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2009年12月13日

第386回「風とマシュマロの国〜アイスランド一人旅2009〜」

第六話 やさしい雨
 ドアをノックする音で目が覚めました。ベッドを降りて、それが夢なのか現実なのかわからないままゆっくりドアを開けると、廊下の光が部屋の中にこぼれてきました。
「おかしいなぁ…」
 人の気配はありません。やはり気のせいだったのかと欠伸混じりに閉めようとしたとき、足元に違和感を覚えました。
「え?」
床の上に一匹のエビがいます。
「こんばんは」
「もしかして、きみが?!」
「そうだよ、僕がノックしたんだよ」
驚きとともに昨晩の料理のことを思い出しました。
「悪かった!ごめんよ、許してくれ!」
「どうしたんだい、急に!」
「だってキミの仲間を食べてしまったことを怒っているんだろう?それともキミが?!」
「違うって!そんなこと怒ってないし、僕はお化けでもない!」
「じゃぁ、なにしにここへ?」
「お知らせに来たんだ」
「お知らせに?」
「そう、ちょっとついてきてよ」
ホテルの廊下を手長エビとひとりの男が歩いていきます。
「ねぇ、いったいどこに連れていくんだい?」
「いいからいいから」
外に出ると、見晴らしのいいウッドデッキの上にやってきました。
「ここ?」
「ほら、あれを見てごらん」
手長エビの指す方向に目を向けました。
「うわぁ…」
 それはまさにオーロラでした。遠くの山々の上に黄色、緑、赤、さまざまな色の光が夜空に落書きするように舞っています。しばらく言葉を失っていました。
「ありがとう、わざわざこれを知らせに…あれ?」
もうそこには手長エビの姿はありません。港の灯りが海面に広がる波紋を照らしていました。
 目が覚めるとまだ外は暗く、夜は明けていない様子。案の定、旅行中は日を追うごとに目覚める時間が早まります。思い出したようにカーテンを開けた僕は窓に頬ずりするように夜空を覗きこみました。しかし、期待に応えるものはなく、見えるのは灰色の分厚い雲と吐息にあわせて伸び縮みする窓ガラスの曇り。アイスランドの夜はあと3回。果たしてオーロラに遭遇することができるのだろうか。ただ、今回の旅はひとつだけ決め事がありました。 
 それは、オーロラを意識しない、ということです。昨年の勝因は、僕がまったくオーロラを期待しなかったから。だから9月上旬の夜空に現れてくれたわけで、過度の期待をしていたらきっと見られなかったのです。とはいえ今回は10月中旬。だめと思いつつも、どうしても心のどこかで期待してしまいます。実際、いま空一面を覆う雲さえも風がどかしてくれそうな気がして、15分に一度のペースで窓の外を見上げていました。
「ゴーザンダーグ」
 結局星たちが顔を出すこともなく、朝食の時間が訪れました。コーヒーの香りと焦げ目のついたトーストの上で広がるバター。相変わらず旅先の朝食は気持ちを穏やかにしてくれます。朝食をおいしいと感じられることは日常生活において容易なことではないですが、毎日なんとなく通り過ぎてしまうからこそ、そこに幸せを感じられる生活を送りたいものです。やがて、窓の外が明るくなってきました。
「タックフィリール」
 雨がウッドデッキをぬらしています。遠くの山々にはいくつもの氷河の舌が降りていました。夜は気付かなかったのですが、ここは氷河が見えるホテルだったようです。海が見えるホテルはよくありますが、氷河のそれは世界的にみてもなかなかないかもしれません。ホテルを出発するとフロントガラスにしとしとと、やさしい雨が降りてきました。黄土色がかった牧草地帯の上を今日もマシュマロたちが戯れています。
「なんだあれは」
 道を塞ぐように真っ白な霧の壁が迫ってきました。まるでこの世の果てに向かうよう。中はかろうじて目先の道が見える程度。突然視界を閉ざされてさすがにスピードを緩めざるを得ません。いったいどこからきたのか、この霧を抜けたら見知らぬ世界へ行ってしまいそうな気さえします。しばらく真っ白な世界に包まれて走り抜けた先には、神秘的な世界が待っていました。
「すごい」
 静かな入り江が白い帽子をかぶった山を反射して、まるで写真のようにとまっています。鏡のように水面に映し出された風景は、どこが境界線なのかもわかりません。雲の切れ間から差しこんだ陽光が水面に反射し、太陽がふたつあるようです。誰かが水面に指を入れたらその波紋がすべてを揺らしてしまいそう。氷河のときもそうでしたが、なにも動いていない映像的静寂がここではよく見られます。やがて灰色の雲たちが太陽に場所を譲るように、山々の向こう側に青空が広がってきました。ほんとに数時間のうちに色々な天気を味わいます。建物がない分、気候の変化を強く感じるのか、晴れているときと曇っているときの印象がこんなにも違うのもこの国の特徴かもしれません。
 車は、海沿いの道を走っていました。CMの舞台にでもなりそうな、険しい断崖絶壁。左側には黒くて荒々しい山の斜面、右側には大海原。車から降りてその間に立つと、人間の小ささと自然が大きさを感じずにはいられません。しばらくして、静かな集落にたどり着きました。ストーズヴァルフィヨルズルという人口300人ほどの村。湾の周りにはかわいらしい木の家が建ち並んでいるものの、誰もいないかのように静けさが漂っています。ここにはペトルおばあちゃんという石を拾い集める女性の家がありました。趣味で集めていたものがどんどん増えたようで、かつて大統領も訪れたことがあるそうです。こうした小さな村をいくつか通過しながら車は、以前訪れた街、エイジルススタジルへと向かいました。

2009年12月13日 09:59

コメント

 「思い出したようにカーテンを開けた僕は窓に頬ずりするように夜空を覗きこみました。しかし、期待に応えるものはなく、見えるのは灰色の分厚い雲と吐息にあわせて伸び縮みする窓ガラスの曇り。」

 オーロラに対するふかわさんの期待感が如実に伝わってきます・・・。夜空を「覗きこむ」という表現もそうですが…「吐息にあわせて伸び縮みする窓ガラスの曇り」という描写からは、胸の高鳴りを映した窓との距離感と息遣いの強さとがよく伝わってきます。

投稿者: 明けの明星 | 2009年12月13日 14:20

手長エビ! エビボクサーって映画もありましたし(観てませんが)
たまには 誰かを訪ねてドアをノックするエビもいるかもしれません。

投稿者: 咲子 | 2009年12月13日 21:29

日本でも、今日みたいに冷えた空気は空を星をとことん美しくみせるのですね。

こんな日は、空は世界とつながってるという事実を信じられます。

オーロラが、ここまで流れてきたらいいのにな。

投稿者: ひょう | 2009年12月17日 00:16

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