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2010年11月21日

第427回「虹と灰色のそら〜アイスランド一人旅2010〜」

第九話 地図とコーヒーカップ
 海岸線の道が内側からぐいっと引っ張られるように形成された三角州のちょうど先端あたりに佇む一軒のカフェの前に銀色の車がとまっています。ここはアウスビールギという巨大な滝の跡がある森にほどちかい場所。テレビの音が薄く流れる店内には背の高い男性と、ずっと編み物をしている女性のふたり。結局あれから降ったりやんだりの雨のなか起伏に富んだ海岸線を走り続けてたどり着いた休憩地点は、静かな時間が流れています。洗車中のように雨水が流れる窓の横で僕は、テーブルの上に広げられた地図のシワを押さえるようにコーヒーカップを置きました。
「これじゃ滝にもいけない」
 ここからデティフォスの滝へと道がのびています。それは一度だけ訪れたことのある欧州最大規模の滝。ゴーザフォスよりもダイナミック。しかし、ただでさえオフロードの道のり、この大雨じゃ途中でなにが起こるかわかりません。もうひとつのアウスビールギの森は、巨大な絶壁に囲まれた深い森のなかに神秘的な池があるのですが、こちらは昨年訪れたときに神秘的を通り越して、あまりの恐怖で逃げ出したほど。晴れていてそうなのだから、こんな大雨では入ることすらできないでしょう。まだまだ雨はやみそうにありません。ここで引き返すか、まだ海岸線を走るか、それともしばらくじっとしているか、3つの力が拮抗しています。コーヒーがなくなる前に決めたいところ。
「今日は戻ろうか…」
 しかし、引き返すのは簡単なのに、地図の上に散らばる言葉やマークは僕の心を離しません。これまでにほぼ主要な町を訪れた僕にとって、見知らぬ小さな町の引力は強大で、ついついその名に好奇心が芽生えてしまいます。ガイドブックにも載っていない、なにもない町。とりわけ海岸線に点在する町は、一体どんな世界が待っているのかと想像が膨らみやすく、いてもたってもいられなくなるのです。そして、地図に載っているのは町の名前だけではありません。
「これはなんだ?」
 その地域に生息している生物がマークで記されていて、たとえばフーサヴィークの港の上には鯨のマークがあるのですが、ここから先の海岸線の上に記されたマークはそれとは別の生物のようでした。
「アザラシ?」
 それは、間違いなくそうでした。鯨ならまだしもアザラシともなると、かなり北極寄りを実感します。おそらく容易に見られるわけではないにしても、この近くを泳いでいることを想像するだけで気分が高揚します。そんな、ケーキのように地形にデコレーションされた、まだ見ぬ町の文字とアザラシのマークをもはや食べずにはいれらません。コーヒーカップの底が顔出すと、銀色の車はさらに北東へと進みました。ちなみに、羊たちのマークは記されていません。そんなことしたら地図はマシュマロだらけになってしまうのでしょう。
 三角の先端からふたたび海のほうへ吸い寄せられて、あっという間に海が真横に来ています。ここからは未踏の地。新しい世界に突入するように、車は入り江の上にかかる橋をわたります。まるで遊園地のアトラクションのように、波が覆いかぶさってきそう。道が飛び出て、押寄せる大きな波に呑み込まれてしまいそうな不安を雨の中でもかまわず群がる羊たちの姿に掻き消してもらいながら、灰色の空の終わりを求めて走りました。
「ちょっと降りてみよう」
 しばらくすると左手に黒い砂浜が広がってきました。さっきまで絶壁から見下ろしていた海は、いま砂浜の向こうで波を立てて打ち寄せています。道路わきにとめた車のなかからでてきたヒトの体は風があっという間に波打ち際へと運んでくれました。ここにアザラシが漂着することはあるのでしょうか。砂浜を撫でては逃げていく波に触れると、それがあの高台から見た広大な海の一部ということがとても不思議に感じます。この透明な液体がたくさんあつまって、すべてを呑み込んでしまいそうなほど大きな海になっているなんて。
 アクセルを踏む足に砂の感触。散々走り回ったので、すっかり靴のなかにも砂がはいりこんでいます。風を浴びたらなんだか疲れもとれたようで体が楽になっていました。それにしても、灰色の屋根はいったいどこまで続くのでしょう。結局、雲の切れ間も、本物のアザラシの姿も見ることのないまま、次の町が遠くに見えてきました。牧草地帯の上に、白と水色の教会。コパスケールという小さな町の入り口には牧草地帯の羊たちと、独特な表情をした案山子のような人形たちが迎えてくれました。もやに包まれて、幻想のなかの町のようにも感じます。おそらく数百人で形成されるこの町を果たして、地球上のどれだけの人が知っているのでしょう。知られることが当たり前になっている世の中では、こうして知られずに存在することのほうがよほど困難なはずです。こんな小さな町にも、やはりコーヒーを飲む場所はあります。これまでの人生の最北端で飲むコーヒーが潮風と雨にさらされた体を温めてくれました。
「これを飲んだら戻ろう」
 次の町まではまた数十キロ。これ以上行ったらキリがありません、というよりもうこの先に雲の切れ間はない気がしました。少なくとも、今日は。灰色の切れ目を求めてたどり着いた誰も知らない町。羊たちだけには来た事を報告しておきました。だんだん灰色が濃くなってきています。ゆっくり波を立てる海と、雨のなか草を食む羊たちを眺めながら車は、来た道を戻っていきました。

2010年11月21日 00:06

コメント

アザラシのマークはすごいですね〜!
マークも見ながら行き先を決めるという話は初めて聞いたので、すごくおもしろいなと思いました。わたしもやってみようと思います。

投稿者: チオリーヌ | 2010年11月21日 01:59

「アウスビールギの森」。まるでアリーポッターにでも出てきそうなところですね。一度入ったら迷宮入りしてしまいそうな…。

広大な土地を雨が降る中でビデオカメラなどで撮影したら、きっと一枚の写真にしか見えないくらい、同じ風景・ゆっくりな時間がそこにあるのですね。

世界にはアイスランドのみならず、殆ど名の知れない町がたくさんあるのでしょう。マシュマロだらけの地図も可愛らしくていいと思いますけど!立体的に綿などが付いていたら、もっと可愛いかも。あ、そうしたらモコモコが邪魔して地図の機能を果たしませんね^^;

あいにくの雨模様で残念でしたが、次来た時の、快晴の町の風景が楽しみになりましたね。

投稿者: ラブ伊豆オル | 2010年11月21日 13:04

地図を頼りに一人旅。好奇心を煽られときに旅は、命がけですよね。

海岸線のコースにはロマンを感じます。でも、アイスランドに雨は似合っているのかもしれません。ここでも、羊さんたちと同行でしたね〜。

過去ログ、少しずつ読んでいます。文章がなめらかですね。 248回の「ビリーにくびったけ」に釘付け!! 同じく、「東京ドーム」で泣いたのを思い出しました。

来月の大井町、初めてお会いできるのでとても楽しみにしています。

いつも応援しています〜。

投稿者: アトリエのピンクッション | 2010年11月21日 15:57


旅行記も、週間ふかわも、本になるといいなぁ。。。

投稿者: bonjour | 2010年11月22日 12:33

風を浴びて体が楽になる、すごくわかります。
自然はいつでも治癒能力を高めてくれますね。

今週は特にグレーの色濃く、風の音だけ響く無声映画みたいで、焦っていた気持ちがゆっくり落ち着きました。

ここまでの各編それぞれのカラーが見えて、とても映像的で、本当に好きです。

投稿者: ひょう | 2010年11月26日 08:03

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