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2011年01月16日

第433回「絶滅危惧種カタログ〜僕はキミを忘れない〜危惧番号①ボタン」

 iPad、iPhoneに追いつけ追い越せとばかりに、アンドロイドやギャラクシー、スマートフォンなどと新しい言葉が耳に入ってきます。それ自体は別に構わないのだけど、おかげで普段使用しているものがあっというまに奥に追いやられ、買って間もないのに突如鮮度が落ちてしまうことがあります。2年も同じケータイを使っていれば長持ちしているほうで、5年も使っていようものなら化石でも見るかのような目で見られる。情報の伝達スピードが増したせいなのか、企業の戦略の勝利なのか、どんなに華々しく登場した夢の道具も時代の流れに着いては行けず、いろんなものが早いペースで入れ替わり、もはや「新しいものが新しいものとしていられる時間はとても短い」システムになりました。殊に、時代を反映するテレビなどではそのような傾向は顕著に見られます。
 お笑い業界、かつてはブレイクしたコンビは少なくとも一年間あらゆる番組で活躍できたものですが、いまではブレイクも上半期と下半期に別れ、半年、もしくはもっと早い周期で旬の芸人さんは入れ替わり、年始と年末では画面の中で活躍する人が入れ替わっていることも珍しくありません。このことが必ずしも悪いことではないのですが、もしも江戸時代に漫才のコンテストがあったら、優勝したコンビは何十年と活躍し続けたかもしれません。情報のスピードがそうさせてしまったのか、人が飽きやすくなってしまったのか、旬が旬である時間はどんどん短くなり、テレビの中に限らず、この世に生まれては一瞬にして消えてしまうものが星の数ほどあるのです。
 だからといって、今手にしているケータイが絶滅するかというと、それは当分ないでしょう。やがて人類はすべてを手放す(第403回参照)とは思っていますが、少なくともいまのうちはそれを危惧する必要もありません。ただ、その有無こそ機種によって異なりますが、ケータイに付随するものはもしかすると危惧に値するものかもしれません。絶滅しかけているもの、それはボタンです。
 3歳になる子供でもiPadで遊ぶことがあるそうです。画面を手でスライドさせている幼児。自分で購入する経済力こそないものの、もはやこんな光景は珍しいことではなく、今後もっと見られるようになるでしょう。保育園にiPad。おそらく彼らにとっては、かつてボタンだったのが画面に内臓されていった過程は知りません。なんの感動もなくスッスッっと操作する。つまり彼らは、ボタンがないのが当たり前、いわばタッチパネルジェネレーションなのです。
 もちろん、ケータイだけではありません。世の中、あらゆるものがタッチパネル化され、街からボタンが消えつつあります。
 切符を買うとき、お金を下ろす時、それこそ回転寿司にいったときもそう。あらゆるものがタッチパネルに取って代わられています。看護師さんを呼ぶとき、家のインターホンや非常ベルさえもこのままだとタッチパネルになるかもしれません。自分が苦しんでいるときにタッチパネルに触れたくありません、ピンポンダッシュもこれじゃ雰囲気でません。最近ではiPadを用いたマジシャンもでてきたそうです。核のボタンがタッチパネルでもなんか嫌です、というかこれに関してはもちろんどちらも嫌ですが、どうせ発射するならボタンであってほしいのです。ボタンとは違いますが、こうして叩いているキーボードだって、実際にタッチパネル式のキーボードも存在しているくらいなので時間の問題でしょう。なにもない画面もスライドできるのかと思ってつい手で触れてしまう、そうなるともはやタッチパネル症候群。誰もが知らないうちに、タッチパネルの波に呑まれタッチパネルの手によって犯されているのです。そして世の中の凹凸がどんどんなくなっていく。テレビの中こそ3Dに向っていますが、世の中は平面に向っているのでしょうか。
 だからといって、誰もがこのタッチパネル化現象に一抹のさみしさをおぼえているわけではありません。タッチパネル世代にとってはそれ以前を知らないのだからなんの寂しさもないはず。むしろ、タッチパネルに飽きたらまたそこに突起というものを作るようになるのかもしれません。
 おそらく、バスのボタンが最後の砦でしょう。降りる降りないに関わらずつい押してしまいたくなるあの魅惑の白い突起。あの指にほどよくフィットする四角いサイズ。あれこそボタンの中のボタン。あれがタッチパネルになったらもうおしまいです。どうかあれだけは守り抜きたいもの。冬に樹木を守るように、なにかで保護するべきでしょうか。タッチパネル反対の旗を掲げて行進するべきでしょうか。このままだとあの白い突起もいつしか液晶パネルになってしまいます。でも、それは決して悪いことではありません。人々がそれを望むのならそれでいいのです。すべてがタッチパネルで操作する時代。だから、僕は忘れません、この世にキミがいたことを。たとえそのときが訪れても、たとえ世の中がキミを忘れ去ってしまっても。ボクは忘れない。ラジカセで録音するときにオレンジ色のボタンを押したことを。ずっと忘れない。
 
 

2011年01月16日 00:25

コメント

文明やテクノロジーの発展は近年、本当に目まぐるしい程のスピードで進化し続けていますが、それらは本当に必要なものだけでしょうか。私たちよりも一世代前くらいの人が「今は便利な世の中になったなぁ」と言っているのを耳にしますが、私たちの世代でもその台詞を口にしてしまうと、何故か老け込んだ気になってしまいます。それはあまりに新商品の出るサイクルは早すぎる為でしょう。

ロケ兄の言う通り、「ボタン」の存在はあり続けるべきだと思います。そこには存在する「意義」があるからです。

昨今はタッチパネルでの操作が主流となっていますが、先日テレビで見た番組では今後は手をかざすだけで操作が可能なテレビ、そして手を触れずして呼び出しができるエレベーターの画面などが開発されているそうです。そうすることで、衛生上、清潔である為今後は病院の機器で応用されるとか。

確かにノロウィルスだとか、O157だとか鳥インフルエンザだとか、新種の感染ウィルスが流行してちょっとしたパンデミックになりましたが、まったくの無菌状態が果たしていいのかどうか、甚だ疑問です。除菌スプレーがあらゆる場所に設置されているのも悲しい世の中ではありますが…。

ボタンは己の指で「ポチッ」もしくは「カチッ」っと押すことによって触覚が刺激されて意思決定をしたという実感が持てる事。それこそがボタンの存在意義なのだと思うのです。それはタッチパネルやセンサー反応などのものでは実感が得にくいと思うのです。

タイムボカンシリーズのボヤッキーが「ポチっとな」と声に出し、今週のビックリドッキリメカを発進させる様子は、まさにボタンの存在意義を象徴するいい例だと思うんですよね〜。

他にもあまり重要性が低い最新の商品はたくさんある気がします。でもそれが何なのかはあまりに物が多すぎるので、もうわからなくなってきています。また次週の「絶滅危惧種カタログ」でなるほどなぁ〜と共感できるのを楽しみにしています。

投稿者: ラブ伊豆オール | 2011年01月16日 12:12

タッチパネル化現象には、臆病になります。人も物もどんどん流されているようで・・・。新しい商品に群がるまでして、人と同じになりたいのかなぁ〜?なんて思っちゃいます。 でも、スッスッとスイカで暮らしている自分も・・・。悲しいけれど、もう後戻りはできないのです。 

ボタンについては、小さな子供はボタンを掛けることが、指の発達、運動、思考力に良いと聞いたことがあります。 遊具も手作りして、ボタンなどの大きさや形もいろいろ工夫して作る。これが情操教育に役立つという考えは、もう抹消されてしまうのでしょうか・・・?

計算機は計算機が計算していて、そろばんは、人間が考えて計算しているということも、タッチパネル化時代の今、改めて考え直してしまいます。

ラジカセのテープ、遠い昔、擦り切れるほど聞いた「ホテル・カリフォルニァ」。長いイントロを思い出しただけで泣けちゃいます。思い出はいつも鮮やか。 あのボタンを指で押したときの音さえも心の引き出しの中にあるのですから・・・。 

昨日の「ロケショウ」、ラジオの日々、というお話がありましたね「実は私も、ラジオ人間でして」。 先日、はじめてテレビでふかわさんのピアノ演奏を拝見しました。ピアノがふかわさんの分身だというのが伝わってきましたよ。琴線にふれたすばらしい場面でした。感動〜!! 

今年も、ご活躍されますよう〜に。応援しています。メッセージはいつも楽しみにしています〜!

投稿者: アトリエのピンクッション | 2011年01月16日 16:37

タッチパネルは反応しなくなった時は全キーが使えない状況って恐いですよね、まだボタンはちょっとした接触不良で済むことで助かることもあります。(もちろん駄目なときもあります)ラジカセの録音ボタンは僕も思いいれありますね!プラス録音レベルが最近はなくなってしまいましたよね。古い音質が低いものはレベルで上げたいんですよ!ロケ兄ならわかるかな?

投稿者: 下町の根強いふかわファン | 2011年01月17日 08:30

『絶滅危惧種カタログ』という字面だけで、
そわそわさせられました。

これから何が登場するのかしら、楽しみです。

〜私も忘れない〜

投稿者: サルキ | 2011年01月17日 21:47

ロケ兄の唱える“人類何も持たなくなる説”には大いに同感いたします。私の思うに、一旦インプラントタイプに進化したモバイルが、擬似テレパシーとなって、後に人類が覚醒して本物のテレパシー能力を手に入れ、ようやくあらゆるモバイルが消えてゆくと思っています。SFみたいですが100年後の世界を想像すると何だかワクワクしますね。

投稿者: みそピーまんじゅう | 2011年01月19日 04:05

確かにどんどんタッチパネル化していってますよね。そういわれて、今ふと、ボタン式のものには目の見えない人用の点字が施してあるのを思い出してタッチパネルが増えている今どうなっているんだろうと思いました。後で確認してみよう…

でも時代はどんどん移り変わっているように感じるのですが、実は巡り巡っているものですから、ファッションで60s、70sのリバイバルブームが起こるように、ボタンやスイッチブームがまたやってくるかもしれませんよ!

PCで今この投稿ボタンを押すちょっとした力も入れなくなってしまうと嫌だなあ〜と思う午後でした。

投稿者: チオリーヌ | 2011年01月19日 13:10

ブログ内容とは関係有りませんが、先日ふかわさんがJ-WAVEで紹介されていた”CHICANE”poppihollaのCDを買いました♪
めちゃくちゃ良かったです!
最高です!
この曲に出会えて本当に嬉しいです♪

素晴らしい曲を紹介して下さって有難う御座います。

ふかわさんのセンスの良さに脱帽ですっ!

またグルーブラインに出演して下さいね★
ピスちゃんに苛められるふかわさんを楽しみにしています。

ライブやってくださ〜い!

投稿者: niko | 2011年01月19日 23:35

スイッチやボタンを前にしてこそ、人は気持ちの決心や覚悟ができる気がします。

帰り道そんなことを思いながら、見上げた今夜の吸い込まれそうな美しいまんまるを、押してみたいなと思いました。

投稿者: ひょう | 2011年01月21日 03:10

ふかわさん、初めてコメントいたします。
ロケットマンショーを聴かせて頂いて、ふかわさんの言動に深く心を動かされた者です。原始人が初めて笑ったのはなんでかとか、世の中からipodやipadが無くなる日がくると仰って、ワタシは完全に
ノックアウトでした(笑)

記事を読ませて頂いて、ワタシのブログ記事にもふかわさんの記事についての考察を書かせて頂きました。

ワタシは幸いなことに、アナログな人間の部類なのでipodもipadにも興味がなく、iphoneすら興味がありません(笑)

ふかわさんもご存じかもしれない田町の大戸屋で知り合ったアメリカ人のiphoneに向かって赤外線しようとしたくらいアナログです(笑)アメリカ人が怪訝な顔をして、これ、赤外線出来ないんだよと
バカにしたカオで言われました(笑)

さすがに、ケータイは以前難病の膠原病だった為に(お陰さまで完治いたしました)持ち歩くのがベストかなと思って緊急時を考えて持ってますが。ケータイもメールは綺麗な景色やお料理を撮った時に贈るくらいで、全然依存してなくって

普段はTV台に置きっぱなしなんです(笑)

前置きが長くなってすみません。
で、本題のタッチパネルですがワタシも
危惧を覚えます。というのも、人間の本能にボタン、突起物を押すという行為があるそうなんです。本能なんですって。

それを削除され始めてるワケですからその削除されてしまう行為は欲求はどこにぶつけられていくのかを思うと、空恐ろしくなるのです。本当に怖いことが現実に起こらなければ良いのですけれど、、、。

人間は絶対にテクノロジーに支配されてはいけないと思います。その性で無縁社会、つながりが薄くなってしまいました。テクノロジーを選択し、心に余裕のある共存、人と人とをつなぐツールは機械では伝わりません。人に会ったり、緊急は電話でコミュニケーションを取らないと、ますますこの地球は病んでしまいますね。あたたかみのある、人間同士の会話、対話はこの地球、人間復興につながります。医療や必要不可欠なテクノロジーは進んだ方がいいとは
思いますが、あとは昭和初期くらい??かもっと前あたりののどかな自然との共存の時代、、、ちょっと物足りないくらいの方が人間にとって一番いいんだと思っております。あったかい心繋がり逢ったあの時代、お味噌汁の香りがする時代いいですよねbbb

長くなってすみません。ふかわさん、
今度は、人とのつながり方、メール作法の注意点なんかをお話くださるとうれしいです。今、ワタシの課題は人間関係の整理だったり、本当の友達とはなんぞやで、答えが見つかりつつあります。ワタシはやっと失うのが怖くなくなりました。

それでは、長文で失礼したしました。

乾燥しておりますので、カゼなど引かれませんようにご留意くださいませ。

今夜のロケットマンショー楽しみにしております。

Love & Peace⌒♪ (幸’3−)ノ⌒★

投稿者: ◆◇てぃあら◇◆ | 2011年02月05日 17:56

遅ればせながらコメントさせて下さい。

ボタンの「ポチッと感」が大好きです。

子供の頃から押してみたかったスーパーのレジのボタンを、高校生になってバイト先で初めて押せた時の何とも言えないウキウキ感を今でも覚えています。

PCのキーボードも、昔ながらの立体感があるタイプの方が好きです。

少し前に電機系の新聞記事で見かけましたが、タッチパネルに触った瞬間に、パネル表面に微細な振動を起こす機能を研究開発している企業があるそうです。

「ポチッと感」を忘れさせたくない技術者達の努力を応援したいです。


というか実際、押した感触がある方が使いやすいと思うんですよね。
「押したつもりだったのに押せてなくて画面が進まない」って、意外とストレスです。

投稿者: 明日香 | 2011年02月05日 21:53

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