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2010年02月14日
第394回「シリーズ人生に必要な力その25断定力」
最近よく耳にする言葉でどうもひっかかるもの。自分でも無意識に使ってしまいその都度反省してしまう「個人的には」という言葉。いつ頃からか人はこの言葉を頻繁に用いるようになりました。
「個人的にはそう思います」
あまり耳障りがよくないのは、個人が発しているのだから個人的なのは当たり前なのに「個人」であることを強調しているから。なぜ言わなくていいものをわざわざ言うのでしょう。どうして「個人」の意見であることを主張するようになったのでしょう。おそらくこの言葉の裏には、自分は思っているけれどあくまで一意見なのであまり追及しないでください、という気持ち。「個」であるけれど「主観」ではなく「客観」のひとつ、アンケートの一意見、一回答にすぎないというような気持ちが隠されています。意識的に使用しているつもりはなくても、潜在的に、どこかで責任の所在を曖昧にしたい心理が働いているのです。ではなぜ責任の所在を曖昧にするのでしょう。
社会でのストレスが多すぎるためか、人々は排除できるわずらわしいものをどんどん削ぎ落としてきました。人との関わりあいも楽なほう楽なほうへと移り変わり、顔を合わせなくても社会と繋がっている気分を味わえるようになりました。しかし、関係性が希薄になった分、人に直接言葉を投げ掛けたり、個人として主張する場や人から否定される機会が少なくなってしまい、自分の肉体から言葉を放つことに抵抗を感じるようになってしまったのです。極力丸みを帯びた言葉にしたいという相手を思いやる気持ちもあるかもしれません。でもそれ以上に、否定されることや周囲との相違、真偽の追及を恐れ、言葉の責任から逃れようとしてしまうのです。責任を負いたくない、追及されたくない、それは自信のなさからくるものかもしれません。無意識に否定されることを避けた結果、「個人的には」を使用してしまうのです。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
「はい、個人的にはテキサスバーガーと・・・」
「こちらでお召しあがりですか?」
「いいえ、個人的には持ち帰ります」
かの大統領は「yes,we can」と言い切ったから皆の心に響いたわけで、あれが「perhaps, we can」だったらあの大観衆の拍手は生まれなかったし、歴史に名を刻むこともなかったことでしょう。当然僕たちは大統領ではないのであそこまで言い切る必要はありませんが、社会ではときにはっきりと断定することが求められます。いつも曖昧な人よりも、常に断言できる人は信頼できます。それに、自分が感じたことを「一個人」としての意見ではなく「自分の意見」として述べるほうが、たとえ周囲と違っていても、生き方がかっこいいのです。誰がなんと言おうと俺は思うんだ、と。
「あくまで個人の感想です」
「効果には個人差があります」
「スタッフがおいしくいただきました」
誰に向けてのメッセージなのか、とってつけたような断り書きからは責任を取りたくないという匂いしか感じられません。本当にスタッフが食べているのならあんなテロップを出す必要はないし、本当に商品に自信があるなら個人差を強調する必要もありません。政治家にしてもそうです。まるでパス回しをするような責任のなすりつけあい。世間的にイメージの悪い者が辞職して事態を収拾させる。果たしてそれは責任なのでしょうか。あとで追及されると困るからどこか煮え切らない表現をして、「信じたい」「言っていない」「覚えていない」などの感情論に帰結する。きっぱりと断定して発言する人がいないから信用できないのです。
だからもう「個人的には」は使いません。それは誰かと衝突しろということではありません。自信を持って自分の意見を主張しようということ。この国はそんな断定できる人を求めています。否定を恐れずに断定する力、それが人生には必要なのです。
2010年02月14日 10:47
コメント
たしかに「個人的には」という表現には、自信のなさからくる感情が、入っているように思いますね。でも自分の発言には責任を持ちましょう。
投稿者: 無責任 | 2010年02月14日 11:24
1.「意識的に使用しているつもりはなくても、潜在的に、どこかで責任の所在を曖昧にしたい心理が働いているのです。」
「否定されることや周囲との相違、真偽の追及を恐れ、言葉の責任から逃れようとしてしまうのです」
………耳が痛いですね・・・。
ただ、「人々は排除できるわずらわしいものをどんどん削ぎ落として」きたもののなかに、それまでは【判断の拠り所】として機能していたもの――社会通念といった“大きなもの”から、因習・迷信・掟といった“小さなもの”まで様々です――がたくさんあるように思えます。このような【拠り所】を失ってしまったうえに、判断すべき情報の量は格段に増えてしまったら(←昨今よく耳にする、いわゆる「価値観の多様化」ということの本質を物語る一面かもしれません)……自分の意見に自信がなくなる、あるいは、“これだけ多種多様な考えがあるのだから、あたかも自分の意見こそが完璧・最高のものであるというように誤解される発言はしてはならない”ということになるのも無理からぬことかもしれません。
昨今の労働環境の悪化により“家庭崩壊”に陥ることがますます多くなり、家庭内での家族間会話が激減していることも暗い影を落としているように思えます。家庭とは、最も小さな社会の単位であり社会の基本となるものだと思うのですが…自己主張する力が最初に育まれるはずの場所が“壊れている”ということになるわけですから・・・。
2.「いつも曖昧な人よりも、常に断言できる人は信頼できます」
……いつも曖昧な人はもちろんですが、常に断言できる人もまた信用できないです(私は懐疑的な人間なので(苦笑))。
【“常に断言できる”のは、その人が物事のある狭い範囲しか見ていないから、あるいは、その人に都合の良いことだけを恣意的に選別して言っているから】
だと思えてしまうんです・・・独裁者がそうであるように。
投稿者: 明けの明星 | 2010年02月14日 17:16
同感です。
投稿者: ずんずん | 2010年02月14日 23:00
はじめまして!
初めてコメントします。
私もよく「個人的には」を使っていました。今まで考えたこともなかったのですがふかわさんのブログを読んでみて、確かに一個人としての意見ということにして自分の考えに責任というか、いや自分の考えというのか?考えさせられました。
投稿者: じゅん | 2010年02月15日 01:18
この間、ラジオのトークでも話していましたよね、私もこれには賛成です。
同じような話し方で「〜じゃないですかぁ」と、質問するでもなし、相手に同意を求めるような話し方が周りの人も、もちろんテレビやラジオに出ているような人も含めてしているので、違和感をおぼえます。
私は帰国子女のせいか、よけい敏感に感じてしまうのかもしれません。こうした話し方は日本独特ではないかと思います。最近、ますます顕著になったようにも思います。
もちろん、日本の風土の特徴、良い意味としてでも沢山とれます
しかし今の時代、日本では「個」としてではなかなか生きにくいのかもしれません。
「個」を見失わないように生きるためにも、まずは自分を肯定すること!ですね(*^_^*)♪
PS:ブログ、すごく面白いです!
楽しく拝見しています。
投稿者: chocolat | 2010年02月15日 11:16
日本国民は他人の目を気にしすぎるんだだと思います。それが日本の文化なんだ!と言ってしまえばそれだけですが・・・
子供の頃から周りに合わせることだけを考え、浮かないように努力する・・・それを強調性だという人がいますが、それは違うと思います。
ただ自分の意見がないだけなんじゃないかと。
投稿者: るろう | 2010年02月15日 12:12
ふかわさんこんにちは!以前一度Capriの名前でコメントしたのですが本名にしました。この間言ったとおりこのブログの一番古いモノから全て読みました。「見えない世界」と「世界は自分」がとても印象に残っていて、全体としてもとても面白く、いろいろなヒントをふかわさんからもらえているような気がして嬉しいです。とても感謝しています。
「個人的には」・・・よく耳にしますね。言われなくてもあんたの意見だってことはわかってるよっていう感じではあるのですが、「個人的には」をなんで言うのかというと、日本人って自分の意見に対して相手の意見を聞くとき自分と正反対の答えだと、相手はただその人自身の意見を「言っているだけ」なのに、なんだか批判されているとか、同じじゃない、なんで一緒じゃないの?!っていう恐怖心だったり、そういう気持ちになってしまうことがあるように思います。被害妄想みたいな。だから「あくまでも私自身の考えであってあなたに押しつけているわけではありませんよ」という気持ちが込められているようにも思います。それとふかわさんがおっしゃったような責任逃れもありますよね。
なんだか相手を尊重したくて言ってる部分があったとしても、私としてはこれ言われたらあんまり嬉しくないです。・・・でも、私もどっかで使っているのかもしれないと思うとこれから人と会話するときは気をつけようと思います。
ふかわさんのブログ大好きです。また来ますね!^^
投稿者: Yuko | 2010年02月16日 15:15
そうですよね!
自分の意見を大切にしようと
改めて実感しました。
私は来年イギリスにホームスティ
をする予定なんですがやはり海外
ではもっと自分の意見を大切に
しなくてはやっていけませんよね。
また今日もふかわさんに元気を
頂きました♪ 頑張ろう〜って
気持ちになります。
投稿者: たらこ | 2010年02月20日 22:02