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2010年10月24日

第423回「虹と灰色のそら〜アイスランド一人旅2010〜」

第五話 そして空は濃い青のなかに 
 陽光たちが窓ガラスを抜けて飛び込んできています。地球の上のほうの町の一角で、まるでジェンガのように山盛りのポテトのなかから一本一本抜いては口に運びながら男は、今日のこれからのことを考えていました。
「こんな小さな町に泊まったらどんな夜が待っているだろう、どんな朝が訪れるのだろう」
 ホテルはなくても民宿のような宿泊施設はあります。そもそも今回の旅はのんびりすることも目的のひとつ。この町の住人になったつもりで今日はこのままここで過ごしてみようか、そんな思いもあるけれど、到着してまだ日の浅いことやようやく広がった青空は彼をじっとさせてくれません。夏休みを迎えた子供たちのように、どこかへいきたくてしょうがなくなってしまいます。
「また来るね」
 店をでると、どこへ行ったのかほとんど雲たちはいなくなっていました。ソフトクリームじゃないほうの手がキーを回すと車がぶるぶると震えます。こんなちょっと立ち寄った場所でもいつも離れるときは切なくなるのはどうしてでしょう。ただ単に景色がいいとかのどかな場所ということではなく、まるでこの町全体が人のように、深く心に入り込んできます。一昨年だってそう。ほんの数十分の出来事が、僕の人生の中でどれだけ輝いていたことか。この町は僕の頭の中にはいってしまいました。ルームミラーの中でブーザルダールルがゆっくりと小さくなっていきます。スピーカーから音が流れてきました。車は、牧草地帯に吸い込まれていきます。
「さぁ、どこへいこう」
 といいつつも、僕は気付いていました。遥かかなたから僕の心を引き寄せているものがあることを。遠くで誰かが呼んでいます。
「ここから300キロ」
 だいたい東京から名古屋まで。これほどの距離も、この景色があれば苦ではありません。空を邪魔するものはなにもない、ただありのままの自然を受け止めるだけ。前にもあとにもすれ違う車はほとんどなく、もちろん信号も渋滞も、気分にブレーキをかけるものがありません。自分の心のままに進むことが出来る。地球が愛おしくなる瞬間。これほどの贅沢はないかもしれません。そして緑の上に散らばる真っ白な羊たち。草をはんでいたり、ただぼーっと風になびいている羊たちを見ているだけで心はとけていくのです。タイミングによっては羊たちが一列になって進んでいく様子を見ることもできます。それはもう失神してしまいそうなくらいかわいらしく、愛らしく、中学生のときの一目ぼれのように胸が熱くなるのです。牛たちもそうです。一日まったく動かなそうなほどののんびりしている彼らが一列になって歩いている。一体どんなことを考えているのでしょうか。この普段の生活では味わえないゆったりとした時の流れが、長い道のりの疲れを癒してくれるのです。
 今回の旅で留守番をするようになったものもあれば、毎回必ず同行してくれるものもあります。旅に欠かすことはできない必需品、それはもちろん音楽。毎回旅用の一枚を作成してそこに思い出を詰め込みます。雄大な景色を眺めながら感じる音楽はここでしか味わえないミュージッククリップ。なかでも車が動き出したとき、景色がゆっくり流れ始めたときにスピーカーからこぼれる音は、まるでその瞬間を映画のワンシーンのようにすら感じさせてくれます。単に旅のBGMとしてだけではありません。聴いているだけで、旅の間に感じたものすべてが音に擦り込まれ、時間をおいて聴いてみれば、スライドショーのように僕のあたまのなかで数々のシーンが蘇る。温度から匂いまで、まるでそこにいるかのような感覚。もう、思い出に殺されてしまいそうなくらい、心地よく胸を締め付けられるのです。
「あとちょっとだ」
 一時間走ったら休憩、一時間走ったら休憩を重ねているうちに、今日の目的地に到着しました。僕をはるかかなたから引き寄せていたもの、それはアークレイリです。
 アイスランドの北の町、フィヨルドの湾が広がる美しい町。絵画の中にいるような気がするほど色彩あふれる光景。静かな水辺は住む人の心を穏やかにしてくれるのでしょう。町の中心には大聖堂がそびえたち、夜になるとオレンジ色に輝きます。これまで何度も訪れて、どの町よりも滞在時間の長い場所。だからどこに目を向けても懐かしい色。僕にとってふるさとのような存在。一年前となにも変わっていません。ただ、空の表情がちがうだけ。だから、町は変わらなくてもいつも違う印象を受けるのです。
「今日、空いてますか?」
 いつも泊まっているホテルにチェックインすると部屋の懐かしい匂いが迎えてくれます。嗅覚もばかにできないもので、意識していなくてもしっかりと覚えています。窓越しの空が群青色に染まってきました。ホテルを出れば、街灯が灯され、レストランのテーブルの上にあるランプの灯がお店をオレンジ色に輝かせています。ホテルの近くにある行きつけの本屋さんは、本とかCDとか文房具とか、ちょっとしたラウンジもあってアイスランド版のヴィレッジヴァンガードのような場所。まるで地元の野菜を購入するようにCDを買い足します。同じCDもここで購入するとなんだか別のものに感じてしまうのです。
「明日はどこへ行こう」
 そんなことを考える間もなく、22時を過ぎてやってきた眠気はいとも簡単に僕をコーヒーの香りに上書きされた部屋のベッドの上に眠らせてしまいました。町の明かりが窓からこぼれていました。

2010年10月24日 10:50

コメント

自分自身で行き先を決めて、タクシーでもなく、ツアー会社の乗り合いバスでもない、レンタカーでの旅道中はいいものですね。他の人に気兼ねすることもなければ時間に制限される事もなくて。おまけに、ロケ兄の大好きな音楽を聴きながら旅の思い出を重ね合わせて…。いいですね〜。

音楽のジャンルはどんなものなのでしょうか?やっぱりダンスミュージックとかではない、北欧系(なんか、おかしな表現ですね)の音楽なのでしょうか?機会があればロケ兄の「アイスランド旅行セレクション」CDを聴いてみたいものです。

羊さんたちを見て胸がキューンとなる気持ち、何となくですがわかります。愛おしいものを目にすると、目から口から「愛おしい!うわ〜〜〜!」という気持ちが溢れ出そうになりますよね。私の場合、駆け寄って壊れてしまうくらい抱きしめたくなってしまいそうです。

さて、次の日はどちら向かうのでしょうか?楽しみにしてます!

投稿者: ラブ伊豆オール | 2010年10月24日 12:10

こんなに素敵なエッセイが書けるとは!TVキャラからは想像できませんでした。

投稿者: 体臭克服研究家@粟飯原 | 2010年10月24日 16:03

山盛りのポテト、ほわほわの羊たちの可愛らしい風景、ホテルの匂い、眠る前のコーヒー、窓越しの明かり、すべてが「あたたかいという贅沢」だなと思いました。幸せなことです。

投稿者: チオリーヌ | 2010年10月24日 19:03

違うよ!って突っ込まれてしまうかもしれませんが、実は私にも似たようなことがあるんです。
意味不明な文章かもしれませんが、今回のブログを読ませていただきふとそのことを思い出したのでコメントさせていただきます。

ふかわさんのようにCDを1枚作成なんてことはことは出来ませんでしたが、あれは大学生の頃、夏休みを利用して短い間でしたがフランスの語学学校に通ってみました。
その時、好きだったCD1枚をMDにうつして持って行きました。
今はipodが主流ですが当時はMDウォークマンを使っていたんです。
今でも辛いとこがあったらイパネマの娘という曲を頭に流すと、自然とその時の楽しかったフランスの世界に私を連れて行ってくれるんです。随分気持ちが助けられるんです。

次回も楽しみにしていますね。

投稿者: Sweet Fish | 2010年10月25日 06:11

音楽が映像も瞬間も取り込んで、CDがDVDになる・・・ような感じですね。

普段の生活でも、特にヘッドホンで聴く音楽は、自分をそのミュージッククリップの主人公にしてくれる気がして、思いっきり浸ってしまいます。

やっぱり音楽ってすごいですね。

ふかわさんの書かれる文章も、それに似ていて、とても心地よいのです。

少し疲れたら音楽を聴くように、読み返しています。

投稿者: ひょう | 2010年10月28日 05:21

 一日でレイキャヴィクからアクレイリまでドライブされたのでしょうか。うっひゃぁ〜。一時間毎に休憩していたそうですが、すごい距離だなぁ。
 それもリングロードじゃなくてあの半島を一周してからですよね。びっくりしました!
 私もアイスランドに魅せられ、アイスランド音楽に心酔しちゃっているひとりです。このブログは周囲には宣伝していますが、自分でも密かに(?)とても楽しみにさせていただいています。

 私も何もないアイスランド、空気と水がおいしく、人の心が暖かいアイスランドが大好きです。ふかわさんは男性なので感じないかもしれませんが、アイスランドは男女平等指数世界一、日本は先進国最下位の97位。帰国すると如実にその違いを感じます。

 動物に対する愛情も深い国で(人間の営みと直結して生き残ってきた民ですからね)、全般に愛情深く女性が扱われていることも、毎回ひしひしと感じます。

投稿者: 小倉悠加 | 2010年10月29日 13:28

 アイスランド記も5回になりましたね。ふかわさんというフィルターを通したアイスランドが、小さな優しい雲のように私の空に定着しつつあります。

 「山盛りのポテト」にまたもや何故か不思議と可笑しいが込み上げてしまう私。そんな楽しみが加わり、私も雲を眺め続けます。 

投稿者: アキコ・ハミング | 2010年10月29日 21:31

目的を持たずに、感性の赴くままの手ぶらな旅。
時間はあくまでも目安で、これから起こるわくわく感を同居させて旅行できるのがとても羨ましいです。
どこを切り取っても、表情が豊かな場所なんですね。
この街のいろんな情景が旅人の疲れを癒し、次のストーリーに繋げる効果をも持っているようで。
頭の中で私も一人旅しています。

投稿者: 手まわしオルガン | 2010年10月31日 09:18

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