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2008年10月12日
第332回「NORTHERN LIGHTS〜アイスランド一人旅2008〜第五話 レットイットビー」
大自然に囲まれた場所に、そのホテルはありました。そもそもアイスランドではレイキャヴィクを離れると大自然に囲まれないほうが難しいのですが。ホテルのまわりでは馬や羊たちがのんびり草を食み、反対側には入り江も見えます。ホテルという名前はついているものの、その外観は一階建ての小さな箱。そこに窓がいくつかある程度で、むしろコテージやユースホステルという言葉のほうが近いかもしれません。
キーをまわすと、エンジン音が空に吸収されていきました。経営しているのかわからないくらい、人の気配がありません。一抹の不安を抱きながら建物に向かう僕を迎えてくれたのは一頭の羊でした。「ようこそ」といわんばかりに僕を見ています。不安になるとあらわれる、羊はもしかすると神様か神の使いなのかもしれません。その姿をカメラに収めると、ゆっくり扉を押しました。
「こんにちは...」
中は静まりかえり、物音ひとつしません。しばらくして奥から足音が聞こえてきました。
「あの、予約した者なんですけど...」
出てきたのは、おもいのほか若い女の子でした。彼女は頷きながらノートを広げます。
「リ、リ・ヨ・ウ?フッカーワ?」
裸足のまま僕を部屋に案内すると、彼女は中の設備を簡単に説明して戻っていきました。ベッドと窓と机とランプ。とてもこじんまりした部屋は窓から牧場が望めます。7時くらいでもまだ外はあかるく、夜になる気配がありません。僕は、デジカメなどの充電をしながらベッドに横になりました。
「はたして夕食はでるのだろうか...」
のどかでいいものの、若干そのことが気がかりです。そういえばホテルでの朝食以来なにも食べていません。最悪、お菓子で乗り切る覚悟はしているものの、できることならちゃんとしたものが食べたいのです。旅館のように連絡がくるのだろうか、ガイドブックには食事らしきマークが記されているが、それは朝食のことなのだろうか。ほかに宿泊客がいなそうなのに、僕のためだけにつくるだろうか。
「すみません...」
いてもたってもいられず、再び声をかけにいきました。
「ご希望であれば、作りますよ」
きいてみてよかった、きかなければベビースターになるところでした。それにしてもどこで食べるのだろうか。どう考えてもレストラン的な場所は見当たりません。言い方からして、私が作りますっぽかったけど、彼女が作るのだろうか。そしたら彼女と向かい合って食べるのだろうか。そもそも彼女ひとりできりもりしているのだろうか。ほかの従業員はいないのだろうか。なんだか、いろんなことが気になってきます。
「っていうか、何時なんだろ」
夕食の時間が気になるものの、また声をかけたら「この日本人しつこいな!」と思われるかもしれません。そんな葛藤を繰り返していると、ドアをノックする音がしました。
「夕食ができたので、隣の建物にきてください」
ちょっとした別館といったところでしょうか。ホテルの横に小さな小屋のような建物がありました。中にはテーブルがいくつか並び、それぞれにオレンジ色のランプが点いていました。
「よかった、ほかにもいる」
一番手前に二人組が座っていました。見た感じ40代の夫婦のようです。その横のテーブルに座ろうとすると、男性の方が声を掛けてきました。
「こんにちは、お一人ですか?よかったら一緒にたべませんか?」
突然の誘いに一瞬とまどいました。
「ありがとうございます...でも、英語得意じゃないですけど、いいでしょうか?」
「全然かまわないよ、さぁどうぞ」
そして僕は、アメリカからやってきた夫婦と3人で夕食をとることになりました。
「アイスランドははじめてですか?」
「アメリカからだと何時間くらいですか?」
「日本人で知っている人はいますか?」
お皿の上には、アイスランドの家庭料理といった感じの、とても素朴でシンプルな料理がのっています。僕が話すたびに彼らは手をとめて、しっかりきいてくれました。
「お口に合いましたか?」
すっかり打ち解けてきた頃、奥からおばさんがでてきました。おそらく彼女のお母さんなのでしょう。
「おいしかったです。あの、あれって弾いてもいいんですか?」
近くに年季の入った木製のピアノが置いてありました。
「どうぞどうぞ」
「なんだ、きみ弾けるのかい?」
フタを持ち上げると、鍵盤にはいろんな落書きがされています。このホテルに昔からあるものなのでしょう。鍵盤を指で押すと、少し歪んだ音が鳴りました。
「すごいじゃないか」
演奏が終わると、ホテルの母娘、そしてアメリカ人の夫妻が拍手をしていました。日本からはるか遠い異国の地で、まさかこんな風にピアノを弾くとはおもいませんでした。もしかしたら、海外でピアノを弾くことは初めての経験だったかもしれません。それまでまったく知らなかった人と心を通わせられたことに、胸が熱くなります。なんにもない、ケータイもつながらない。でもなんだかすごく、心が満たされていました。
「朝食は朝8時からです。ではおやすみなさい」
ようやく辺りも暗くなりました。ベッドに横になって窓から空を眺めているうちに、まぶたが重たくなってきます。デジカメの充電ランプは消え、ラートラビヤルグの夜は、静かにふけていきました。
<サイン会情報>
10月19日14時〜金沢・文苑堂書店にて「ジャパニーズ・スタンダード」のサイン会を行います。お近くの方はぜひご参加ください。
1.週刊ふかわ |, 3.NORTHERN LIGHTS |2008年10月12日 09:58