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2008年07月27日
第325回「シリーズ人生に必要な力その10休暇力」
(今回は少しボリュームがあるので、余裕のあるときに読んでください)
日本人の労働時間の長さは世界で第6位だそうです(更新されているかも)。一時に比べて順位は下がったものの、おそらく韓国などに抜かれただけで、労働時間がさほど減少したわけではなく、サービス残業などを考えると実質的にははむしろ増加しているのかもしれません。満員電車に揺られ、階段を上り下りして乗換えをし、駅から一斉に会社に向かうサラリーマンたちの光景は、列をなして進む働きアリたちのようです。これはこれで悪いことではなく、これまでの日本経済を支えてきた、勤勉で真面目な日本人の象徴といえるでしょう。
しかしその反面、日本人が怠ってきたことがあります。働きすぎておろそかにしてしまったこと、それは「休むこと」です。働くことに関しては優秀なのですが、このことに関してはあまり上手じゃないようです。休むことに対してどこか悲観的で、休んじゃいけないのではないか、遅れをとってしまうのではないかと、恐怖心すら抱いてしまいます。しかしそれはケータイを充電しないようなもので、ある程度休まないと体は動かなくなり、そればかりか心も動かなくなってしまいます。しっかり仕事をするためにしっかり休まなくてはならないのに、心の休息を怠っていると、ストレスだとか胃潰瘍、さらには取り返しのつかないことになりかねません。そのあとでいくら会社や国を責めたところでもう遅いのです。生活のための労働のはずが、労働のせいで人生を狂わせてはまさに本末転倒。だから、働くことと同じだけ、休むことは大切なのです。後者を軽視している会社、世の中は間違っていて、いずれ必ずどこかで破綻します。満足のいく休息が仕事に大きく反映され、それが会社全体、そして社会全体に反映されることを信じなくてはいけないのです。「成功する人ほど、休んでいる」のです。
なんとなく頭の中でわかっているのに、なぜ休むことができないのでしょう。カレンダーどおり、もしくはそれ以下しか休めない、思いっきり休暇をとることができない。それは多少、国民性もあるでしょう。島国であるから、基本的に皆と同じであることが大事にされ、一人だけ休むことに抵抗があるのです。戦後の名残もあるでしょう。日本という国を建て直さなきゃ、という思いがまだ続いているのです。また、辛いことに慣れてしまっているところも実際あると思います。「ったくまいっちゃうよ」という愚痴が酒の肴であるような。つまり日本人全体がM体質なのです。その一方で、最近の若者は平気で休む、というのを聞いたことがあります。休むことに対する抵抗が徐々に減りつつあるのです。しかし、ただ休むならいいものの、なんでもすぐに辞めてしまう若者も増えているそうで、そういう意味では、上手に休みをとっているとは言い難いものがあります。
結局の所、日本人の休み下手の一番の原因は、「働かなければならない」と思っているところにあるのです。
では、そのことを掘り下げる前に、他の国の人々はどうなのでしょう。諸外国のあり方が必ずしも正しいわけではありませんが、参考までに見てみると、たとえばドイツでは、ここ20年で労働時間に劇的な変化が見られています。かつては日本と同等だったのが、いろいろな努力の末、いまや年間でみると日本人より500時間も少なくなりました。また労働時間貯蓄制度というのがあり、働いた時間をいわゆるポイントにして休暇に変換することができるのです。それは「休むこと」の大切さに気付き、積極的に「休暇」を取り入れていることの表れでしょう。
そもそもヨーロッパでは夏休みやクリスマス休暇をたっぷりとって家族と過ごす時間がたくさんあります。日曜日や夜遅くは当然のように店が開いてなく、午後の昼寝であるシエスタが社会的に認められている国もあります。休むことは決して悪いことではなくむしろ必要なことで、そんな闇雲に働かなくたっていい、ということなのです。労働に人生のすべてを捧げていないのです。
それに比べて日本人はどうでしょう。働くことに捧げすぎているのかもしれません。確かに働くことは大切です。働く喜びもありますし、社会で生活している以上、社会になにか還元することも必要です。豊かな暮らしをするためにはある程度のお金も必要です。けれど日本人は、人生のほとんどを仕事に費やしてしまい、人間らしさ、自分らしさを見失いがちなのです。仕事で埋め尽くされた人生の隙間をどうにか自分や家族の時間に割り当てるという慣習が様々な悲劇を生んでいるのに、そのことを他人事のように扱ってしまう。日本人全員が、心の豊かさや家族の時間をもっと大切にするようになっていれば、悲しいニュースはこんなに多くなかったはずなのに、いつも経済的・物理的な豊かさばかりを求めてしまう。日本人は、「豊かさが偏っている」のです。
人の暮らしの豊かさは、数字で表せることだけではありません。むしろ数値化されていないものが減少していることをもっと悲観したほうがいいのです。貯金をするだけして終わるような人生ではせっかくの命がもったいないのです。
でも、そんな休んでばかりいては国の経済がうまくまわらないよ、と思うかもしれません。しかし、僕たちは国の経済のために生きているのではありません。経済は僕たちの生活の中の一側面でしかないのに、なぜか経済が豊かでないと世の中すべてがうまくいっていないかのような気分になってしまう。ガソリンが数円あがったことがこの世の終わりかのようになってしまう。たしかに、そのことを軽視することはできません。だからといって、それだけがすべてではないのです。経済が破綻しても、世界は終わりません。むしろ悲劇は、経済的な豊かさを追求した結果生まれているのです。メディアに踊らされているのです。
では、結局どうしたらいいのでしょう。日本人はどうしたら心の豊かさを取り戻すことができるのでしょう。それにぴったりのアイデアがあります。それは「週休3日制」です。個人的には週休4日でもいいと思うのですが、段階を踏みます。
「なんだよ、意外と普通じゃないか」と思うでしょう。ただ、週休3日といっても金土日じゃないのです。休むのは土、日、月なのです。仕事は火曜日から金曜日で土・日・月がお休み。というのも、金曜日はすでにいいイメージがあるので、それを休みにしても弱いのです。インパクトをつけるなら、一週間のはじまり、最悪のイメージをもつ月曜日を休みにするのです。ここがポイントなのです。満足のいく3連休を毎週とることで、残りの4日に集中して仕事ができます。現代社会は、4日働いて3日休む、これを常識にするのです。おそらくデメリットは、サザエさんの視聴率が落ちるくらいなものです。
そしてもうひとつ、これはあくまで僕の理想論ですが、海外旅行休暇を設けるのです。人生に一度だけ、海外旅行をすることができるのです。20歳でハワイでもいいし、40歳でパリでもいいのです。そんなこと勝手にやればいいだけで制度にすることじゃない、と思うでしょう。ここでのポイントは、国がお金を払うということです。政府がスポンサーなのです。国民は、一生に一度、好きなところに旅行ができる、そんな国があってもいいじゃないですか。資金なんてどうにかなるものです。この海外での経験はいかなる補助金よりも価値あるもので、それは一生使える人生の糧であり、エネルギーになるのです。さらに心身ともに強くなることで医療費の個人負担も減少するはずです。休むことを恐れず、休むことで湧いてくる力を信じていいのです。
文明が発達したことで、人間は効率よく仕事を行うことが可能になりました。しかし、それによって空いた時間がほかの仕事で埋められてしまっては、いったいなんのための効率なのかわかりません。僕たちが機械ならまだしも、人間です。それを絶対に忘れてはいけないのです。昔の人に比べていろんなことが何百倍ものスピードで行えるようになったにも関わらず、僕たちは自由な時間を全然手に入れていない。じゃぁいったい文明ってなんなのでしょうか。そのことに気付いているのかいないのか、僕たちは自由な時間を作ろうとしない。なぜなら欲望があるからです。経済的、物理的欲望に邪魔されているから永遠に心が満たされないのです。
僕たちが普段住んでいる家やマンションを建てる際には、まず周囲に足場を組みます。その足場があるからこそ、生活の拠点となる家を作ることができます。それと同様に、世の中という大きな家を作る際にも足場が必要です。戦後、焼け野原から都市をつくるのは相当の努力を要したでしょう。あれから数十年たったのち、僕たちの周囲には「社会」という立派な家ができあがりました。あとは足場を撤去すれば当分の間快適に住めるはずなのに、人々はまた建て替えようとしてしまう。節目節目でリフォームするだけでいいのに、欲望に押されて新しい家を欲しくなってしまう。だから、いくら働いても時間が足りないのです。それではいつまでたっても豊かな生活なんて訪れやしません。だからもう、求めなければいいのです。みんなが助け合って生きていける家は出来上がっているのだから、その家で満足すればいいのに、また求めてしまう。それでお金が必要になってしまう。贅沢にお金はかかっても、心の豊かさにコストはかからないのです。
人はもともと人間らしく生きたいはずです。人と触れ合いたいという本能があり、人にやさしくしたいはずなのです。なのに、別の欲望でかき消されているのです。だから、人間らしく生きたいという本能を目覚めさせ、経済的物理的欲望をそれが上回ればいいのです。そのためにはまず労働から離れ、自由な時間を取り戻さなければならないのです。たっぷり休暇をとることなのです。そうすれば皆、心にゆとりができ、やさしさが生まれます。いろんな人に、いたるところにやさしさが生まれ、そのやさしさは愛となって地球全体を包みこむのです。休暇力とは、愛を生む力なのです。そうなってはじめて、人類は本当の豊かさに出会うのでしょう。だから人生には、休暇力が必要なのです。
P.S.:
8月24日(日)15時〜名古屋星野書店 近鉄パッセ店にて「ジャパニーズ・スタンダード」のサイン会を行います。
1.週刊ふかわ |2008年07月27日 09:53