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2008年11月16日
第337回「NORTHERN LIGHTS〜アイスランド一人旅2008〜第十話 タビノニガミ」
ただ、「ピノは4個目からが一番美味い」という言葉もあります。バニラの甘味と、もう終わってしまうかもしれないというせつなさの苦味が見事に絡み合って、さらなる美味しさにつながるからです。
「よし、出発しよう」
残り二日となり、旅にせつなさという苦味がでてきたその日、7時に朝食を済ませるとすぐにホテルをでました。今日の目的地は、アイスランドの東端、エイジルスタジルという場所です。アークレイリから300キロ、東京から名古屋くらいの距離です。雲の切れ間から日の光が差し込んでくると徐々にその切れ間が引き離され青空が広がってきました。まずは、去年も訪れた神の滝とよばれるゴーザフォスに寄り道です。
「いつ見ても素晴らしいよな」
相変わらず柵もなにもないありのまま姿の滝は、自然の美と強さを実感させ、何回見ても飽きることはありません。神が宿っているというのも、あながち迷信でもない気がします。
「ここから未開拓ゾーンだ...」
そしてネイチャーバスの誘惑を振り払い、昨年訪れたデティフォスの滝へ続く分岐点を越え、昨年は踏み入れていなかった道に突入しました。ただ、そこから東端の町エイジルスタジルまでは特に観光スポット的な場所はないらしく、それこそエイジルスタジル自体、外国からの観光客は少ない場所なのです。それでも僕が行きたかったのは、単にアイスランドの別の表情を見たい、それだけでした。
「しかし、なんにもないな...」
リングロードを走っていると、周囲の景色ががらっと変わることがよくあるのですが、ここでは牧草地帯の草がすべて食べられてしまったような、不毛な荒涼とした大地が続いていました。さすがに羊を見かける頻度も少なくなり、心細くなってきます。そのかわり、時折あらわれる赤い屋根の家や教会が、心を和ませてくれるのです。
「虹だ...」
前方にエイジルスタジルの街が見えてきた頃、まるでゴール地点のアーチのように、虹がかかっていました。そうです、アイスランドは、そのことにいちいちリアクションしないほど、虹が多く見られる国なのです。去年はアークレイリに降り立ってすぐ見えたのですが、今回の旅ではこれが最初の虹でした。
街の中心部にはスーパーやレストランなどがあるものの、ほかの街と同様に、中心部をはなれるとすぐに大自然に覆われてしまいます。ただ、ここにはほかではあまりみられない森林があるところが特徴で、これもアイスランドの別の表情といえるでしょう。
街を離れると、山の合間を縫うように静かに川が流れています。今日はのんびりしようと決めていたので川岸へおりてみると、たくさんの羊たちが遊んでいました。草を食んでいたり、眠っていたり。人間がバーベキューをしているようです。車の音がすると、地面に伏せている羊たちがゆっくりと立ち上がって警戒しはじめました。
「なにもしないよ、大丈夫だよ」
微妙な距離で立って見つめあっていると、しばらくして疲れたのか、もしくは思いが通じたのが、一度立ち上がった羊たちが徐々にしゃがみはじめました。地面にお腹をつけたそのやわらかそうな体はとても愛らしく、胸がきゅんとしてしまいます。しばらく僕はその光景をただ眺めていました。
「じゃぁ、またね」
羊たちに別れを告げ、車は出発しました。そこから東端の町、ネスコイプスタズルまでの間、いくつかのフィヨルドに遭遇します。そこは、ほかのフィヨルドに比べ、荒々しいというよりむしろ静かで美しいという印象をうけます。波音のしない、まるで湖のようにぴたーっと時がとまっているかのような入り江は、ここで生活する人々の心を穏やかにすることでしょう。そして、アイスランド特有の細長いトンネルを抜けると、その街はありました。
大地に両足をしっかりとつけるようにいくつもの虹がかかっています。自転車に乗った子供たち。地元の人たちが集う喫茶店。こんな東の果てにも当然、人々の生活はあります。アスファルトに包まれた街で暮らすのと、自然の中で暮らすのと、どちらが豊かな生活なのでしょう。欲望に振り回された生き方、自然とのかかわりを大切にする生き方、喜びの価値観はきっと違うはずです。お金のかかる幸福、かからない幸福、うばわれる幸福、うばわれない幸福。刺激をもとめる生活、穏やかさを求める生活。たとえば40歳くらいになって、ここで生活したらどんな気分だろう、そんな想像もふくらみます。
街を抜け、車を降りて海岸線を歩いていくと、そこにも「地の果て」がありました。2日前はアイスランドの西の端、そしていまは東の端にいます。右手のひらの親指の先。小指の先から親指の先まで横断してきたわけです。
「ここで朝日をみたら最高だろうな」
サンセットを見たらサンライズもみたいものですが、それは諦めなければなりませんでした。というのも今日はもうひとつ、予定があったからです。
「またいくの?」
「悪い?」
「だって昨日はいったじゃんか」
「昨日は昨日、今日は今日。それに今日は天気がいいからきっといいものが見られる」
エイジルスタジルとアークレイリの中間地点にあるネイチャーバスは22時まで。そこで、日が沈む光景を眺めながら温泉にはいりたかったのです。車はゴムで引き戻されるように、西へと戻っていきました。
「間に合った...」
遠くの大地に沈む夕日が水色の温泉を照らし、あたたかい海に浸かっているようです。太陽の美しさはきっと人類共通の価値観なのでしょう。サンセットを眺めながらはいる水色の温泉、楽園にいるような、極上のチルアウトタイムになりました。
「来年もまた...」
太陽が沈み、それに吸い込まれるようにゆっくりと光がフェードアウトしていきます。徐々に家々に明かりがともりはじめ、昼間のそれよりもいっそう牧歌的な光景が広がります。昨年は日没後の運転を控えていたのですが、これまでの経験が僕の運転時間を引き延ばしたわけです。薄明かりのなか運転していると、前方に黒い物体が見えました。羊の死体ではないので安心してください。
「もしかして...」
僕はすぐに、あることを思い出しました。それは昨年のことです。
「なんだあれは...」
温泉帰りの長い坂道を下っていると、横からなにか黒い物体がものすごい勢いで向かってくるのが見えました。
「犬?」
黒い犬が牧草地帯を走り抜けてきます。
「まさか、飛び出してこないよね?」
しかし、その犬はスピードをおとすことなく、まるで僕の車にぶつかりにくるように走ってきました。
「ぶつかる!!!」
ブレーキを思い切り踏み込みました。
「え?」
犬の姿がありません。なにかと衝突した音もありません。ただ、ガラス越しに犬の声がします。
「びっくりした...」
その犬は、車の後ろから吠えていました。「遊んで」といわんばかりに飛び跳ねて、車の周りで吠えています。おそらく、車が通ると嬉しくて走ってくるのでしょう。それにしても、あまりにぎりぎりで走り回るので、ドライバーがハンドルをきって轢かれてしまわないか心配になります。
「あのときの犬か?」
前方の黒い物体が徐々に見えてきました。今度はあらかじめスピードをおとしています。
「いた!」
それはやはり、昨年僕の車に突進してきた犬でした。あのときの犬が、通り過ぎる車を待ち伏せするように道路脇で待っています。当然犬はなにもわかっているはずもないですが、僕にとっては一年ぶりの再会です。
「おー、元気だったか!」
窓をあけると、逆に怖がって吠えません。通り過ぎる車ばかりだから、車をとめてぐいぐいこられるバージョンにはまだ対応できていないようでした。それでも、一年前に見たあの犬がいまでも元気にしている姿に嬉しくなりました。
「じゃぁね、また来年!」
意表を突かれたような様子の黒い犬が、鏡の中で小さくなっていきました。やがて光のフェードアウトが完了すると、すっかり周囲は暗くなり、両脇の反射板が光りはじめました。
「あと一日か...」
アークレイリに戻ると、街明かりが夜空を照らしていました。
1.週刊ふかわ |, 3.NORTHERN LIGHTS |2008年11月16日 09:14