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2010年04月18日

第403回「シリーズ人生に必要な力その33ログアウト力」

 インターネットの多大なる功績のひとつは、世界中の人々のつながりを実現したこと。それまで必然的だったそれは、インターネットによって偶然的なものになり、思いもよらぬところで人と人とが結ばれるようになりました。しかし、光に影はつきもの。気付かぬうちに失われているものもあるわけで、そういったことに目を向けてみれば、ネット上でのつながりが増えた反面、現実社会でのそれは希薄になってしまったようです。
 最近よく耳にする「つながっている」という言葉。インターネットが人々をつなげるとしたら、昔の人たちはつながっていなかったかと言うともちろんそうではなく、そんなこと気にせず生きていけるほどつながりを実感していたのでしょう。だからいまこんなにも「つながり」を大切にしようということはつまり、それが失われつつあるということ、つながりを実感できなくなってしまったことの裏返しなのです。
 いったいどうしてつながりを失ってしまったのか。社会は人々の努力によっていろんな設備が整いました。水道も道路も電気もいまはあたりまえのように存在していますが、本当はどれもすべて人々のつながりの賜物。しかし環境が整い、情報の伝達がスマートになればなるほど、つまり便利になればなるほど自分ひとりで生きていると錯覚し、人々のつながりを感じられなくなってしまう。だから、失っていないのです。本当はつながっているのに、それを感じられないだけ。便利さ快適さ物質的豊かさを追い求めた結果、心が満たされなくなってしまった。だからつながりを確かめたい、常に実感したい、それが現代の人々が追い求めるものなのです。
 その役目を果たしているのがネット上のコミュニケーション。ミクシィやツイッターなどは、なにもない土地に道路を作ることと同じくらい意味のあること。現実社会で欠乏した「つながり」をネット上でサポートしてくれるのです。でも注意しなくてはならないのはそれはあくまでネット上であってある意味栄養補助食品と同じサプリメントのようなもの。食事をずっとカロリーメイトなどで済ませるようなもの。本当に必要なのは現実社会でのつながりなのです。
 メールもケータイもない時代、マイミクもフォロアーもいなくても人々は充分生きていました。ケータイを手にしたらメールが来なくなるととても寂しくなったように、ネット上でつながればつながるほど、つながっていないときの寂しさが強調される。つながりが失われていったからケータイやネットが浸透していったのか、それらの普及でつながりが希薄になったのか。いずれにしてもIt革命は結果として僕らの心に隙間を作りました。それは余裕やゆとりとは似て非なるもの。隙間。なにをしていても感じる空虚感。だからついついログインしてしまう。その結果、心はどんどん弱くなり、ちょっとしたことで怒ったり命を絶つ人が増える。これは、その対象が変わっただけで、森林を伐採し自然を破壊していたあの頃と同じなのです。
 では弱くなってしまった心を強くするにはどうしたらいいのか。それこそまさにログアウトなのです。
 ログインの対義語であるログオフやログアウトはインターネットに接続していない状態のこと。ログイン自体はなにも悪くないのだけど結局インとアウトのバランスが大切で、そこに埋没してしまったら身も蓋もないのです。自然との共存と同じように、これからは現実とネットとの共存。このままでは、人間の心がネットに侵略されて、現実社会でのつながりがなくなってしまうのです。
 僕たちは直接言葉を交わすことも直接触れ合うことも以前に比べて格段に少なりました。だれかの手よりも、パソコンやケータイのボタンに触れる時間の方が長くなってしまいました。昔の人たちがいまの人々のやりとりを見たら度肝を抜かれることでしょう。手元の小さなボタンに触れて、それがこの世界の誰かに伝えられる。いまでこそボタンやパネルですが、やがて触れなくなる日が訪れるでしょう。もしかしたら指紋もなくなってしまうかもしれません。脳波で文字を打つようになればまさしくそれはテレパシーの世界。こうなるとすべて頭のなかで済ませるようになり、現実とネットの境界線がなくなる。人間は動かずに、ネットの世界だけで生きる。生まれた瞬間ログインされる。いま、そんな社会に向かっている気がします。そうなる前に、かつて自然を守ったように、現実のつながりを守らなければならないのです。
 自分たちがこんなスタイルになるなんて誰が想像したでしょう。ネット上では伝えられるのに、目の前にいる人にはうまく伝えられない。電車のホームで倒れている人がいるのに、平気で素通りできてしまう。もしかしたら本当は平気じゃないかもしれない。でも、手を差し伸べたくても助ける空気が流れない。助けている人がどこか特別な人に見えてしまう社会。人類が目指したのはそんな世の中だったのでしょうか。たしかに自分の時間も大切、でももし倒れているのが自分だったら。打った場所よりも見て見ぬフリをされたことのほうが後遺症になるかもしれません。僕たちは自分の損得だけで生きる生物の集まりなのでしょうか。僕たちはそんな生き物では絶対にないはず。本当は人にやさしくしたい。人のためになりたい。愛はたくさんあるのにその愛をうまく使うことができないだけ。愛を感じる機会がないだけ。でもこのままずっとログインしていたら、現実社会で心のない生き物になってしまいます。
 インターネットは多くの人々に夢と希望を与えました。それは人々の暮らしに不可欠なもの。ネット上でのつながりにも価値や可能性を感じます。でもそれだけではだめで、手と手をつなぐことが必要なのです。ログインとログアウトの共存。かつて環境破壊が進んだように、いま、心や精神の破壊が進んでいることに気付かなければなりません。このままではなにかを埋め込まれ、生まれたときからログインする時代が訪れてしまいます。そうならないためにも僕たちはしっかりと現実世界で繋がっているべきなのです。いつまでも国同士で争っている場合じゃありません、敵はそんなところにいないのです。だから、人生には、ログアウトする力が必要なのです。

2010年04月18日 09:52

コメント

私の友人はネットでの繋がりに全く魅力を感じない人で、「そんなの必要?」とよく聞かれていました。海外のアーティストと直接繋がったりしているもので、Facebookは絶対手放せない、とか、いろいろ考えていたのですが、持ってれば持ってるで相手の更新情報の内容を見て勝手に傷ついてしまったりして、なんだかすごく空しくなったので、辞めたんです。そうすると、急になくなるわけなので最初はものすごく不安になるんですが、その友人がふとした瞬間に「愛していますよ」って言ってくれるので、心が満たされてあったかくなって、Facebookがなくても全く気にならなくなりました。友達に対して「愛してる」って言える人間も少ないかもしれません。

今はブログとかmixiのアカウントあるんですが、依存しないように葛藤中です。

投稿者: ユウ子 | 2010年04月18日 11:39

 私は一般的な現代人に比べれば、「ログイン」している時間は極めて短い人間で、インターネットの功罪についてはあまり意識していなかったので…今回のふかわさんの文章は色々と考えさせられました・・・・。
 特に、
 「脳波で文字を打つようになればまさしくそれはテレパシーの世界。こうなるとすべて頭のなかで済ませるようになり、現実とネットの境界線がなくなる。人間は動かずに、ネットの世界だけで生きる。生まれた瞬間ログインされる。いま、そんな社会に向かっている気がします。」
という箇所が非常に衝撃的でした。ネット社会の“方向性”は仰るとおりだと私も思います。ただ、【現実世界とネットの世界が殆ど同一化する“社会”】がふかわさんの言のように本当に問題視すべきことなのか否かは議論の分かれるところだと思います。ここで顕現する“社会”は確かにこれまでの「社会」とは全く異質なものとなるでしょうが、異質だからといってそれが問題だというのは早計であって、異質であろうとも新しい“社会”として機能するのであればそれでよい……という考え方も(考え方としては)あると思います[←とはいえ、私も何の問題もなくスムーズにそんな“社会”に移行できるとは思えません。移行するスピードがあまりにも早すぎて、明らかに色々な弊害が生じていますよね]。

 
 また、「つながり」ということでふと最近思うのが、(よく“お揃いだよ〜”などという言葉を耳にしますが、)
 “【モノ】を媒介として「つながり」について言及することが多くなったなあ・・・”
ということです。これこそが今日まで日本が物質文化に傾倒してきたことによる最大の問題点なのかもしれませんが……何らかの“カタチあるモノ”によってしか「つながり」を見いだせなくなってしまっているように思えます。
 なるほど……心のようにカタチのないものによる「つながり」を(かつてはそうであったように)感じることができるよう、【心の眼】のくもりを取り除くためにも、「ログアウトする力」は必要みたいですね。

投稿者: 明けの明星 | 2010年04月18日 12:48

ふかわさん大好き。。わたしは、ふかわさんと繋がりたいです。

投稿者: panda | 2010年04月18日 19:12

遅くなりましたが、1位おめでとうございます。
今の世の中からネットをなくしてみたらどうなるのでしょうか??1年位stopしてみるってのもおもしろいかもしれませんね。

投稿者: ずんずん | 2010年04月18日 19:13

だれかの手よりも、パソコンやケータイのボタンに触れる時間の方が長く・・・

どきんとします。

一番強いぬくもりはやっぱりそこにありますもんね。

そんなこと日々の生活の中で忘れてしまいそうになるけれど、大事にしたい。

発信、ありがとうございます。

投稿者: ひょう | 2010年04月19日 09:08

ホームで倒れている現状を映像そしてテレパシーによる言葉で会社や自宅に送れれば画期的ですよね。助けようという気持も高まると思います。
また、文章の中で「自分ひとりで生きている」で引っかかったのですが、歩きながら、自転車に乗りながら、車を運転しながら、の携帯の通話・メール打ちする人は世界は自分中心に回っていると勘違いしているように思います。確かに返信は早いほうがいいとはおもうのですが、ちょっとね!自分は道歩く時も江戸しぐさに習い道の端を譲る気持で歩きますが、自転車にぶつけられました。子供乗っけて、携帯片手に運転・・乗ってる子供も真似するかと思うと、返信は家に帰って一息ついてからじゃ駄目なんですかね!人の事や未来を考える気持なるべくログイン状態でいたいですね!!

投稿者: 下町の根強いふかわファン | 2010年04月19日 12:00

わたしは本当の気持ちを声に出して、言いたくて
日々、訓練中です。
それは、とてもむずかしい。はずかしい。こわい。
でも、とてもたのしい。すがすがしい。あかるい。

ログインとログアウト、両方を行き来するわたしに
ちょっと、疲れと危うさを感じていましたが、
バランスを大切にしてみる!という視点で軽やかに
いってみようと思います。
 
 THANK YOU FOR THE『週刊ふかわ』!!
 

投稿者: ピカルディ | 2010年04月20日 00:18

初めまして。

始めてカキコします!

いつも応援しています。
お仕事頑張って下さい。

投稿者: nana | 2010年04月23日 16:17

たまたまふかわさんのブログでこの文章を読み、ドキッとしました。まさに最近ツイッターやFacebookを使い始めたんですが、何をしてても常に書き込みをすることを考えていたり、また誰かのコメントを常に期待して、特に更新が無いのに何度も何度もアクセスしたりしちゃってます。ネット上でコミュニケーションがとれると、それで何だかつながってる安心感みたいなものが一瞬味わえるのですが、すぐにまたそのつながりがさらに欲しくなっちゃうんですよね。本当に大事なのは、生身の人間同士の直接のつながり。それがなければ決して何をしていても満たされることはなく、虚無感が消えることはないんです。
ネットでのツールを利用して連絡をとるのも楽しいことは事実なので、ふかわさんもおっしゃる通り、要はバランスですよね。ログインとログアウトの。
自分が弱くなってると希薄でも手に入りやすいものに依存しがちですね。気をつけたいと思います。ネットは、リアルなつながりを、少しサポートしてくれる便利ツール的な感覚で使用して行きたいと思います。

投稿者: みー | 2010年04月24日 11:58

フライデ〜ナイト★サイコ〜でした^^完全なるログアウト!!!ふかわさんの手レパシ〜しっかり届きましたよ☆

投稿者: ロックキャンディー | 2010年04月25日 22:47

私が最近考えていたこと、悩んでいたこと。まさにこの文章のなかにありました。ネット上でコメントしあっても一切顔を合わしていない。ネット上でコミュニケーションしているようで全く心が満たされていない。日々充実している相手に対して劣等感を抱いたり、レスに返信がないことにイライラしたり。ネットは情報を早く遠く安く伝えるには適しているけれど、リアルコミュニケーションに関しては100分の1程度にもならないのだと思います。それでも使う時間は100分の1では済まない。費やす時間に対して充実度がかなり低いのでないかと感じています。そしていつからか自分がSNSに依存しているのでは、SNSを使っているようで使わされていると感じるようになりました。そして私の結論は一旦ブックマークからSNS削除しました。自分がネットコミュニケーションに対してコントロールできる心がついてきた時また始めたいと思います。長文失礼しました。

投稿者: まーぼー | 2010年05月01日 15:15

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