« 第335回「NORTHERN LIGHTS〜アイスランド一人旅2008〜第八話 別れの情景」 | TOP | 第337回「NORTHERN LIGHTS〜アイスランド一人旅2008〜第十話 タビノニガミ」 »
2008年11月09日
第336回「NORTHERN LIGHTS〜アイスランド一人旅2008〜第九話 無意識の記録」
「それにしても、どうしてこのCDにこだわるの?」
「だって、好きな曲を聴くほうがいいじゃない」
車は温泉に向かっていました。
「別に音楽なんてなんでもいいじゃんって思うけど」
「なんでもよくないよ」
「どうして?」
「どうしてって、わからないかなぁ」
オーディオの音量を少し下げました。
「たとえばさ、みんな旅行行くときはカメラを持っていくでしょ」
「うん」
「言ってみれば、それと同じ様なものだよ。僕にとってこの一枚のCDは」
「カメラと同じ?余計わからなくなったけど」
そんなふうに疑問に思う人もいるでしょう。別にCDなんてなんだっていいじゃないか、それこそなくったってなんの支障もないじゃないかと。しかし僕にとって、今回の一人旅でCDを忘れてしまったことは、カメラを忘れてしまうようなこと、いや、それ以上に重大なことだったのです。極端にいうと、カメラかCDのどちらかを置いていけといわれたら、もしかするとカメラを置いていったかもしれない、それほどなのです。
「カメラよりも大切?」
「うん」
なぜなら音楽は、カメラでは捉えることのできない範囲まで記録してくれるからです。
おそらくこれを読んでいる人のほとんどが、昔聴いていた曲を久しぶりに聴いたときの感動を体験していると思います。音楽が、当時の光景や気温、空気、すべてを再び実感させてくれるのです。一方で、懐かしいアルバムを眺めていると、それはそれで当時のことは蘇るものですが、それはどこか映像的なものだけで、体全体で感じていたディテイルまでは実感しがたいのです。つまり音楽は、一枚の写真ではできない、まるでタイムスリップしたかのような感覚を与えてくれるのです。たいていの場合、この実感は偶然的に遭遇することが多いのですが、それを意図的・計画的にやってみよう、ということです。アイスランドで感じたことを、こうして言葉で綴ることも大事だし、写真に収めることも意味はあります。それと同じように、旅をしながら音楽を聴くことで、僕が目にした光景、空気、温度、すべてが音に刷り込まれていくのです。
そしてもうひとつ、カメラとの決定的な違いともいうべき大事な点があります。それは、レンズを向けていないところがおさめられる、ということです。これがとても重要なのです。
写真を撮る場合、おそらくほとんどの人が、撮りたいものを撮る、撮りたいものにレンズを向ける、という方法を選ぶでしょう。撮りたいものがあるのに、あえてそれが映らないところにレンズを向けるというような奇抜な撮影法が仮にあったとしても、それは観光のスナップには向いていません。だからどうしても、撮った写真をあとで見たときに、「あ、こんな場所いったなぁ」「ここの景色よかったなぁ」と、当然一度レンズを向けたものしかでてきません。
これに対し音楽の場合、レンズを向けていない部分、つまり意識的に「あ、ここ写真におさめよう」と思った光景以外の瞬間が、音に詰め込まれていくのです。だから、旅を終え、いつかこの音楽が流れたときに、「あ、この写真とった」ではなく、自分でも思いもよらぬシーンが、無意識に感じていた光景が、ランダムにフィードバックされるです。カメラが意識したものを記録し、音楽は無意識を記録してくれるのです。そのための音楽を、僕は連日選んでたわけです。
「まぁ、なんとなくわかったけど」
「人間って素晴らしいでしょ」
ただそのとき、予想とは違うことが起きていました。車の中で聴いている僕の頭の中には、ヘッドホンで聴いていたときに刷り込まれた光景が浮かびはじめていました。旅の途中にして、数日前の出来事がもう思い出に変わりはじめていたのです。これはある意味嬉しい誤算でした。
「あれだ!」
そしてちょうど、CDRが終了するころ、今日の終着点が見えてきました。地面から勢いよく白い煙があがっています。昨年も訪れた温泉、ミーヴァトン・ネイチャー・バスです。
アイスランドには、レイキャヴィクにブルーラグーンという巨大温泉があり、そこはアイスランドを訪れた人は必ず行くのに対し、ここの温泉はそれほど有名ではありません。それだけ、巨大な温泉にたった一人ということもあり、地球の最後の一人になってしまったような感覚を味わえるのです。それで昨年同様、まだ有名になっていないだろうという願望も込めて、今回のプランに組み込まれていました。
「きれいになってる...」
多少設備があたらしく改装されていました。秘密の場所が徐々に知られてしまう寂しさはありますが、少なくとも改装中じゃないだけよかったのかもしれません。脱衣所で全身を洗ってから外にでると、濡れた体を冷たい空気が覆います。その凍えそうになった体を、水色の温泉がやさしく包み込んでくれるのです。
「明日は晴れるといいけど...」
冷たい雨が顔面にぶつかってきます。頭が凍りそうになるのでときおり頭をもぐらせながら浸かっていると、長旅の疲れもみるみるうちに抜けていきます。しかし、このときすでに、僕の頭の中ではカウントダウンがはじまっていました。数日後に帰らなくてはならないという意識が芽生えていました。ピノでいう3個食べたあとの心境です。人はそのとき、なにかが終わる、ことの終わりを感じはじめるのです。5泊7日の折り返し地点は、僕を少し感傷的にさせました。
1.週刊ふかわ |, 3.NORTHERN LIGHTS |2008年11月09日 09:22