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2008年04月06日

第311回「アナ・トレントの鞄」

 こんなにも胸を締め付けられるような気分を味わうとは思いませんでした。彼女の瞳はあまりに美しすぎて、子供がいかに純粋な生き物であるか、そして自分がいかに汚れた生き物であるかを痛感したのです。
 「ミツバチのささやき」という映画をご存知でしょうか。僕自身、知人の紹介で知ったのですが、1970年代のスペインの映画で、日本では80年代に単館系で公開され、当時はそれなりに話題になったそうです。監督であるビクトル・エリセは、これ以外にもいくつか映画を作りましたが、どれも素晴らしく、美しいものばかりです。同じ映画でも、ハリウッドのそれとはまったく別物と思ったほうがいいくらい、芸術的で詩的な映画なのです。それほどまでに素晴らしい映画なのに、いまとなってはどこのビデオやさんにもどこのツタヤにもなく、レンタルすることも購入することも難しい状態で、とても貴重な映画になっているのです。
 「いかなきゃ絶対後悔する!」
 その、入手困難であることは、普段爆睡している僕の物欲を目覚めさせ、定価の10倍近くする値段を突き破りました。
 「届いてる...」
 ポストを開けたときに、なんとなく「ミツバチのささやき」だとわかりました。小包からもうその雰囲気が漂っています。
 「これか...」
 静かに包みをはがすと、姿を現しました。そのジャケットから、スペインの田舎らしき風景が垣間見えます。この中に素敵な世界がつまっているかと思うと胸が高鳴りました。
 「さぁ、いよいよだ」
 遂に公開のときが訪れました。観るのは、一番好きな日曜日の深夜と決めていました。もう、絶対に嫌いな作品ではないという確信がありました。これだけハードルが高くなっていても、きっとそれを越えてくれるだろうという自信がありました。テーブルの上に飲み物やお菓子を並べ、万全に環境を整えると、僕の部屋はゆっくりと暗くなると、遂に「ミツバチのささやき」の扉が開かれました。
 舞台は40年代、内戦後のスペイン。いわゆる派手なスペインの景色ではなく、荒涼とした台地やひなびた田舎の村が映し出されます。それらの景色はあまりに美しく、観ていると、画面に吸い込まれそうになります。アナ・トレントという少女と、姉のイザベル、そしてミツバチの飼育する父、過去の恋に思いをよせる母の4人の家族が登場します。
 「だから言ったんだよ...」
 もう、体が動きませんでした。終わってからも、しばらく起き上がることができませんでした。これが映画館だったら、次のお客さんが来てしまいます。好きなタイプだとは予想していたものの、まさかこんなにも衝撃を受けるとは思いませんでした。これは映画というよりも芸術作品、芸術作品というよりも不思議な世界をのぞき見てしまったような、なんともいいようのない感覚に陥りました。あんなにデヴィッド・リンチの色に染まっていた僕の頭、そして体は、一瞬にしてビクトル・エリセの色に染まっていたのです。
 僕は気絶したようにぼーっとしていると、数々の光景が勝手に頭の中を巡ります。完全に映画の世界が僕の脳を支配していました。中でももっとも強く残ったのはやはり、主人公アナ・トレントの瞳です。それがいつまでたっても頭から離れないのです。
 「大人になるってなんなのだろう」
 アナ・トレントの瞳を見ていると、いろんなことを考えさせられます。僕たちはいつ現実というものを意識し、非現実に気付くのか。いつ孤独を知り、いつ大切なものに気付くのか。いつから嘘をつきはじめ、いつから心でなく脳で判断するようになるのか。社会とはなんなのか、大人とはなんなのか。結局現実ってなんなのか。そんな自問自答が始まるのです。
 現実と非現実の境界線がない彼女の瞳に映るものはすべて真実であり、それは彼女の純粋な心を映し出しているのです。そしてその、まぁるい瞳が閉じられた瞬間、観る者全員の心が、一瞬にして奪われてしまうのです。
 彼女はいつも、小さな鞄を手にしていました。彼女がずっと持っているあの鞄の中には、一体なにがはいっていたのだろう、そんなことを考えるだけで胸が締め付けられるように苦しくなります。アナ・トレントの鞄の中身は、大人には見えないものなのかもしれません。

P.S.
どこかで上映会できたらいいのに。

1.週刊ふかわ |2008年04月06日 09:18