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2010年09月05日

第417回「シリーズ人生に必要な力その45自分力」

 KYという言葉が世の中を席捲してからというもの、その言葉を耳にする機会こそ少なくなったものの、相変わらず空気を読まなくてはならない風潮はいまだに強く残っているようです。
「お前空気読めよ」「あの人って空気読めないよね」
 たしかに全体の雰囲気を尊重することは大切です。集団行動や組織においては自己主張より周囲にあわせるほうが得策な場合もあるでしょう。でも、この国には、空気を読みすぎてしまう人が多いようです。島国という環境に起因するのか、仲間はずれや孤立を恐れ、自分自身を押し殺してまで空気を重んじてしまう、果たしてこれは正しい生き方なのでしょうか。
 協調性とか、和とか、この国にはとてもいい言葉があります。でも本当の協調性は、いろいろな価値観の存在を認め合うことであって、ひとつの色で統一することではないはず。自分を抑えることや控えめになることと謙虚さは違うのです。自分の価値観を提示すること。それぞれの価値観を尊重しあうこと。両者が備わった世界が協調性であり、和であって、ひとつの価値観で統一することや、誰もなにも言わなくなることは、本当の平和ではないのです。
「問題は、空気を読めないことではなく、空気を読みすぎることだ」
 空気を読めないことより、読みすぎてしまうこと。自分を出せずに終わってしまうこと。周囲の目を気にしながら生きるなんて悲しすぎます。そんなもの気にしないで生きる力。生きたいように生きる勇気。孤独、孤立を恐れていては本当の自分にたどり着きません。周囲にどう見られようと、わが道を行く。それが本当の生きる力であって、そこに真の強さがあるのです。
 たしかに空気を読む行為も軽視はできません。でも、どの価値観よりも大切なことは、自分らしく生きること。そのだいぶあとに、空気を読むことがあるはずです。お金がなくても自分らしく生きていたら、自分が納得する生き方をしていたら、きっと充実した日々を送ることができるでしょう。もちろん、ときには自分を曲げなければならないこともあります。胸がいたむこと、意に反することもしなくてはならないときもあるし、聞く耳をもたなくなったらおわりです。でも、自分を曲げすぎてしまったら、ある日突然パキッと折れてしまう。人の心はそんなに柔軟にはできていないから、竹のようにある程度撓ることはできても、曲げすぎたらいつか折れてしまうのです。
 自分らしく生きる、それは奇をてらったり、我侭・身勝手に生きることではありません。もちろん迷惑をかけていいということでも。周囲への配慮と空気を読むことはまったく別物で、人への思いやりが欠如していたら孤立が待っているだけ。自分らしさは自分だけでは手に入らない。周囲の賛同がなければ、自分らしく生きることだってできないのです。そして、自分自身が自分を理解していなかったらなにが「らしさ」なのかもわかりません。数々の挫折や失敗を繰り返して、自分というものが見えてくるもの。自分らしさには時間と経験が必要なのです。
 自分の価値観を人に理解してもらうことは容易なことではありません。自分の心の中にあるものを言葉で伝える。もちろん伝え方も大事。それが独特であればあるほど、時間はかかるもの。そういうときこそ相手の価値観を受け入れる。そうすることで自分の価値観に耳を傾けてもらえる。空気を読むのではなく、相手の価値観を受け入れる、それがやがて自分らしさに繋がるのです。
 空気を読むことも大切、読まないことも大切。それでも空気を読みたいのなら、みんなが自分らしく生きられる空気にするべきでしょう。みんなが遠慮しあうそれは健全な空気ではありません。皆がそれぞれの色で表現しやすい環境、それが僕たちの目指す世界。孤立や孤独・批判をおそれて空気を読むのではなく、周囲に流されずに自分の価値観を主張する。周りを気にして生きる人生じゃもったいない。お互いがそれぞれの言葉を尊重しあう世界。人生には、自分力が必要なのです。

2010年09月05日 09:47

コメント

本当に、本当にその通りです。

長年、私は「自分らしさ」について思い悩んで来ました。大多数の意見(もしかしたらあるリーダー格の人に乗っかっている人が多いだけかもしれないですが)と自分の意見が相違している時、自分はどうすべきか。何も言わない方がいいか、一応は自分の意見を提言してみるべきか、でもそれをする事によってバッシングされる事になってしまうのか…とか。

日本人ほど「謙虚さ」を美徳とする人種はいないのではないかと思います。しかし、ロケ兄の仰る通り「美徳」と「自分を抑える事」は全く別物ですよね。

大事な事は色んな意見を聞き入れて、その中でより良い一つの結果に皆が納得・賛同できる事。(中々難しいかもしれませんが。)独裁者の一つの流れに全てを巻き込むような世界であってはならないのです。それがむしろ悪の方向であったらば、かなり一大事です。

以前いた会社の社長が会議中に意見を物申した部下に対し「そんなのダメだ。俺の会社に文句でもあるのか!?」と言い放った人がいました。こうなったらもう世も末です。自分が正しい、自分が全てだと思って止まない。その部下の人は全ての他の社員の代弁者として勇気を振り絞って言ったのに…。

空気を読まないのではなく、読んだ上での「自分はこうだ」という発言ができる社会でなければならないと思います。あらゆる意見・方法・思想があって、中間点を見つけるのは難しいかもしれませんが、でも「あ、こういう考えもアリだな」って発見もあったりして、自分の思考回路もオプションが増えるので、結果はどうであれ、他の人だけじゃなく自分にとってもプラスになるんじゃないかと思います。

PS:何度かここで投稿させてもらって、毎回お題は違えど、何となくロケ兄の思想や目指すべき所というのが確固たるものとなって来ているような気がします。それに気がつけた自分がちょっと嬉しいです。

投稿者: ラブ伊豆オール | 2010年09月05日 11:44

 時々自分らしく生きることについて考えてみることがあるけれど、それは私にとってとても大事なテーマであると同時になかなか難しくて深いテーマでもあるので、結局天井の暗闇や遠い音楽の彼方に吸い込まれるように消えてしまい・・・朝が来ています。ふかわさんは自分自身の言葉でしっかりと自分らしく生きるということを明確にしていて素晴らしいと思います。
 私は今回、心にアンダーラインしながら丁寧な気持ちで二回読みました。ベッドで横になったらもう一度なぞってみよう。きっとそうします。

 「週刊ふかわ」には毎週「生きるヒント」があってちょっと自分を考えてみるいい時間を与えてくれます。1週間は至極短いようで、けれども1週間前の自分はすでに何にも記憶が無いくらい実は長い道のりに感じられる私です。いろんなところにいろんなものをくっつけて歩いている猫を見かけると、金曜日か土曜日の自分自身に思えます。
 日曜日には、1週間の垢を落としてゆっくりとお湯につかった猫はすっきりときれいになり、ふと我にかえったような顔をします。私も日曜日の夜はふと我にかえって一瞬でも自分と向き合う時間を持ちたいと思います。

 来週も素敵なヒントを楽しみにしています!

投稿者: アキコ・ハミング | 2010年09月05日 23:05

『自分らしさ』って大事だと思います。

自分にしかできないこと、自分だからできること、人が命を授かったのにはそれだけの理由がちゃんとあると思います。

でも、まだ自分はごつごつの原石。
ダイヤモンドになるには、たくさんの人の中で鍛えられ、磨かれ、自分なりに経験・体験して、それを会得していって初めて自分のモノになるんだろうな・・・

(*'ー'*)一足飛びには、何事もいかないですね。

投稿者: ゆみうさ | 2010年09月06日 12:34

空気を読む、あるいは周囲に馴染むということも大切だと思いますが、その空気が間違っているという事に気付く自分も非常に大切だと感じます。特にかなり大きな会社組織になると大きな空気の流れが存在して、このままの空気じゃ駄目だと気付いても流れを止められずに倒産という現実があると思います。周囲の賛同と共に流れを変えられる自分力欲しいですね!

投稿者: 下町の根強いふかわファン | 2010年09月06日 14:57

はじめまして。よろしくお願いします。

最初見たとき、ほんとに違う方のブログだと思いました。

でも、凄く内容が濃く、いいと思いますね。

そうですよね。ふかわさんの職業というのは、自分力そして、空気を読む力は必要もちろんテレビに映ってる部分でもそうですし、テレビに映っていない部分でも、自分力というのは他のどんな職業よりも難しいと思いますね。

私は、芸能人の人たちは凄く尊敬しています。なぜなら、人間力という部分で凄く優れているからです。私たちの仕事みたいに明確な指標がない部分でその人間力だけで勝負するわけですから。すごく大変です。

このブログすごくいいと思います。私も共感できる部分もありますし、なるほどなと私にない考えに感心する部分も多いです。

ちょくちょく私もお世話になります。そして、今度は私の考えも述べたいと思います。

投稿者: やんばるやん | 2010年09月08日 19:15

こんにちは、いつも応援しています。
今日はご挨拶だけしにきました。

ブログの更新楽しみにしています!

投稿者: しいな | 2010年09月09日 14:48

『協調性』の意味を再認識しました。
こんなにいい言葉だったとは感動。

最近、気になるのは『受け入れる』という言葉。ふかわさんの文章にも度々、登場していますね。
受け入れることは愛...だと何かで読みました。

投稿者: サルキ  | 2010年09月09日 23:38

はじめまして。
姉に勧められてふかわさんのブログに
たどりつきました。
いつもいつも勇気づけられ、
希望も与えてもらっています。
家族以外の人と、こうした深い話をする機会がなかなかないので、
みなさんのコメントも私にはとても貴重です。
今回の話題も今の私にはまさしくビンゴ!
何度も「そうそう!」と頷きながら
ブログを読み進めていました。
集団の中では自分を押し込めていなければならないような日本の風潮(?)のようなものが
なくなり、いろんな人のいろんな考えを取り入れられるような社会になれたら、
もっとお互いが楽に生きられる気がします。
もっとお話ししたいですが、今回はここまでで。
お邪魔しました。
また楽しみにしています。

投稿者: はるあき | 2010年09月11日 10:00

こんにちは。
ふかわさんの記事を拝見していると、なぜかとても落ち着きます。温かい大きな愛みたいなものを感じるからかなぁ〜
過去記事もゆっくりですが読んでいます。ありがとうございます(^^)
少しづつ涼しくなってきましたね、お仕事がんばってください。

投稿者: かえる | 2010年09月11日 13:31

みんなが個々の価値観や個性を認め合っていけたら、素敵な色ができるような気がします。
自分という人間を誤解がないように人にわかってもらうことは難しいと思うし、誰かを理解することも簡単には無理なので、私は普段、「ましな誤解」(ある程度の誤解はつきものという意味で)を目指しています。
そういう距離感の設定は、やっぱり大事だったんだなと今回のテーマの内容を読んで思いました。

あと、自分力には少しの勇気も必要ですね。

投稿者: 手まわしオルガン | 2010年09月11日 23:40

そろぞれの色が活きる環境。まさにそれに尽きるでしょう。
そして、一人が持っている色も単純な一色ではなく、同系色の中に時によって淡い色や濃い色や明るい色や暗い色を持ち合わせているんだと思います。
 だから、隣り合った色同士が喧嘩したり、染色したりするのではなく、たくさんの色が鮮やかに活き活きとしている色彩構成のように、お互いを引き立て合えればいいのにな。

投稿者: LINA☆ | 2010年09月12日 07:19

スゴイな・・・
本当にそう思います。

実行できるかどうかは別として、そのことを自分自身で気づき、理解しているかどうかで全く人生は変わるかもしれないです。

投稿者: 金華ハム | 2010年09月29日 22:15

初めまして。

今ちょっと落ち込んでいて、ふかわさんの言葉に癒されたいと思いやってきたのですが、このテーマを今になって読んでしまい、遅いコメントになってしまいました。

今まさに私の心を悩ませているのが、このテーマそのものだったので、本当に驚いています。(というわけで、思い切ってコメントさせていただきました。)

最近、「自分」を見失っていて、「本当の自分を出したい自分」と「周囲にあわせないといけないと思う自分」の間で葛藤する日々を送っていました。
でもふかわさんの言葉で、今の気持ちに対する自分なりの答えが見つかったように思えます。
今、心がちょっと穏やかになりました。
ありがとうございました。

私はいつもふかわさんの言葉に癒され、励まされています。ふかわさんの言葉は私の「心の支え」です。
ふかわさんの「おっかけファン」とはいえませんが、でもこれからもずっと応援しています。

投稿者: モヨ | 2010年10月24日 22:33

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