一回ダイヤルを回すのでそれなりに時間もかかります。古いタイプだと戻りが遅く、新しいものだとバネが強いのか戻りも一瞬。ただ、指をはなしてからダイヤルが戻ってくるその間に気持ちを落ち着かせたり、頭の中を整理できました。せっかちな人は戻すのも自分の指で行っていましたが、あのダイヤルの重みもいまだに覚えています。
基本的に固定されているので、ドラマなどで本体を片手で持ち歩いてソファで話している姿に憧れたものです。オフィスなどでしか見られないプッシュ式の電話も同様に。もちろん着信履歴という言葉さえない時代だから、あの頃は、きっと外出中にかかってきたんだろうというゆとりもありました。そういえば当時は友人の番号など、何件か頭にはいっていて、なかにはいまだに消えていないものもありますが、いまではだれの番号も記憶しなくなりましたね。もちろん、マナーモードやサイレントなんて、発想すら存在していません。食事中だろうがドラマに熱中していようが夫婦喧嘩の最中だろうが、その場の空気に関係なく黒い物体は、まるで非常事態警報かのように全国各地の家庭で、ベルをかき鳴らしていたのです。そういえばこの頃はKYなんて言葉もなかった気がします。
「りょうちゃん、よしひろ君から電話よー」
これが当時の保留音。手でおさえるとフィルターのかかったサウンドになったりもしましたが、このやりとりで部屋の間取りがわかったものです。それだけでなく、親子間の距離や、兄弟喧嘩の様子、普段見せないわがままなところなど、いろんなものがこの保留の間に伝わってきました。ただ、お金持ちの家は違いました。「エリーゼのために」がオルゴールで流れてきました。受話器を置くためのオルゴール。あれにはかなり憧れたもので、好きな人の家から流れてきたらさらに胸がときめくのです。人の家で電話を借りるときに10円を置いて「いいのよそんなの」なんていうやりとりがあったのもこの頃でしょうか。キャッチホンの機能が登場するのはもう少しあとだったかな。
「これをまわせば…」
しかし最後の番号をおさえた指が円を描いたところでぴたっととまりました。この指を離したらつながる、つながってしまう。期待と不安が交錯するなか、指が離れ、ダイヤルが勢いよく戻ると同時に少年は受話器を戻しました。厳密にいうと、受話器をおくところのあれを指で下げてしまいました。
「だめだぁ…」
不倫ではなくても「ダイヤルまわして手をとめた」のです。プラスチックのピラピラの向こうにただ10円玉が溜まっていく。そんなことを繰り返し、何十回目でしょうか、遂になにかに接続された感じのところまでたどり着きました。呼び出し音がはじまるともう切るわけにはいきません。耳から入ってくる音が鼓動とセッションしながら全身を駆け抜けていきます。そして透明の箱と憧れの女性の家が繋がりました。
「はい」
男性の声にもう頭の中は真っ白になります。
「あ、あの、○○さん、い、いらっしゃいますでしょうか」
「どちら様ですか」
「はい、あの、僕、えっと…」
結局話したい人とは話せないまま受話器を置きました。透明の箱をあとにするときの扉が、入るときの何十倍も重く感じます。
こういった経験はきっと僕だけではないでしょう。なぜこんなことをしているのかというと、家でできなかったからです。ケータイも子機もない時代、固定された電話では家族に聞かれてしまうため、だれもいない間にするか、このように近所の公衆電話に走らなければならなかったのです。もちろん、親の前でも平気な人もいるでしょう。それができない人のために公衆電話はやさしく光っていたのです。なぜ話したい人と話せなかったかといえば、当時は「いま留守にしてる」と娘に取り次がないお父さんは珍しくなかったのです。いわゆる門前払い。だから本人がでたり、やさしいお母さんが出たときの安堵感に胸をなでおろしたものです。実際当時、なにを話していたのでしょう。内容こそおぼえていないものの、10円玉が本体のなかで落ちて積まれていく音はしっかりと耳に残っています。
そして握り締めるものが小銭から一枚のカードになります。そうです、テレフォンカードです。このカードはグッズとしても人気を博し、プレゼントもしやすく「テレカ」として爆発的に普及しました。駅に公衆電話がズラリと並び、ピピーピピーという音がその場を賑わせました。それと同じくして、全国の恋人たちに朗報が舞い込んできます。プッシュタイプの電話が家庭でも普及し、遂に子機が誕生したのです。それを皆我が子のように喜びました。これで家族に聞かれる心配はなくなったのです。長電話が社会的に問題になったり、話し中の解決策としてのキャッチホンが導入されるのもこの頃でしょうか。
好きな人ができると話したくなる。それは恋人とでも、友人とでも。やはり通信事業の発達を支えたのは恋愛といっても過言ではないくらい、電話と恋愛は切っても切れない関係のようです。でも、いま思えば、あの頃は好きな人の電話番号をどうやって知ることができたのでしょう。いまみたいに「メルアド教えて!」というノリではなかったと思います。連絡網を見てかけたのでしょうか。この連絡網ももはや絶滅危惧種に値しますが。もし連絡先の交換が家の番号だとしたらいまからすれば面白い光景です。
子機が誕生してから、小さなお相撲さんはどこかへ失踪してしまいました。その代わり、どの家庭でも平等に保留音が内臓され、家の間取りや家庭の事情はバレなくなりました。留守番電話やファックスなども搭載され、黒い物体はいつのまにか機械のような、スマートで都会的な雰囲気に変わったのです。そしてそこからしばらく劇的な変化もなく、安定した時代が続きます。まだ公衆電話は街で多く見かけます。変化が訪れるのはアレが登場してからです。次週へ続きます。
ps:体感的な時系列なので実際のそれとは異なるかもしれないことをご了承ください。
2011年02月06日 10:12
コメント
使う予定もないのに
思わずメモしてしまうような、
いい表現がいっぱいありますね。
投稿者: サルキ | 2011年02月06日 11:45
公衆電話懐かしいですね!私が中学生のころはもう子機が家の中に2台体制でいるような感じだったので、親の前で会話が聞かれることはなかったのですが、相手に電話するとき男の子とは逆で「お母さんがでたらどうしよう…」という気持ちはありましたね。
公衆電話からお迎えコールしていたのが懐かしいなあ〜〜
「やはり通信事業の発達を支えたのは恋愛といっても過言ではないくらい」
これはまさにその通りだと思います。
後編楽しみにしてます。
投稿者: チオリーヌ | 2011年02月06日 11:48
わが家のお相撲さんは、どこへ出かけてしまったのでしょうか。デン!としてかっこよかったのに・・・。 その存在がなくなって、言葉や想いがそれぞれの方向に歩き始め、みんなケータイという部屋に閉じこもってしまいました。
そういえば昔、通信業務関連会社の株にうかれていた時代もありましたね。公衆電話に並んで電話することが、絵的には素敵なので、夢物語にはしたくないなぁ・・・。
CGも何もない頃観た映画、「恋におちて」は、今も大切な、原点の映画。その中で、旅立つことを告げようとした、ロバート・デ・ニーロは、メリル・ストリープと電話で話すことができなくて、夫に不倫がバレてしまいました。ケータイがあったら、あのストーリーも違っていたでしょうね。 なくて、よかった! ラストには、ごほうびが〜。
恋愛のテンポも、黒電話のほうがきっとゆっくりすすめられるはず。 コードを指でくるくる回したり、ひっぱったりしながら、待つこと、思い巡らすことが大切って思えるだろうし。
ふかわさんチャンネルに、心が定着!これは、もはや、流行も文化も飛び越えて、孤高の分野ですね。 孤高のDJ・・・! ステキです〜!
次回も、楽しみにしています〜!
投稿者: アトリエのピンクッション | 2011年02月06日 16:41
家電と公衆電話と10円と
この3つを連想したときに結びつくのは小学生のころの想い出です。
帰り道、友達と遊ぶ際に予定を決めてから別れればいいものを、わざわざ「家帰ったら電話するねー!」と言っていたものでした。よほど電話をかけたかったのでしょう。仲の良い友達の電話番号は完璧に覚えていました。
学校の教務室の前にある公衆電話。忘れ物をした時に慌てて、親とのホットラインを繋いだのを覚えています。その為にみんな名札の裏に10円玉を入れていたことも思い出しました。
今回のブログは、ぼんやりと子ども時代を思いださせてくれました。とても懐かしいです。
それでも思いだせないのは、家電がいつダイヤル式からプッシュ式に代わったのか。いつFAX付に代わったのかです。
次々と新たな機能が追加され、いつの間かに世代交代している。
今はこのペースがどんどん速くなっているんでしょうね。
次回、後編を楽しみにしています。
追伸:今、旅に"アレ"を持っていくか悩んでるところです。(アレが指すものが違ったらどうしよう…)
今回の旅の決断に背中を押してくれたあの日のブログに感謝を込めて。
いってきます。
投稿者: lady beetle | 2011年02月07日 00:03
人気のない場所にある公衆電話ほど薄暗くなる頃から必ず誰か利用しているという記憶は残っています。またデパートもたくさん並んだ電話に行列というのも目に浮かびます。ふかわさんはダイヤルするドキドキを感じた世代なんですね!僕は当然ふかわさんより年上ですから、0を回した時のあの長さ忘れられないですね!
投稿者: 下町の根強いふかわファン | 2011年02月07日 08:48
初コメントさせていただきます!中性JKと申します。
去年のクリスマスプレゼントでもらったiPodにラジオ機能を発見し、面白い番組はないだろうかと土曜の深夜にFMをあさっていた際、このロケットマンショーを初めて拝聴させていただきました。
シャカの植松さんが出ていることと、トークの内容からお笑い芸人さんであることは予想していたのですが、昨日wikiで調べたらまさかのふかわさんで驚きました!!
お二人でトークをされていたので、てっきりロケットマンというコンビさんが放送されていると思っていたので本当にびっくりしました。
お笑いを交えながらも、真面目なトークにいたく共感し、また考え方があまりに格好良くて、よし、ロケットマンさんのファンになろうと決意していたので、逆にふかわさんということを知ったことでいつも拝見しているキャラとのギャップに感動しました。私、今日からロケットマンさんことふかわりょうさんのファンになります!^^
長々と読みにくいコメントごめんなさい・・・来週の放送も楽しみにしてます!
投稿者: 中性JK | 2011年02月07日 22:17
やっぱり聞かれたくなくて、家族のくつろぐ居間と廊下の扉に挟まれた、コードはいつも痛そうでした。
未だにどういった仕組みで繋がっていたのか・・・頭では分かっていても、今の携帯の電波の理由の方がよっぽど理解しやすいです。
同じ数字を続けざまにダイヤルするときの、あのおしゃれな指使いも、思いだして笑ってしまいます。
当時オレンジカードも集めていた覚えがありますが、あれがスイカやパスモのはしりだったということでしょうか。
そして?暗号?みたいな?
アレ、の登場・・・後半も楽しみです。
投稿者: ひょう | 2011年02月11日 00:45
つい3年ほど前、当時高校1年生だった私はもちろん携帯電話を持つ"イマドキのワカモノ"でした。
しかし、充電をし忘れて丸1日携帯電話が使えないなんてこともしばしば...。
お恥ずかしい話ですが、母親に学校への送り迎えをしてもらってたので、連絡できないと家に帰れない。
そんなときお世話になったのが公衆電話です。
今の時代、公衆電話を使う高校生というのは少し想像しにくいかもしれませんね。
しかし実際のところ、電車通学をする友人たちもよく公衆電話を利用していました。
携帯の飛躍的な普及により公衆電話の用途は雑談から緊急用になって、ますます公衆電話の必要性は高まったように思えます。
投稿者: アフロ奈美恵 | 2011年02月17日 06:51